大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その15

法華経』現代語訳と解説 その15

 

妙法蓮華経薬草喩品第五

 

その時世尊は、摩訶迦葉(まかかしょう)および多くの大弟子たちに、次のようにおっしゃった。

「良いことだ。良いことだ。迦葉よ。よく如来の真実の功徳について説いたものだ。誠にその通りである。如来にはまた、数えることのできないほどの多くの功徳がある。あなたたちにそれを説いたとしても、いくら時間と歳月があっても尽くすことはできない。迦葉よ。まさに知るべきである。如来はあらゆる教えの王である。その中に、空しい教えなど一つもない。すべての教えにおいて、智慧による方便をもって説くのである。その説かれた教えは、すべてを知る仏の智慧に至らせる。如来はすべての教えの果報を知って、またすべての衆生の心の奥深いところも知り、それらに通じることにおいて、妨げはない。また、すべての教えにおいて明らかに極め尽しており、多くの衆生智慧のすべてを示す(注1)。

迦葉よ。たとえば、すべての世界の山や川や渓谷や土地に生えている草木、林および多くの薬草などには、数々の種類があり、名前も形も色もそれぞれ異なっている。そこに、雲が湧き起こってこの世を覆い、それらに等しく雨を注ぐ。その潤いは、等しく草木や林、そして薬草の根や茎、葉のすみずみまでおよぶ。しかしそこには、植物の大小、高い低い、そしてその中間によって、さまざまに受ける量に違いがある。一つの雲から降った雨は、その種類によってそれぞれ成長させ、花をつけ実を実らせる。同じ場所に生える植物であって、同じ雲から降った雨を受けていても、それぞれの草木に違いがある。

迦葉よ。まさに知るべきである。如来もこれと同じである。仏がこの世に出現することは、大きな雲が起こるようなもので、偉大な声をもって、平等に世界の人や天や魔に教えを聞かせることは、大きな雲が広くこの世を覆うようなものだ。仏は、大衆の中において、次のように宣言する。『私は如来であり仏であり世尊である。まだ苦しみの海を渡っていない者には渡らせ、まだ煩悩から解放されていない者には解放させ、まだ修行の道を確立していない者には確立させ、まだ悟っていない者には悟らせるのである。今の世についても、後の世についても、はっきりと知ることができる。私はすべてを知る者であり、すべてを見る者であり、道を知る者であり、道を開く者であり、道を説く者である。

人や天また魔は、教えを聞くためにここに来るべきである。そして、千万憶の無数の衆生が、仏のいるところに来て教えを聞くならば、衆生の能力の優れていること、劣っていること、精進していること、怠けていることなどを感じ取って、その耐えうるところに従って、教えをさまざまに説き、みな喜んで良いものを受けられるようにする。この多くの衆生は、この教えを聞き終って、この世においては平安に過ごし、来世には良い世界に生まれ、また仏の道を歩み、平安を受け、さらに教えを聞くことができる。そして教えを聞き終って、多くの妨げを除き、あらゆる教えの中において、その力に応じて仏の道に入ることができる。大きな雲が、すべての草木や林や薬草に雨を降らすと、その種類に応じて水を受け、それぞれ成長することができるようなものである。如来が説く教えは本来、その形はひとつであり、内容もひとつである。いわゆる、この世の縛りからの解放であり、欲望から離れることであり、執着を滅ぼすことであり、それらは仏のすべてを知る智慧に至る。

もし人が如来の教えを聞いて、受け入れ、読誦して、その通りに修習したとしても、その結果、得る功徳がどのようなものであるかは、その人は知ることができない。なぜなら、ただ如来だけが、その人の姿、本性、そして何を念じ、何を思い、何を修し、どのように念じ、どのように思い、どのように修し、何の教えをもって念じ、何の教えをもって思い、何の教えをもって修し、何の教えをもって何の教えを得るか、ということを知っているからである。衆生はあらゆるところに住んでいるが、ただ如来だけがそれを明らかに妨げなく知っている。草木、林や薬草自体が、自らの上中下の本性を知らないような者である。しかし、如来はそれらが、みな一つの姿であり、内容も一つだと知っているのだ。いわゆる、この世の縛りからの解放であり、欲望から離れることであり、執着を滅ぼすことであり、それらは究極の悟りに導くものであり、常に絶対的平安であり、空に到達するものである。仏はこのことを知っていても、衆生の心の願うところを観察して、これをいきなり説くことはしないのだ。このために、すべてを知る仏の智慧を説くことはしない。

迦葉よ。仏の説法を知って、すぐさま信じ受け入れるといことはあり得ないことなのだ。なぜなら、諸仏世尊の説法は理解しがたく、知りがたいからだ」。

その時、世尊は重ねてこの内容を述べようと、偈をもって次のように語られた。

存在に対する迷いを破る教えの王である仏は この世に出現され 衆生の求めに応じて さまざまに教えを説かれる 如来は尊く 智慧は深遠であり 長い間そのことを秘められ 速やかには語られなかった 智慧ある者ならば 聞いて信じ理解するが 智慧のない者ならば 聞いてもかえって長い間それを失ってしまう そのために迦葉よ 仏は能力に応じて説かれ あらゆる縁をもって 正しい見解を得させる 

迦葉よ まさに知るべきである たとえば この世に大きな雲が起こって 空を覆い 雲は多くの雨を含み 電光走り 雷の音が鳴り響き 人々を喜ばせ 日光を隠して 地上に涼しい風を吹かせ 普く雨を降らす その雨は四方に偏りがなく降り 大量の雨は流れ潤し地に満ちる 山や川や渓谷の奥深くに生えている草木や薬草や大小の木々 多くの穀物や芋やぶどうなど 十分に雨を受けて 乾いた地は潤い 薬草や木々は茂り その雲から降った同じ雨の水で 草木や林などは それぞれの種類に従って潤いを受ける すべての木々は 上中下 大小に従って それぞれ成長し 根・茎・枝・葉・花・果実・光・色など 同じ雨によって みな生き生きとする 同じ雨によって潤されているとは言っても その姿や性質が異なって それぞれ成長するように 仏もまたこのようである 

仏がこの世に出現することは たとえば大きな雲の 広くすべてを覆うようなものである すでにこの世に出現するならば 多くの衆生のために 本来一つの真理について さまざまに判断して教えを説く この世において大いなる世尊は 多くの天や人などすべての衆生の中において 次のように説く 私は如来であり 尊者である この世に出現することは 大きな雲が起こるようなものである 衰えているすべての衆生に力を与え 苦しみを離れ 平安の楽しみ この世における本当の楽しみ および悟りの楽しみを与える 多くの天や人は一心に聞くがよい みなここに来て この上ない尊者を見るがよい 私は世尊である 私に及ぶ者はない 衆生に平安を与えるために世に現われ 大衆のために 甘く清らかな教えを説く その教えは本来ひとつであり 解脱と涅槃を与えるものである 同じ妙なる声をもって この真理を説き明かす 常に大乗に関して説く 私はすべてを観察し 広く平等にして 片寄った心 愛憎の心はない 私は執着や疑いもない 常にすべてのために平等に教えを説く 一人のためにするように 多くの人々のためにする 常に教えを述べて それ以外のことはない すべての行ないにおいて 疲れたり嫌気がさしたりはしない この世を満たすことは 雨が広く地を潤すようなものである 貴賤の上下 戒律を保つ者破る者 威儀を備えている者備えていない者 正しい見解を持つ者誤った見解を持つ者 能力の優れた者劣った者などの区別なく 平等に雨を降らせて たゆむことはない 私の教えを聞くすべての衆生は その力に従って さまざまな段階にいる あるいは人や天や聖なる王たちなどは 小さな薬草にたとえられる また煩悩から解放された教えを知り しっかりと悟り さまざまな神通力を得て ひとり山林に住み 常に禅定を修し 縁覚の悟りを得る者たちは 中の薬草である 世尊に従って 自分は仏になると知って 精進し瞑想に励む者たちは 上の薬草である また仏の子であり 仏の道以外のことを考えず 常に慈悲を行ない 自ら仏になることに疑いを持たない者たちは 小樹である 神通力を発揮し 退くことのない教えを説き 数えられないほど多くの衆生を悟りに導く菩薩たちは 大樹と名付けることができる 仏の平等の教えは 同じ雨のようである 衆生の能力に応じて 受けるところが異なっていることは 草木が雨の潤いを受けるところが異なっているようなものだ 仏はこのたとえをもって 方便の力をもって開き示し あらゆる言葉をもって ある教えを説いたとしても 仏の智慧からすれば それは海の中の一滴のようだ 私は教えの雨を降らせて この世を満たす 同じ教えを力に応じて修行することは 樹木や薬草が その大小に従って成長するようなものである 諸仏の教えは 常に同じであって 広く聞く者を満たす 次第に修行して みな仏の道の果報を受け 声聞や縁覚が 山林に住んで 完全な悟りの境地に入る一段階前の境地にあって 教えを聞いて果報を得る これは薬草がそれぞれ成長することにたとえられる もし多くの菩薩が 智慧堅固であり この世の至るところでこの上ない教えを求めるならば これは小樹がそれぞれ成長することにたとえられる また禅定を修し 神通力を得て すべては空であるという教えを聞いて 心大いに喜び 無数の光を放って 多くの衆生を悟りに導く者は 大樹がそれぞれ成長することにたとえられる 

このように迦葉よ 仏の説く教えは たとえば大きな雲が 同じ雨をもって 人や植物などを潤し それぞれ成長させ 実を結ばせるようなものだ 迦葉よ まさに知るべきである さまざまな因縁や 多くの比喩をもって 仏の道を開き示すことは 私の方便である 諸仏も同じである 今あなたたちのために 最も真実なことを説く 多くの声聞たちは 最終的な悟りに達したのではない あなたたちの行なったことは まさに菩薩の道なのである これからも修学を続け みな仏になるべきである

(注:薬草喩品はこれで終わるが、サンスクリット原本では、この章はさらに長い。そこにはまたもうひとつの喩え話がある。生まれつき盲目の人が、医師からヒマラヤにある四種の薬草を用いた治療によって、目が見えるようになった。するとその者は、自分はすべてが見えると思った。しかし、仙人たちから、それは本当の意味ですべてが見えているのではないと諭され、修行をして悟りを開き、本当の意味ですべてが見えるようになる、という物語である)。

漢)。