大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳  97

『法華玄義』現代語訳  97

 

◎天

天乗の位とは、十善道を修して、その程度に応じて成就するということが、天の因である。加えて、禅定を修し、さらに上の世界に昇る。天の果は、欲界・色界・無色界の三界において高下の違いがある。因である行を修す時、必ず深浅の違いがある。『正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)』に天について次のようにある(注:これ以下の天についての長い記述は、すべてこの経典からの引用ということで構成されている。なおこれらはあくまでも天の行位であり、つまり天の各位に住む存在を意味する。六欲天・四禅天・四無辺処などの天の各世界の説明ではない。天の世界も天と称し、そこに住む存在も天というので、混乱しないようにしなえればならない)。

〇持鬘天(じまんてん

「六万の山が須弥山を囲んでいる。この須弥山の四隅に四人の天が住んでいる。第一の天は持鬘天である。この天に十の住処(すみか)がある。それぞれの高さは千由旬(せんゆじゅん・由旬は途方もなく高い高さの単位)である。北に四つの住処があり、他の方角はそれぞれ二つの住処がある(注:北に四つ、他の東西南の三つの方角に二つずつ。合計十の住処となる。以下、その一つ一つの住処についての説明となる)。南方の一つの住処を白摩尼(びゃくまに)」と名付ける。十回拍手する間に、仏・法・僧の三法に帰依し、雑念を交えなかったので、この住処の楽を受けている。この住処での楽の一つは、人界の転輪聖王の楽を十六倍しても及ばない。あらゆる楽を与える法具は、すべて山河から流れ出る。南方のもうひとつの住処を峻崖(しゅんがい)と名付ける。昔、川の岸に渡し場を設けて橋船を造り、戒を保つ人を渡し、さらに他の人々を救い悪を行なわなかったためである。その果報は明らかである。西方のひとつの住処を果命(かみょう)と名付ける。昔、飢饉が起こった世において、清らかな戒を保ち、身と口と心を清め、果樹を植えてこれを食べ、人々を安楽で満たしたためである。もうひとつの住処を白功徳(びゃくくどく)と名付ける。昔、花の飾りである華鬘(けまん)をもって仏の上、および仏塔の上に注いだためである。東方のひとつの住処を一切喜(いっさいき)と名付ける。昔、花をもって戒を保つ人を供養し、仏を供養した。自分の財力をもって花を買った。その果報はわかるであろう。もうひとつの住処を行道(ぎょうどう)と名付ける。昔、大火が起こった時、衆生が焼け死ぬのを見て、水をもってこれを鎮火させた。その果報はわかるであろう。北方の四つの住処は、第一を愛欲(あいよく)と名付け、第二を愛境界(あいきょうかい)と名付け、第三を意動(いどう)と名付け、第四を遊戯林(ゆげりん)と名付ける。第一の住処は、他の親友が争って訴え合うのを和合させたためである。第二の住処は、昔、説法の集会に参加した人ためである。第三の住処は、清い信心をもって僧侶たちを供養し、塔を掃除し、良い教えを受け入れたためである。第四の住処は、昔、信心をもって僧侶に衣を布施し、ひとつの果実の値段を施して衣を作る値とし、共に楽しみ喜んだためである。

〇迦留波陀天(かるはだてん)

第二の天は迦留波陀天である。漢語で象跡(ぞうしゃく)と翻訳される。この天にまた十種の住処がある。第一の住処を行蓮華(ぎょうれんげ)と名付ける。昔、心に戒を保ち、三宝に帰依し、南無仏と唱えたためである。この住処での蜂の音でさえ、他の天より優れている。ましてや、他の果報は言うまでもない。第二の住処を勝蜂歓喜(しょうほうかんぎ)と名付ける。昔、信心をもって戒を保ち、慈悲をもって衆生に利益(りやく)を与え、花や伎楽をもって仏塔を供養したためである。第三の住処を妙声(みょうしょう)と名付ける。昔、仏に宝蓋(ほうがい・宝でできた傘のような覆い)を布施したためである。第四の住処は香楽(こうがく)と名付ける。昔、信心をもって戒を保ち、香をもって仏塔に塗ったためである。第五の住処は風行(ふうぎょう)と名付ける。昔、信心をもって戒を保ち、僧侶に扇を布施して涼を得させたためである。欲界の六つの天(=六欲天)に吹く香風がすべてこの住処に吹いて香りをつけ、ますますその香りは増す。香風がそのようであるから、ましてや香風を念ずるならば、その念に従って香風を得る。第六の住処は散華歓喜(さんげかんぎ)と名付ける。昔、戒を保つ人に会い、戒律について説く時、手を洗う水がめを施したり、あるいは、道路にきれいな水を置いて、手を洗う水がめとして施したりしたためである。第七の住処は普観(ふかん)と名付ける。昔、戒を保つ人に対して善を施し心に励ましを与え、戒を破る人が病んで恵みを求めないことに対して、共に悲しむ心をもって安楽を施し、心に疲れを感じないで病人を助けたためである。第八の住処は常歓喜(じょうかんぎ)と名付ける。昔、法を犯す者が罰せられて死ぬところを、身代金をもって命を贖い、自由の身とさせたためである。第九の住処を香薬(こうやく)と名付ける。昔、戒を保って仏・法・僧の三法を信じる立派な人物に抹香(まっこう・香木を粉末にしたもの)や塗香(ずこう・身を清めるために身に塗る香)を施し、清らかな心をもって供養し、正統な方法をもって金銭を得てそれを施し、共に喜んだためである。第十の住処を均頭(きんず)と名付ける。昔、人が王に対して罪を犯し、頭をつるされ処刑されるところを救ったためである。

〇常恣意天(じょうしいてん)

第三の天は常恣意と名付けられる。この天にまた十種の住処がある。第一の住処を歓喜峯(かんぎぶ)と名付ける。昔、神木や夜叉(やしゃ・仏法を守る鬼神のひとり)の宿る樹木を守り、樹木があれば楽しみ、樹木を失えば悲しんだためである。第二の住処を優鉢羅色(うはつらしき)と名付ける。昔、清らかな信心をもって戒を保ち、三宝を供養し、優鉢羅華(うはつらけ・青い蓮華の花)の池を作ったためである。第三の住処を分陀利(ふんだり)と名付ける。昔、分陀利(白い蓮華の花。プンダリーカ。『法華経』のサンスクリットの題が「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」であり、『法華経』の「華」は、この「分陀利」である)の花の池を作ったためである。第四の住処を彩地(さいち)と名付ける。昔、清らかな信心をもって僧侶のために袈裟の布を染め、法服を染めたためである。第五の住処を質多羅(しつたら)と名付ける。漢語で雑地(ぞうじ)と翻訳する。昔、いろいろな食事をもって、戒を保ち破らない人に施したためである。第六の住処を山頂(せんちょう)と名付ける。昔、家を建てて寒風を遮断し、人に使用させたためである。第七の住処を摩隃(まちゅう・「隃」は阝ではなくイ)と名付ける。漢語で美地(びじ)と翻訳する。昔、戒を保ち、悲心がまっすぐで、人を悩ますことがない。仏道の僧侶やバラモンに食事を施し、あるいは、一日、あるいは、多くの日、あるいは毎日施したためである。第八の住処を欲境(よくきょう)と名付ける。昔、戒を保ち、誤った教えのために病気になった者に休む場所を施したためである。第九の住処を清涼(しょうりょう)と名付ける。昔、臨終をむかえた病人を見て、砂糖水あるいは冷たい水を病人に与えたためである。第十の住処を常遊戯(じょうゆげ)と名付ける。昔、座禅をする人のために房舎を作り、そこに死体の絵を描いて不浄観をさせたためである。

箜篌天(くごてん)

第四の天は箜篌天と名付けられる。この天にまた十種の住処がある。第一の住処を楗陀羅(けんだら)と名付ける。昔、園の林の甘いマンゴーなどの果樹をもって僧侶に施したためである。第二の住処を応声(おうしょう)と名付ける。昔、誤った教えに陥った人のために、ひとつの詩偈の教えを説いて、これによって心清く仏を信じるようにさせたためである。第三の住処を喜楽(きらく)と名付ける。昔、人においしい飲み物、清らかな味の水を施し、あるいは井戸の口に覆いを作って、虫や蟻などが入らないようにして、旅人がこれを飲むにあたって支障がないようにしたためである。第四の住処を「掬水(きくすい・手ですくった水という意味)」と名付ける。昔、病気で死のうとしている人の喉から声が出ないのを見て、まず水を施し、財を投げうって看病してついにその命を救ったためである。第五の住処を白身(びゃくしん)と名付ける。昔、仏塔や僧舎の壁を塗って補修し、また人を教えて補修させたためである。第六の住処を共遊戯(ぐうゆげ)と名付ける。昔、信心をもって戒を保ち、仏の教えに忠実であり、同じ道の者たちと共に和合して歩んだためである。第七の住処を楽遊戯(らくゆげ)と名付ける。昔、戒を保って衆生を教化し、その心に清め信じさせ、衆生が戒律を保ち布施をするのを共に喜んだためである。第八の住処を共遊(ぐうゆう)と名付ける。昔、法会で教えを聞き、その法会の営みを助け、心から共に法会を喜んだためである。第九の住処を化生(けしょう)と名付ける。昔、飢饉の者や溺れる者を見て助けたためである。第十の住処を正行(しょうじょう)と名付ける。昔、強盗や略奪をする者たちを見てやめさせ、正しい道を教えたためである。