大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳  20

『法華玄義』現代語訳  20

 

第二節 四悉檀について

四悉檀を解釈するにあたって、十種類の項目を立てる。まずその名称だけをあげると、釈名、弁相、釈成、対諦、起観教、説黙、用不用、権実、開顕、通経である。

 

第一項 釈名(しゃくみょう・「四悉檀」という名称について解釈する)

悉檀(しったん)という言葉は古代インド語「シッダンタ」の音写(おんしゃ)である。すなわち、たとえば「経」という意味の「スートラ」をそのまま修多羅(しゅたら)とするように、意味が深いので、あえて翻訳せずに音を漢字に当てただけの言葉である。また翻訳すれば、宗・墨(ぼく・建築の時に基準となる線を墨で引くところから基準という意味)・印(いん)・実・成就・究竟などという言葉にされるが、どれが妥当なのかわからない。

『菩薩地持経(ぼさつじじきょう)』の「菩提分品(ぼだいぶんぽん)」に「すべての移り変わるものごとは無常である。すべての移り変わるものごとは苦である。すべての実在には主体はない。悟りの境地である涅槃(ねはん)は寂滅(じゃくめつ)である。これを『四優檀那(しうだんな)』という」とあり、古代インド語の「ウダーナ」の音写語である「優檀那」を翻訳して印または宗とする。印とは、変えてはならない定まったことという意味である。仏や菩薩は、この教えをもって伝えるのである。

また同じくこの経に「仏が人々にわかりやすく説いた教えの言葉には、あるとかないとかいうことは当てはまらない。この教えの言葉は永遠に変わらないものである」とあり、また「過去の仏も変わることなくこの教えを伝えてきた」とあり、これは移り変わるものごとに対して、変わらない教えを印と名づけたのである。またこの経に「最も上に位置するものであり、他に比べることができないほどであり、変わらない教えを説いて、最上のもので人々を従える。これはこの世にはないことである」とあるのは、最も重要なことという意味の宗ということである。

以上のことから、優檀那が印または宗とすべきであり、悉檀をこの言葉に翻訳することはできないはずである。したがって、他の訳も受け入れることはできない。

南岳慧思(なんがくえし・天台大師の師)は、『涅槃経』の用語に従って、「悉檀」の「悉」は、「遍く」という意味の漢語であり、「檀」は「ダーナ」という古代インド語であって、「施す」という意味であると解釈している。つまり、仏は四つの教えを遍く人々に施すということで悉檀というと解釈している。