大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

開目抄 その14

このように、『法華経』と『涅槃経』の太陽や月のように明らかであり、妙楽大師とその弟子の智度大師の明らかな鏡によって、今の世の諸宗ならびに国中の禅・律・念仏者の醜い顔を浮かべれば、そこに一つの曇りもない。『法蓮経』の「勧持品」には、「仏滅度の後の恐怖すべき悪世の中」とあり、「安楽行品」には、「後の悪世」とあり、また「末世の中」とあり、また「後の末世の法が滅びようとしている時」とある。「分別功徳品」には、「悪世の末法の時」とある。「薬王品」には「後の五百年」とある。

正法華経』の「勧説品」には、「滅後の末世」とあり、また「後に来たれる末世」とある。『添品法華経』にも同様にある。天台大師は、「像法の中の南三北七は、『法華経』の怨敵である」と述べている。伝教大師は、「像法の末、南都六宗の学者は、法華の怨敵である」と述べている。天台大師や伝教大師の時代は、末法ではなかったので、このような怨敵もまだ明らかではなかった。上にあげた言葉は、教主釈尊と多宝仏が宝塔の中に太陽と月が並ぶように座り、十方の分身の諸仏が宝樹の下に星が連なるようにおられる中、正法一千年、像法一千年、合わせて二千年過ぎた末法の始めに、『法華経』の怨敵に三類あると、八十万億那由他の諸菩薩が定められたことであり、それが虚妄であるわけがない。

今の世は如来滅後二千二百年余りである。大地を指差して外れることがあろうとも、春に花が咲かずとも、三種類の敵人は必ず日本にいるのである。あるべし。では、誰誰が三類の内の人であるか。またどの人が『法華経』の行者であると指名されるだろうか。はっきりしないところである。その三種類の怨敵に、私たちが入っているのだろうか、また、『法華経』の行者の内に入っているのだろうか。はっきりしないところである。

周の第四昭王の時代、二十四年甲寅四月八日の夜中に、天に五色の光気が南北にわたって昼のようになった。大地は六種に震動し、雨は降らないにもかかわらず、河川や井戸や池の水が増え、すべての草木に花が咲き、実が成った。不思議なことである。昭王は大いに驚いたが、神祇官の蘇由(そゆ)は占って、「西方に聖人が生まれたのです」と言った。昭王は、「それではこの国はどうなるか」と問うと、「何ごともありません。一千年の後、その聖なる言葉は、この国に渡って衆生を利益(りやく)するでしょう」と答えた。見思惑を一毫も断じていない外典の者でさえ、一千年の後のことを知る。そしてその通りに、一千一十五年の後、後漢の第二明帝の永平十年丁卯の年、仏法は中国に伝えられた。しかし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の仏の御前の諸菩薩の未来記は、これに比較にならない。この日本に、三類の『法華経』の敵の者がいないわけがない。したがって、仏は『付法蔵経』などに、「私の滅後の正法一千年の間、私の正法を広めるべき二十四人が順に相続するであろう」と記している。摩訶迦葉・阿難などはさて置いて、五百年後の脇比丘、六百年後の馬鳴、七百年後の竜樹菩薩など一分も違わず、すでに世に出られた。このことがどうして虚しくなるだろうか。このことが相違すれば、その一経がすべて相違することになる。いわゆる舎利弗の未来世における華光如来摩訶迦葉の光明如来もみな妄説となるだろう。『法華経』以前の経典に戻って、彼らは永遠に成仏できない声聞に定まってしまう。犬や狐を供養しても、阿難たちは供養してはならないとなってしまう。どうするのか、どうするのか(注:「犬や狐を供養しても、阿難たちは供養してはならない」という大乗経典の言葉は、明らかに小乗仏教から激しい攻撃を受けていたところの、大乗仏教グループの恨みによって創作された文である。歴史的釈迦がそのように説いたならば、それは釈迦の教団自体を否定することであり、それこそ、春に花が咲かずともあり得ないことである)。

三種類の怨敵の第一の「有諸無智人」というのは、経文の第二の「悪世中比丘」と第三の「納衣比丘」の信徒であろう。したがって、妙楽大師は「俗衆」と言い、弟子の智度大師の『東春』には、「国王に訴える」などとある。第二の『法華経』の怨敵は、経には、「悪世の中の比丘は、邪智にして心が曲がっており、まだ得ていないものを得たと言い、高慢の心に満たされている」とある。『涅槃経』には、「この時にまさにあらゆる悪比丘がいるであろう。そして、このあらゆる悪人は、またこれらの経典を読誦するといっても、如来の深密の要義を滅らしたり排除したりするであろう」とある。『摩訶止観』には、「信心のない者は、悟りの聖い境界が余りにも高すぎると思って、自分の智慧ではとても到達できないと言う。また、智慧のない者は、増上慢を起こして、自分はすでに仏と等しいと言う」とある。道綽禅師は、「理法が深く、理解することが難しいからである」と言っている。法然は、「あらゆる修行は今の人々の能力には合わない。すでに時は末法である」と言っている。『法華文句記』第十巻には、「誤って解釈する者は、初心の功徳がいかに大きいことかを知らない。その功徳は、さらに上の行位にならねば得られないとして、この初心の功徳をおろそかにする。したがって今、その行が浅くても功徳は深いことを示して、この経典の力を表わそう」とある。伝教大師は、「正法と像法は間もなく過ぎ去り、末法は近くなっている。法華一乗を受けるべき人々にとって、今はまさしくその時である。どうしてそのことを知るのだろうか。安楽行品に、末世法滅の時とあるからである」とある。慧心僧都源信は、「日本の一国は、すべて円教を受けるべき純一の国である」と述べている。道綽伝教大師法然と慧心僧都と、誰を信じるべきであろうか。道綽法然の教えは、一切経にその証文はない。伝教大師と慧心僧都は、まさしく『法華経』に依っている。その上、日本においては、比叡山の大師は受戒の師である。どうして天魔の入った法然に心を寄せ、自らの出家の師を投げ捨てるのだろうか。法然が智者ならば、どうしてこの解釈を『選択本願念仏集』に載せて和会させようとしないのか。人の理を隠す者である。

三種類の怨敵の第二の「悪世中比丘」と指摘される者は、法然などの無戒邪見の者である。『涅槃経』には、「私たちはみな邪見の人と名付ける」とあり、妙楽大師は、「自ら『法華経』以前の三教(注:ここでは蔵教・通教・別教を指す)を指して、みな邪見と名付ける」と述べている。『摩訶止観』には、「涅槃経に、これより前は、私たちはみな邪見の人と名付けるとある。邪とは、どうして悪でないことがあろうか」とある。『止観輔行伝弘決』には、「邪はすなわち悪である。したがってまさに知るべきである。ただ円教を善とする。また二つの意義がある。一つは、従順をもって善とし、背反をもって悪とする。これは相待の意義である。また、執着することをもって悪とし、到達することをもって善とする。相待・絶待ともに、すべて悪を離れるべきである。円教に執着することさえ悪である。ましてや他の三教はなおさらである」とある。外道の善悪は、小乗経に対せばみな悪道であり、小乗の善道そして四味三経は、『法華経』に対せばみな邪悪であり、ただ『法華経』のみまさしく善である。『法華経』以前の円教は相待妙・絶待妙に対せばなお悪である(注:円教に『法華経』以前も何もない。妙楽大師は、円教に執着することが悪だと言っているのであり、円教に悪も善もないのである)。前三教に摂取すればなお悪道である。『法華経』以前の経典の極理を行じることもなお悪道である。ましてや、『観無量寿経』などの、なお『華厳経』・『般若経』などにも及ばない劣った教えを本として、『法華経』を『観無量寿経』に取り入れて、念仏に対して、差し置け投げ打て閉じよ捨てよとすることは、法然とその弟子たちや信徒たちは、正法を誹謗する者ではないか。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏は、「法を長くこの世に留めておくために、ここに来られた」とある。法然ならびに日本の念仏者たちは、『法華経』は末法において念仏より前に滅び尽くされるであろうと言っている。これがどうして、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏の怨敵でないことがあろうか。

三種類の怨敵の第三については、『法華経』に、「あるいは静かな場所に住んで、衣を着て閑静な場所にあって、そして一般人に教えを説き、世の人から尊敬されることは、まるで六神通力を持つ阿羅漢のようである」とある。『般泥洹経』第六巻には、「阿羅漢に似ている一闡提がいて、悪業を行ない、一闡提に似ている阿羅漢がいて、慈心をもって行なう。阿羅漢に似ている一闡提がいるとは、方等(=大乗)を誹謗する人々である。一闡提に似ている阿羅漢とは、声聞を捨て去って広く方等を説き、衆生に語って、私もあなたがたも、共に菩薩である。なぜなら、すべての人は如来の本性があるためであると言う。しかし、多くの人々は、彼は一闡提だと言う」とある(注:この経文から、当時、伝統的仏教教団から、大乗仏教運動に賛同して、大乗仏教教団に入る者や、伝統的教団にいながら、すべての人は仏となれると説いていた比丘たちがいたことがわかる。もちろん、そのような比丘は、やがて伝統的教団からは追放されたはずである)。

『涅槃経』には、「私の涅槃の後、像法の中において、まさに次のような比丘があるであろう。戒律を守っているような姿をして、いくらか経典を読誦し、飲食を貪り、その身を養う。袈裟を着ているといっても、猟師が獲物を狙うように、猫が鼠を狙うようである。常に次のような言葉を言う。私は阿羅漢の位を得たのだと。外には賢善を現わし、内には貪りや嫉妬を抱く。啞法(あほう:真理は言葉にできないということで、一言も語らない修行やその教え)を受けた婆羅門のようである。真実の沙門ではなく、沙門の姿を現わし、邪見が盛んで正法を誹謗する」とある。

妙楽大師は、「第三の者たちは最も甚だしい。この段階に進めば進むほど、その考えを改めることができなくなるからである」とある。智度法師の『東春』には、「第三の或有阿練若という言葉より下の三偈は、すなわち、出家の者たちが集まる場所の、すべての悪人を総括している」とある。この『東春』の「すなわち、出家の者たちが集まる場所の、すべての悪人を総括している」とは、今の日本においてはどこであろうか。比叡山園城寺か東寺か南都か、建仁寺寿福寺建長寺か、よくよく調べる必要がある。延暦寺の出家の頭に甲胄をつけた者たちを指すのか。園城寺の悟りを開いたという僧の膚に、鎧や槍を帯びる者たちを指すのか。彼らは経文に「衣を着て閑静なところにいる」とある言葉には当てはまるようには見えない。「世の人々から、六神通力を持った阿羅漢のように敬われる」という人とも思えない。これらは、先入見は改めることが難しいということである。京都には聖一などが、鎌倉には良観などがこれに似ている。しかし人を憎まないようにしなければならない。眼があるならば、経文にその身を委ねるべきである。

(つづく)