大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

立正安国論 現代語訳と解説 後半

客人は少し和らいで言った。

おっしゃること、すべて理解したわけではありませんが、ほぼ、その内容はわかりました。しかし、京都から鎌倉に至るまで、仏教界の棟梁とも言うべき中心的な人物がいます。そのような人たちは、誰も幕府に訴えることもせず、朝廷に上奏した者もいません。あなたは卑しい身分をもって、たやすく悪口を言うのではありませんか。おっしゃることは議論の余地があることで、いわれのないことではありませんか。

 

主人が言った。

私は能力もない者ではありますが、恐れ多くも、大乗を学ぶ者です。ハエも駿馬の尾についていれば万里を走り、つるを伸ばす植物も松のてっぺんに至れば、自らの長さもそれと同じになります。仏の弟子となって、あらゆる経典の中で最も優れた法華経に仕える者としては、どうして仏法の衰えるのを見て、悲しむ心情を起こさないでいられるでしょうか。

その上『涅槃経』には、『もし良い僧侶がいて、仏法を破る者を見て、そのままにしてしまって、責めもせず追い出すこともせず罪を指摘しなければ、まさに知るべきである。その人は仏法の中の怨敵である。もし責め追い出し罪を指摘するならば、まさに私の弟子であり、声聞(しょうもん・仏の声を聞く者、すなわち弟子)である』とあります。私は良い僧侶ではありませんが、仏法の中の怨敵と責められることを避けるために、ただ概略を述べて、その一端を示しています。

そのうえ、去る元仁年中に比叡山延暦寺と奈良の興福寺から、たびたび朝廷に奏上が出され、その結果、天皇からの勅宣や幕府からの御書が下され、法然の『選択集』の版木を比叡山の大講堂に取り上げ、過去・現在・未来の仏の恩に報いるために、これを焼き捨てさせました。また法然の墓は、延暦寺配下の用人に申し付けて、これを壊しました。そして法然の高弟である隆観、聖光、成覚、薩生たちは流罪になったのですが、その後、いまだにそれが赦されていません。

このように、あなたは、誰も幕府や朝廷に訴える者がいないとおっしゃいましたが、そのようなことはないのです。

 

客人は穏やかになって言った。

あなたも、浄土宗の諸経典を見下し、法然という僧侶を非難しているではありませんか。

しかし、確かに大乗仏教の二千八百八十三巻にも及ぶ経典と、すべての諸仏菩薩、および多くの諸天善神などを、「捨てよ、閉じよ、排除せよ、投げ打て」の対象としてしまったことは明らかで、それは決して良いこととは思えません。そうかと言って、それはわずかばかりの傷のようなもので、あなたはそのわずかな傷を取り上げて、強く批判しています。私には、法然聖人が迷って言っているのか、悟って言っているのかよくわかりません。そしてあなたの意見と法然聖人と、どちらが賢く、どちらが愚かで、良いのか悪いのか、判断がつきません。ただし、あなたはすべての災難は『選択集』にあるとおっしゃって、さかんに非難されています。

しかし、そもそも天下泰平国土安穏は、君臣や民が同じく願うものです。国は教えによって栄え、教えは人によって尊いのです。国が亡んで人が滅んでしまうならば、仏を誰が崇めるでしょうか。教えを誰が信じるのでしょうか。まず国家のために祈って、そして仏法を立てるべきです。もし災難を消し止める方法があるならば、是非聞きたいものです。

 

主人が言った。

私はあくまでも愚かな者であり、賢いのではありません。ただ、経典の言葉について、わずかながら意見を述べたいと思います。

そもそも災難を収める方法は、仏教の経典にも、また他の宗教の聖典にも、たくさん記されているではありませんか。それらすべてをあげることは困難です。

ただし、仏道に入った者として、私の愚かな考えを巡らせば、正しい教えをそしる者を排除して、正しい教えを行なう者を重んじれば、国内は平安であり、天下泰平となります。

すなわち、『涅槃経』には次のようにあります。

「誰にでも布施することは称賛されるべきことであるが、それは、ただ一人を除いてのことである。では、ただ一人の人とは誰であろうか。それは一闡提(いっせんだい・仏になれない者のこと。しかし、『涅槃経』では、その一闡提にも仏になれる可能性である仏性があると説くが、日蓮上人の引用の趣旨はそこにはなく、あくまでも最悪の者という意味でこの文を引用している)である。さらに、ではその一闡提とはどのような者であろうか。それは、正しい教えを非難する者のことである」。

また同じく『涅槃経』には「どんな生き物であっても、それを殺してしまえば、死後、その者は悪い報いを受けなければならない。しかし、一闡提を殺してしまっても、その者は悪い報いは受けない」とあります。

また『仁王経』には、「正しい教えは僧侶や尼僧に委ねないで、多くの国王に委ねるべきである。なぜならば、僧侶や尼僧には、王のような正しい教えを守る力がないからである」とあります。

また『涅槃経』には、「今、この上ない正しい教えを、多くの王や大臣および僧侶や尼僧、在家の人たちに委ねる。もし正しい教えを破る者があるならば、正しい教えを委ねられた者は厳しくこれを罰しなさい」とあり、また「私は正しい教えを守ったという功徳によって、仏となったのだ。僧侶でない在家の者で、正しい教えを守る者は、戒律を持つよりも、武器を持って正しい教えを守るべきである」とあり、また「在家の者で、戒律を保つ者があっても、その者は大乗を行じる人とは言えない。戒律を保たなくても、正しい教えを守る者を、大乗を行じる人と名付けるのである」とあります。

また、同じく『涅槃経』には次のようにあります。

「善き男子よ。過去の世に拘尸那(くしな)城において、ある仏が世に出られた。名は歓喜増益如来という。その仏が涅槃を表わされた後(注:世から去られた後という意味)、正法(しょうぼう・仏が入滅された後に、その仏の正しい教えが世に行なわれる期間)は無量億年もの長い期間だった。その正法の時代も残り四十年となった時、一人の戒律をよく保つ僧侶がいた。名は覚徳という。その時に多くの破戒の僧侶がいた。覚徳が説法をする時、刀杖をもってこの法師を迫害した。その時の国王の名は有徳というが、王はこのことを聞き、護法のために、すぐに説法者の所に行って、この多くの破戒の悪しき僧侶たちと激しく戦った。こうして、説法者は危害を免れた。しかし王は多くの刀や槍の傷を受け、体に傷がないところは芥子粒ほどしかなかった。その時に覚徳は王を褒めて『良いことです、良いことです。王は今、まさに正しい教えを護る者となりました。まさに来世では、その体は無量の教えの器となるでしょう』と言った。王はこうして正しい教えを聞くことができ、心は大いに歓喜しながら、やがて寿命を終えた。そして阿閦仏(あしゅくぶつ)の仏国土に生まれたが、しかもその仏の第一の弟子となった。そして、その王の家来や人民や、共に戦った人々、そして正しい教えに歓喜した者たちは、すべて悟りを求める心を失わず、命終えてからは同じく阿閦仏の仏国土に生まれた。覚徳も寿命が尽きて、同じく阿閦仏の仏国土に往生し、その仏の弟子である声聞衆の中の第二の弟子となった。正しい教えが滅びようとしている時、まさにこのように教えを受け保ち、擁護すべきである。摩訶迦葉よ。その時の王とは、すなわち今の私なのだ。そして、その正しい教えを説いた僧侶は、迦葉仏(かしょうぶつ・この摩訶迦葉のことではなく、釈迦より過去にいたとされる過去七仏の六番目の仏)である。摩訶迦葉よ。正しい教えを護る者は、このように無量の果報を得るのである。この因縁をもって、私は今日において、種々の仏の姿を得て自らを荘厳し、法身不可壊(ほっしんふかえ・真理が人格化した法身は損なわれることはないという意味)の身体を成就したのだ。さらに仏は、摩訶迦葉に語った。このように、正しい教えを護ろうとする在家信者たちは、まさにこのように、刀杖を執持して擁護すべきである。善き男子よ。私の涅槃の後、悪しき世となって国土が荒れ乱れ、互いに奪い合い、人民は飢餓状態となるであろう。その時に飢餓のために出家する者たちがいるであろう。そのような者たちを禿人(とくにん・単なる禿げ頭の人という意味)という。その禿人の輩は、正しい教えを護り保つ者を見ると、追い出し、殺し、傷つけるであろう。そのために、正しい教えを保つ僧侶は、刀や杖などの武器を持つ在家の人々と共にいるべきなのである。その在家の人々は、正しい教えを守ることによって、戒律を保つ者と名付けるのである。ただし、刀や杖を持つと言っても、それは防御と教えを守るためであって、人の命を断ってはならない」。

(注:「飢餓のために出家する者たち」とあるが、とりあえず、僧侶の形をしていれば、食べ物にありつけるだろうとする者たちは、いつの時代にも多かったと思われる。また、日蓮上人の弟子で、武士であった四条頼基という人物がいるが、後に日蓮上人が龍ノ口で処刑されそうになった時もそこにいて、共に切腹しようとするまでの熱心な弟子であった。また後に日蓮上人は佐渡で、この武士宛に『開目抄』を記した。武士であり弟子である者にとって、このような経文はまさに自らに語られた言葉として、信仰の指針としていたに違いない)。

さらに『法華経』には「もし人がこの法華経を信じないで誹謗するならば、仏になる可能性を完全に失うことになり、その人は死んでから地獄の底に落ちる」とあります。

このように、経典には明確に記されており、あえて私が何かを付け加える必要もないくらいです。そもそも『法華経』にある通りならば、大乗経典を誹謗する者は最も重い罪であり、地獄の底に落ちて、そこから非常に長い間出ることはできないことになります。また『涅槃経』にある通りならば、最も重い罪を犯した者に布施することは許されても、大乗経典を誹謗する者に対する布施は許されないことになります。また蟻を殺す者が、死後に悪しき世界に堕ちたとしても、大乗経典を誹謗することを止める者は、悟りに向かって退くことのない位に昇るでしょう。そして、その証拠として、覚徳は迦葉仏となり、有徳王は釈迦であると説かれています。

法華経』と『涅槃経』は、釈迦の教えの中でも最も中心的な経典です。したがって、この経典を非難することを禁ずる戒めは重いのです。誰が従わずにおられましょうか。

それにもかかわらず、非難する人々は正しい道に歩むことを忘れ、さらに、法然の『選択集』によって、さらに愚かさを増し加えています。そのため、法然の遺体を慕って、その木像を作ったり絵に描いたり、またはその誤った教えを信じて、それを版木で印刷して日本中に広めたりしています。そしてひたすら念仏する集団だけが尊ばれ、その門弟にのみ布施をするということが行なわれています。

このように、釈迦如来像の指を切って、阿弥陀如来の印相(いんそう・仏菩薩などの手の印の結ぶ形)に変え、東方瑠璃光浄土の薬師如来の像を、西方極楽浄土阿弥陀如来の像にすり替え、あるいは四百余年間も続いてきた、『法華経』を書写する修行方法である如法経も、浄土三部経を書写するように変えられ、また、天台大師の法会(ほうえ)も、善導の法会になってしまいました。このようなことは数えきれません。これこそ、仏を破ることではありませんか。正しい教えを破ることではありませんか。僧侶を破ることではありませんか。このような悪しき教えは、『選択集』によることです。なんと悲しいことでしょうか。仏の戒めに背いていることは、哀れなほどです。早く世間の災難を鎮めることを考えるならば、国中に蔓延するこの誤った行為と教えを排除すべきです。

 

客人は言った。

もし、そのような正しい教えを非難する者たちを罰し、仏の戒めを破る者を断つならば、経典の言葉通り、死罪としなければならないのでしょうか。もしそうならば、殺害の罪を犯してしまいます。すなわち、『大集経』には「僧侶となった人に対しては、誰でも供養すべきである。なぜなら、僧侶を供養することは、仏を供養することだからである。もし彼らを打つならば、それは仏の子を打つようなものである。もし僧侶に対して悪口を言うならば、仏を辱めることになるのだ」とあります。

したがって、善悪を論ぜず是非を選ばず、僧侶ならば、供養しなければなりません。どうしてその子を打って、その父を悲しませることができましょうか。

竹杖外道(ちくじょうげどう・人の名前。外道とは仏教に敵対する宗教を指す)は、釈迦の弟子の目連(もくれん)を殺したため、非常に長い間地獄の底に沈み、また提婆達多(だいばだった)は釈迦の弟子の蓮華比丘尼(れんげびくに)を殺したため、非常に長い間、地獄の火に焼かれ続けました。このようなことは明らかなのですから、後の人も恐れなければなりません。正しい教えを非難する者を断罪することは、正しいことのようですが、かえって、仏の戒めを破ることになります。もちろん、そのようなことはしてはならないことですから、あなたの言葉をどう解釈すればいいのでしょうか。

 

主人は言った。

あなたは明らかに経典を読みながら、まだそのようなことをおっしゃるのですか。まだわからないのですか。私は、仏の子を排除しようとするのではなく、正しい教えを非難することをやめさせようとしているのです。すなわち、非難する者に布施しない、ということです。そのようにして、この世のすべての人々が、正しい教えを非難する者に布施をせず、正しい教えを受け入れれば、どうして災難が起こりましょうか。

 

客人はすかさず座を空け、襟を正して言った。

今、仏の教えは多くの宗派に分かれていて、それぞれの教義は究めがたく、疑問もわき、合理的とは思えませんでした。ただし法然聖人の『選択集』は、確かにその中に、あらゆる経典をはじめ、諸仏諸菩薩、諸天善神などを捨てよ、閉じよ、排除せよ、投げ捨てよ、という文があります。それによって、聖人は国を去り、善神は場所を捨て、世の中は飢え乾き、疫病が流行しているということを、主人は広く経文を引いて、道理を明らかに示してくださいました。このため、私の誤った執着は翻り、耳も目も明らかになりました。

国土泰平、天下安穏は誰であっても願うところです。いち早く、正しい教えを非難する者に対する布施をやめて、多くの僧侶や尼僧たちを供養し、仏教界の混乱を収め、教えを整えれば、この世は理想的な世界となり、国は平和な国土となりましょう。そうした後、仏の教えの優劣を研究して、その中の最高の教えを受け入れ、本当の師を崇めたいと思います。

 

主人は喜んで言った。

鳩が鷹になり、雀が蛤(はまぐり)となる、という昔の言葉がありますが、誠に喜ばしいことです。あなたは私のもとに来られ、麻のような真っすぐな心となられました。本当に、近年の災難を顧みて、私の言葉を信じるならば、風は和らぎ波は静かになって、間もなく豊作となるでしょう。ただし、人の心は時に従って移り変わり、物質の性質は環境によって決まります。たとえば、水に映った月は波が動けば動き、それは戦の中の剣が光るようです。あなたは今ここでは受け入れるとおっしゃっても、後には忘れてしまうかも知れません。もしこの国を安らかにして、現在と来世のために祈ろうとするならば、すぐに身心を尽くして、誤った教えを滅ぼさねばなりません。

それはなぜでしょうか。『薬師経』には、「伝染病、外国から侵略される災難、国内で起こる反逆、星の運行に起こる異変、太陽や月の日食や月食、暴風雨、干ばつ」という七つの災難が記されていますが、そのうちの五つはすでに起こっており、二つの災難が残っています。それは、「外国から侵略される災難、国内で起こる反逆」です。

また『大集経』には、「凶作、戦争、疫病」の三つの災難が記されていますが、そのうちの二つはすでに起こっており、一つが残っています。それは戦争です。

また『金光明経』に説かれているさまざまな災難も次々と起こりましたが、「多くの他国の兵士が国を侵略する」という災難はまだありません。

さらに『仁王経』にある七つの災難のうち六つまでは起こっていますが、最後の一つが起こっていません。それは、「他国が国を侵略し国内でも内乱が起こる」という災難です。しかも、「国が乱れる時は、鬼神が騒ぐ。鬼神が騒ぐために、多くの民が乱れる」とあります。今この文について考えますと、すでに多くの鬼神は騒いでおり、多くの民が滅んでいます。まず起こる災難が起こっているのですから、それに続いて起こる災難は間違いなく起こります。

もし残っているこの「他国が国を侵略し国内でも内乱が起こる」という災難が、誤った教えがあるために起こったらどうなるでしょうか。国王というものは、国家を基盤として天下を治め、人々は田園を持って社会を保っています。しかし、他国が国を侵略し、同時に国内でも内乱が起こったならば、どうして驚かないでいられましょうか、どうして騒がないでいられましょうか。国を失い家をなくせば、どこに逃れればいいのでしょうか。あなたはあなた自身の平安を祈り求めるならば、まずは国の平穏を祈るべきではないでしょうか。そもそも、人は生きている間、死後のことを恐れるものです。そのために、ある人は誤った教えを信じ、ある人は正しい教えを非難する言葉を受け入れてしまう。私はもちろん、人々が仏の教えについて迷うことを悲しむけれども、それでもそのような人々が、引き続き仏の教えを慕っていることを哀れに思うのです。どうして仏に対する信心を持っていながら、誤った教えを受け入れてしまうのでしょうか。もしその執着する心が翻らないで、ねじ曲がった心がそのままならば、早々にこの世を去って、地獄の底に落ちてしまうでしょう。

なぜなら、『大集経』に次のようにあるからです。

「もし国王がいて、大変長い間、施しをして、戒律を守り、仏の教えを学んでも、仏の教えが滅んでいくことを見て見ぬふりをして、それを止めようとしなければ、今までの良い行ないも、すべて無に帰す。さらにその王は間もなく重い病にかかり、死後、地獄に落ちるであろう。そして王ばかりではなく、夫人も太子も大臣も城主も役人たちも、同じようになるであろう。」

さらに『仁王経』に次のようにあります。

「人が仏の教えを破ってしまうなら、親孝行する者なく、親族に不和が生じ、天神も助けず、疫病、悪鬼が毎日襲って来て、災難や精神的圧迫が続き、死後は地獄、餓鬼、畜生の悪しき世界に堕ちるであろう。もし、そこから出られて再び人と生まれたとしても、兵士とさせられてしまうであろう。音や影が残るように、また、夜に書物を読んでいる時、灯火が消えてしまっても、文字はそのままあるように、その悪い因縁は何度生まれ変わっても、残り続けてしまうであろう」。

また『法華経』には、「もし人がこの法華経を信じないで非難するならば、その人は死語に地獄の底に堕ちるであろう」とあり、また同じ経典の他の箇所にも、「その人は死後、数えきれないほど長い間、地獄の底にいて、大きな苦痛を受け続けるであろう」とあります。

さらに『涅槃経』には、「良い友を遠ざけ、正しい教えを聞かず、悪しき教えを受け入れれば、その因縁のために地獄の底に堕ちて、途方もない苦しみを受けるであろう」とあります。

このように、経典を開いてみると、正しい教えを損なうことが、最も重い罪であるとしています。悲しいことに、みな正しい教えの門から出て行き、深く誤った教えの獄屋に入ってしまっています。なんと愚かなことでしょうか。それぞれ悪しき教えの綱に捕らえられ、永遠に正しい教えを損ねる網にかかってしまっています。これは霧に迷うことであり、盛んな火の中に沈むようなものです。どうして憂えずにいられましょうか。どうして苦しまずにいられましょうか。

あなたは早く正しい信心を持ち、速やかに唯一なる真実の教えを受け入れなさい。そうすれば、あなたにとってこの世は仏の国となるでしょう。仏の国ならば、衰えることはありません。あらゆる方角の国土も、宝の国となるでしょう。宝の国ならば、滅びることはありません。その国が衰微せず、国土に破壊がなければ、その身は安全であり、心はいつも平安です。この言葉は信じるべきであり、崇めるべきです。

 

客人は言った。

今の世においても次の世のいても、誰が慎まないでいられましょうか。誰が受け入れないでいられましょうか。経典を開いて仏の言葉をいただいて、正しい教えを非難する罪がいかに重いかよくわかりました。私は今まで、阿弥陀仏というたった一人の仏だけを信じ、他の仏たちを捨ててしまい、『浄土三部経』だけを仰いで、他の経典を捨ててしまったことは、私が考えたことではなく、悪しき指導者によることです。それは他の人たちも同じでしょう。そのままだと、この世においては心悩まされ、来世には地獄に堕ちてしまうということは、経典の文に明らかであって、疑う余地はありません。さらにあなたの慈しみ深い教えを仰ぎ、さらに愚かな人たちの悪しき心を開き、速やかに悪を退治し、早く国家泰平となるよう、まずはこの世を平安にして、死後の世への功徳を積んでいきたいと思います。ただ私だけが信じようとするのではなく、他の人の誤りを正したいと思います。

 

 

立正安国論奥書(おくがき)

 

文応元年(1260年)にこの『立正安国論』を記した。

正嘉年間(1257年~1259年)から書き始めて文応元年に記し終えた。

去る正嘉元年八月二十三日の大地震を体験して、この書について考え始めた。文応元年七月十六日に宿屋左衛門光則(執権北条時頼の側近)を通じて、今は亡き最明寺入道殿(=執権北条時頼)に奉った。

その後、文永元年(1264年)七月五日に現われた大きな彗星の時、いよいよこの災難が始まることを悟った。

文応元年より文永五年(1268年)正月十八日に至るまでの九年を経て、西の国である大蒙古国から日本を攻めるという書状が来た。また翌年の六年にも再び書状が来た。

これらはすでにこの『立正安国論』に記した文と合致している。このことから、これからもその通りになるだろう。

この書には予言が記されている。これは日蓮の力ではない。『法華経』の真実の文に霊感を得て記したのである。

 

文永六年(1269年)十二月八日これを写す。

 

(完)

 

(注:日蓮上人は、佐渡で記した『開目抄』の中で、「日本に仏法わたりてすでに七百余年、ただ伝教大師一人ばかり法華経をよめり」とあり、また、同じく佐渡で記した『観心本尊抄』には「夫れ仏より滅後一千八百余年に至るまで、三国に経歴して但三人のみ有りて始めて此の正法を覚知せり。所謂月支の釈尊、真旦の智者大師、日域の伝教此の三人は内典の聖人なり」とある。日蓮上人は、ひたすら、釈迦はもちろん、天台智者大師と伝教大師をあがめ、また、いわゆる「本尊」とされる「南無妙法蓮華経」の題目のまわりに、多くの諸仏諸菩薩諸天神と祖師たちの名が記されているが、そこにも、天台大師、妙楽大師、伝教大師の名がある。このように、日蓮上人は『法華経』とその『法華経』に基づいて大乗仏教を総括した天台大師の『法華玄義』の教えを広めようとした人物である。しかしその前に立ちはだかった現実が、法然上人の教えが多くの人々の心をとらえていたということだった。経典によると、邪教が広まれば国が亡ぶとあり、実際、その言葉通り、元が攻めて来るということになった。国が滅んでしまえば、正しい教えも『法華経』もないわけであるから、まずこの「邪教」に対決する必要があったのである。その先駆けとして、この『立正安国論』が記され、執権北条氏に奏上されたわけだが、これにより多くの迫害を受けるようになった。国は滅びに向かい、自身もその弟子たちも激しい迫害にあう、という現実の中で、日蓮上人の働きが表わされ、その著作も生まれていくわけである。もしこのようなことがなく、日蓮上人が天台大師、伝教大師の教えを日本に広めることに専念できていたなら、また大きく異なった日蓮上人の働きがあったに違いない。

さて、その天台大師の教義は、『法華玄義』に集約されるわけであるが、もちろん、『法華玄義』は、教義書であり、天台大師も、教えだけしかなければ、車の車輪の片方しかないようなもの、鳥が片方の翼だけで飛ぼうとするようなもの、他人の宝を数えるようなものと言っているように、必ず修行の実践が必要である。天台教学においては、それは『次第禅門』や『摩訶止観』に説かれる止観である。いわゆる坐禅瞑想であるが、現在、一般的に坐禅は無念無想を目的とすると思われているのと異なり、また、道元の「ひたすら座る」という只管打坐とも異なり、天台の止観は、観心と表現される心の観察である。それも、細分化された段階と、その時の心の状況に対応する多くの項目で成り立っているものである。しかしこれが天台大師における実践であるならば、それは天台大師や伝教大師当時の、バックに国がいて、僧侶はひたすら学びと修行に専念できる時代であるならば可能であったかもしれないが、すでに日蓮上人の時代では、それも困難となっていたであろう。ましてや、現在は言うまでもない。

そのような現実の中、日蓮上人は、『観心本尊抄』で具体的に記されているように、「南無妙法蓮華経」の題目と、その周りに多くの諸仏諸菩薩諸天神そして祖師たちの名を記したものを本尊とした。日蓮上人の『妙一尼御前御返事』に「夫れ、信心と申すは別にはこれなく候。妻のおとこをおしむがごとく、おとこの妻に命をすつるがごとく、親の子をすてざるがごとく、子の母にはなれざるがごとくに、法華経、釈迦・多宝、十方の諸の仏菩薩、諸天善神等に信を入れ奉って、南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、信心とは申し候なり」とあるように、日蓮上人は、『法華玄義』の教義に基づく実践は誰でも行なうことのできるものであり、それは諸仏諸菩薩諸天神そして祖師たちを信仰し、南無妙法蓮華経と唱えることなのだ、としたのである。現在では、その題目を唱えることばかりが強調されているが、実はそうではなく、その題目と共に、諸仏諸菩薩諸天神そして祖師たちの信心が重要なのである。

そして、日蓮上人は、どの書にもはっきり記していないようであるが、実行不可能となっている天台止観の実践という面を、この本尊と題目を唱えるということに置き換えていると私は確信する。もちろん、これは『立正安国論』以降のことである。

また、日蓮上人は、『法華経』以外のすべての信仰はすべて否定したと思われているが、それは佐渡で記された『開目抄』以降のことである。『開目抄』で、自分は『法華経』の行者であるという確信を得た日蓮上人は、とにかく『法華経』を第一としないすべての宗派やその教えに対して批判を繰り返すようになった。しかし、『立正安国論』の時点では、批判したのは法然上人の選択の思想であり、阿弥陀仏の信仰そのものでもないのである。阿弥陀仏の信仰も、『法華経』の教えによって、究極的には一つとされるのであり、『法華玄義』ではこのことを「相待妙・絶待妙」の教理として明らかにされている。純粋に『法華玄義』の教理に立てば、『法華経』の開会(かいえ)の思想によって、すべては一つとされるものであり、本質的に排除されるものではないはずである。

日蓮上人は、池上の地で亡くなる直前まで、この『立正安国論』を講義していたという。それほど、布教活動としては初期に記されたこの書が、日蓮上人の一生においては、非常に重要な書であったことがわかるのである。