大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳  23

『法華玄義』現代語訳  23

 

⑩また、天台大師が『大智度論』の記述を引用しつつ、四悉檀について述べたそれぞれ四つの解釈の中に、さらに四悉檀が含まれている。

大師は、世界悉檀の解釈の中で、五陰・十二入・十八界のことを説いているが、それらが別々であることが世界悉檀である。そして、それらが合わさって人がいると説いていることが各各為人悉檀である。また世界に対しての真理の教えによって、世界に対する間違った考えを破ると説いているのが対治悉檀である。そして、正しい世界に対する教えによって、正しい世界の真理を悟ることが第一義悉檀である。

⑪また大師は、各各為人悉檀の解釈の中で、人々の能力はそれぞれ違いがあると説いたが、人とは過去の業によって、人それぞれあらゆる感覚や感受作用を持っている。これが世界悉檀である。そして、同じ教えでも、ある人は聞いて理解できると説いたが、これが各各為人悉檀である。また、ある人は理解できない、すなわち理解させなければならないと説いたが、これが対治悉檀である。さらに、あらゆる感覚や感受作用を受けないということが第一義悉檀である。

⑫また大師は対治悉檀の解釈の中で、この世の物事に貪欲な者には、この世の物事はすべて汚れたものであると心に観察することを教え、怒りを起こす者には慈悲の心を実践することを教え、誤った考えに陥っている者には、すべては因縁によって生じていることを心に観察することを教えると説いたが、対処の対象も対処法もそれぞれ別々であるので、これが世界悉檀である。また、悪病のような状態に対処するために、教えの薬を施すと説いたが、これが人に対することであるなら各各為人悉檀であり、悪病に対することであるなら対治悉檀である。そして悪病のようなものも、その本性はないのだ、ということが第一義悉檀である。

⑬また大師は第一義悉檀の解釈の中で、すべては真実であり(一切実)、すべては真実ではなく(一切不実)、すべては真実であり真実ではなく(一切亦実亦不実)、すべては真実でなく真実ではないことはない(一切非実非不実)という四句を説いたが、これは世界悉檀である。そして、諸仏や縁覚が心の中に得るところの法はどうして深い理法でないことがあろうか、ということは各各為人悉檀である。また、すべての言葉、誤った見解、すべての執着はみな破るべきであり、すべては真理に通じることができず、第一義のみが通じるということが、対治悉檀である。そして、言葉の道が断たれ、その法は涅槃そのものであるということが、第一義悉檀である。

⑭四悉檀を共通して解釈するならば、各悉檀が別々なことが世界悉檀であり、各悉檀が共通して人を導くものであることが各各為人悉檀であり、各悉檀が共通して誤りを破ることが対治悉檀であり、一つの悉檀の教えを聞いただけで、すべての教えを悟ることは第一義悉檀である。

⑮仏の教えの基礎的なものに、四諦(したい)あがる。四諦とは、すべてが苦しみであるという苦諦(くたい)と、苦しみはあらゆる執着欲望が原因であるとする集諦(じったい)と、執着欲望を滅ぼせば苦しみも滅ぶとする滅諦(めったい)と、欲望執着を滅ぼす方法を説く道諦(どうたい)の四つである。四悉檀をこの四諦に当てはめて解釈すると、苦諦と集諦はこの世の在り方を説いているので世界悉檀であり、道諦が人に対することであるなら各各為人悉檀であり、道諦がその滅ぼすべき執着欲望ということに対することであるなら対治悉檀である。そして、苦しみが滅ぶことを説く滅諦が第一義悉檀である。

問う:すでに『大智度論』にすべて記されている。なぜさらに解釈を述べるのか。

答える:その『大智度論』には、四悉檀には八万四千(はちまんしせん)という数えきれないほどの教えが含まれている」とある。したがって、以上のように十五項目を立てて解釈しても、何も悪いことではないではないか。