大乗経典と論書の現代語訳と解説

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『法華経』現代語訳と解説 その22

法華経』現代語訳と解説 その22

 

妙法蓮華経授学無学人記品第九

 

その時、阿難(あなん)と羅睺羅(らごら)は、このように思った。

「私たちも記が授けられれば、どんなにうれしいことだろう。」

すぐに阿難と羅睺羅は座より立って、仏の前に進み、頭を仏の足につけて礼拝し、共に次のように語った。

「世尊よ。私たちにも、記を授かる恵みを与えて下さい。私たちの帰するところは、ただ如来のみです。また私たちは、すべての天や人や阿修羅にまで知られています。阿難は常に侍者として、多くの教えを守り保っています。羅睺羅は仏の子です。もし仏が、阿耨多羅三藐三菩提を得るという記を授けられるならば、私たちの願いはすでに満ち、また人々の望みも満足させられるでしょう」。

その時に、学・無学(注1)の声聞の弟子二千人は、みな座より起って、右の肩を出して、仏の前に進み、一心に合掌し、世尊を仰ぎ見て、阿難と羅睺羅と同じ願いをもって、片隅に座った。

その時に仏は、阿難に次のように語られた。

「あなたは未来世において、まさに仏になるであろう。山海慧自在通王如来(さんかいえじざいつうおうにょらい)といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達しており、世間を理解しており、無上のお方であり、人を良く導く方であり、天と人との師であり、仏であり、世尊である。六十二億の諸仏を供養し、教えを守り保ち、後に阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう。そして、二十千万億の大河の砂の数の菩薩たちを教化して、彼らに阿耨多羅三藐三菩提を成就させるであろう。その国を常立勝旛(じょうりゅうしょうばん)といい、その国土は清らかであり、地は瑠璃によってできている。その仏の出現する劫を妙音徧満(みょうおんへんまん)といい、その仏の寿命は測り知れないほどの長さである。もし人が長い間計算しても、計算し尽くせるものではない。正法が世に存在する時間は、この寿命の倍であり、像法が世に存在する期間は、さらに正法の倍である。

阿難よ。この山海慧自在通王仏は、十方の無量千万億の大河の砂ほど多くの諸仏如来に、その功徳をほめたたえられるであろう」。

その時に世尊は、重ねてこの内容を述べようと、偈をもって次のように語られた。

「私は今 僧侶の中において説く 教えをよく保つ者である阿難は まさに諸仏を供養し その後に悟りを成就するであろう その名を山海慧自在通王仏という その国土は清らかであり 常立勝旛と名づけられる 多くの菩薩を教化すること その数は大河の砂の数のようである その仏は大いなる威徳を持ち その名は十方に聞こえ その寿命は測ることができない 衆生をあわれむために 正法の期間はその寿命の倍であり 像法もまたこの倍である 大河の砂の数ほどの多くの衆生 その仏の教えの中において 仏の道の因縁を植えるであろう」

その時、会衆の中に、新たに悟りを求める心を起こした求道者が八千人いたが、次のように思った。「私たちは今まで、多くの大菩薩たちに対してさえ、このような授記のことは聞いたことがない。ましてや、多くの声聞が記を授かるとは、どのような理由なのであろうか」。

その時に世尊は、多くの求道者の心を知られ、次のように語られた。

「多くの良き男子たちよ。私は過去、阿難たちと、空王仏という仏の国において、共に阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こしたのだ。阿難は常に多く教えを聞くことを願い、私は常に努めて精進した。このために、私はすでに阿耨多羅三藐三菩提を得ることができたのだ。このように阿難は、私の教えを守り保ち、また将来も諸仏の教えを守って、多くの菩薩たちを教化して成就させるのだ。それは彼の誓願であった。そのために記を授かることとなったのだ」。

阿難は目の当たりに、仏の前における自分の授記、およびその国土の荘厳なることを聞き、願うところはすべて成就したことを知って、大いに喜び、未曾有のことを得た。彼は即時に過去の無量千万億の諸仏の教えを思い出し、それらを目の前で聞いているように、何ら妨げなく念じることができた。そして、その本願を知った。

その時に阿難は、偈をもって次のように語った。

「世尊は非常に不思議な方である 私に過去の無量の諸仏の教えを思い出させてくださった それは今聞いているようだ 私は今 何ら疑問もなく 仏の道において安らかである 私は方便をもって仏の侍者となって これからも諸仏の教えを守り保とう」

その時に仏は、羅睺羅に次のように語られた。

「あなたは来世において、まさに仏となるであろう。蹈七宝華如来(とうしっぽうげにょらい)といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達しており、世間を理解しており、無上のお方であり、人を良く導く方であり、天と人との師であり、仏であり、世尊である。まさに十の世界を砕いてできた粉粒の数ほどの諸仏如来を供養するであろう。常に今のように、諸仏の長子となるであろう。この蹈七宝華仏の国土の荘厳なる様子は、寿命の劫数、教化する弟子の数、正法、像法の年数などは、山海慧自在通王如来と全く同じである。そして、その仏の長子となって、それから阿耨多羅三藐三菩提を得るであろう」。

その時に世尊は、重ねてこの内容を述べようと、偈をもって次のように語られた。

「私が出家前の太子であった時 羅睺羅は私の長子であったが 私が仏の道を成就して以後 その教えを彼に授け 彼は私の教えの子となった 彼は未来世において 無量億の仏に仕えるが その度ごとに仏の長子となって 一心に仏の道を求めるであろう このような羅睺羅の密かな行ないは ただ私だけがよく知っている 現在は私の長子となっているが このことを通して多くの衆生に示す 彼の無量億千万の功徳は数えることができない 仏の教えに安住して無上の道を求めている」

その時に世尊は、学と無学の二千人をご覧になり、彼らの心が素直で寂然として清らかであり、一心に仏を見上げていることを知られた。

そこで仏は阿難に次のように語られた。

「あなたは、この学と無学の二千人を見るか」。

「はい。見ております」。

「阿難よ。この人々は、まさに五十の世界を砕いて粉にしたほどの数の諸仏如来を供養し、尊敬し師事し、その教えを守り保ち、その後に同時に、十方の国において、それぞれ仏になるであろう。その仏の名は、皆同じく宝相如来(ほうそうにょらい)といい、供養を受けるべき方であり、遍く正しい知識を持ち、勝れた所行を具え、善い所に到達しており、世間を理解しており、無上のお方であり、人を良く導く方であり、天と人との師であり、仏であり、世尊である。寿命は一劫である。その国土の荘厳なる様、声聞、菩薩、正法、像法などについては、すでに述べた通りである」。

その時に世尊は、重ねてこの内容を述べようと、偈をもって次のように語られた。

「今私の前にいる二千人の声聞たちすべてに記を授けよう それぞれ未来世に仏となるであろう 供養する諸仏の数は すでに説いた数と同じである その諸仏の教えを保ち守り 後にまさに悟りを得るであろう それぞれ十方の国において すべて同じ名の仏となる 道場に座り この上ない智慧を得て みな宝相という その国土および弟子 正法と像法などについては すべて同じである あらゆる神通力をもって あらゆる方角の衆生を悟りに導き その名は広く聞こえ その後完全な悟りの境地に入るであろう」

その時に学と無学の二千人は、仏の授記の言葉を聞き、躍り上がるほど喜んで、偈をもって次のように語った。

「世尊は智慧の燈明である 私たちは授記の御声を聞き 心に歓喜が充満したことは 甘露(かんろ)をもって注がれるようである」

 

注1・「学・無学」 「学」とは、まだ学ぶべきことが残っている者を指し、題名にもある通り、「授学」ともいう。一方、「無学」とは、もはや学ぶべきことは残っていない者たちを指す。