大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳 194

『法華玄義』現代語訳 194

 

第二節 異解を出す

異なった解釈を挙げることにおいて、十種ある。いわゆる「南三北七(なんさんほくしち・天台大師当時、教判における十種の説が、揚子江流域の三人と、黄河流域の七人によって主張されていたことによる)」である。南北の地においては、共通して三種の教相を用いている。一つは頓教、二つは漸教、三つは不定教である。

華厳経』は菩薩を教化するために、日の出の太陽がいきなり高山を照らすようであるため、頓教と名付ける。

三蔵教は小乗の人を教化するために、まず半字(はんじ・円満でない偏った教え)を教えるため、有相教と名付ける。その十二年の後に、大乗の人のために、五種の『般若経』(注:『摩訶般若波羅蜜経』、『金剛般若波羅蜜経』、『天王問般若波羅蜜経』、『光讃波羅蜜経』、『仁王般若経』)と、常住の教えを説くことを無相経と名付ける。これは共に漸教と名付ける。

さらに別に一つの経典がある。頓教でもなく漸教でもないが、仏性・常住の教えを明らかにする。『勝鬘経』、『金光明最勝王経』などがこれである。これを偏方不定教と名付ける。

この三つの意義は、共通に用いられる。

南三北七の第一は、虎丘山(こきゅうざん)の笈師(ぎゅうし)の「三時教」である。頓教と不定教については、前の説と同じであるが、漸教をさらに三つに分ける。前の十二年(注:上に記されているように、三蔵教は十二年間説かれた教えであり、その後に大乗仏教の教えが説かれたとする。そのため、これ以降も多く記されることになるが、「前の十二年」とは、三蔵教を指す言葉である)の三蔵教が有を見て道を得ることを明らかにする教えを有相教と名付ける。十二年の後から『法華経』に至るまでを区切って、空を見て道を得ることを明らかにする教えを無相教と名付ける。最後に沙羅双樹の林で、すべての衆生の仏性と、一闡提も仏となることを明らかにする教えを、常住教と名付ける。

第二は、宗愛法師(しゅうあいほっし)法師の「四時教」である。頓教と不定教については、前の説と同じであるが、漸教を四時教に判別する。すなわち荘厳寺僧旻師(そうごんじそうびんし)が用いるところである。三時教は前の説と同じである。さらに無相教の後、常住教の前において、『法華経』において会三帰一して、すべての善を悟りに向かわせることを指して同帰教と名付ける。

第三は、定林寺の僧柔と慧次の二師、および道場寺の慧観法師の「五時教」である。頓教と不定教は前と同じである。さらに漸教を判別して五時教とする。すなわち、開善寺の智蔵と光宅寺の法雲の用いるものである。その中の四時教は前と同じである。さらに無相教の後、同帰教の前に『維摩経』、『思益教』などのあらゆる方等経典を指して、褒貶抑揚教(ほうへんよくようきょう・小乗を蔑み大乗を宣揚する教えという意味)とする。

(注:以上が「南三」である。続いて「北七」となる)

第四は、北地師もまた「五時教」を作る。『提謂波利経(だいいはりきょう)』を人天教とし、『維摩経』、『般若経』を合わせて無相教とする。他の三つは、南地師と異ならない。

第五は、菩提流支(ぼだいるし)は、「半字教」と「満字教」を説く。前の十二年は、みな半字教であり、十二年の後は、みな満字教である。

第六は、仏駄三蔵(ぶっださんぞう)に学んだ光統(こうず)が説いたものであり、「四宗」をもって教えを判別する。一つめは「因縁宗」である。これは『阿毘曇論』の六因(能作因、俱有因、同類因、相応因、遍行因、異熟因)と四縁(因縁、等無間縁、所縁縁、増上縁)を指す。二つめは「仮名宗」である。これは『成実論』の三仮(因成仮、相続仮、相待仮)を指す。三つめは「誑相宗(おうそうしゅう)」である。これは『大品般若経』と龍樹の『中論』、『十二門論』と提婆の『百論』を指す。四つめは「常宗」である。これは『涅槃経』、『華厳経』などで、常住の仏性は本来自然と清浄であると説くことを指す。

第七は、ある師は、「五宗教」を開く。四つの意義は前と同じである。さらに『華厳経』を指して、「法界宗」とする。すなわち護身寺の自軌師が用いるところである。

第八は、ある師は、光統について「四宗では収めきれないものがあるので、さらに六宗を開く」という。『法華経』の万善同帰教の「諸仏の法は長い時間の後、必ずまさに真実を説くであろう」ということを指して、「真宗」と名付ける。『大集経』が説くところの、煩悩に汚れたものと清浄のものが共に融合し、法界に遍く円満することを「円宗」と名付ける。他の四宗は前と同じである。すなわちこれは、耆闍寺安凛(ぎじゃじあんりん)の用いるところである。

第九は、北地の禅師は、二種の「大乗教」を立てる。一つめは「有相大乗」であり、二つめは「無相大乗」である。有相大乗とは、『華厳経』、『瓔珞経』、『大品般若経』などに、菩薩の位として十地の功徳の修行の相を説くものを指す。無相大乗とは、『楞伽経』、『思益経』に、真実の教えに位の階位などはなく、すべての衆生はそのままで涅槃の相であると説くものを指す。

第十は、北地の禅師は、四宗・五宗・六宗・有相大乗・無相大乗・半字教・満字教などの教えではなく、ただ一仏乗のみであり、二乗もなく、また三乗もないとする。仏はただ一つの声である一音(いっとん)で法を説くが、聞く者によって異なった解釈をする。諸仏は常に一乗を行じるが、衆生は三乗と見る。ただ「一音教」があるのみとする。

以上、異解を出すことを終わる。