大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

報恩抄 その5

そもそも、『法華経』第五巻に、「文殊師利よ、この『法華経』は諸仏如来の秘密の蔵である。諸経の中において、最もその上にあり」とあります。この経文の通りならば、『法華経』は『大日経』などのすべての経典の頂上にある正しい教えです。そうであるなら、善無畏・金剛智・不空・弘法大師・慈覚大師・智証大師などは、この経文を、どのように密教経典と合わせ通じさせるのでしょうか。『法華経』第七巻に、「よくこの経典を受け保つ者も、またこのようである。すべての衆生の中において、また第一である」とあります。この経文の通りならば、『法華経』の行者は、川の流れや江河の中で大海のようであり、あらゆる山の中での須弥山のようであり、あらゆる星の中の月天、あらゆる明りの中の大日天、転輪聖王帝釈天・あらゆる王の中の大梵王のようです。伝教大師の『法華秀句』という書には、「この経もまたこのようである。また、あらゆる経典の教えの中で最も第一とするものである。よくこの経典を受け保つ者も、またこのようである。すべての衆生の中において、また第一である」という経文を引用して、続いて、「天台大師の『法華玄義』に次のようにある」と記され、この経文の真意を解釈して、「まさに知るべきである。他宗の拠り所となっている経典は、どれも最も第一とすべきものではない。その経典を保つ者も、また第一ではない。天台法華宗の拠り所とする『法華経』は最も第一であるために、よく『法華経』を保つ者もまた衆生の中で第一である。すでにこれは仏説によるものである。どうして自賛であろうか」と記しています。そして、『法華秀句』の巻末に、「他の宗派の教えも、天台大師の教えによっていることは、具体的に他の書に記した」とあります。その他の書である『依憑集』には、「天台大師が『法華経』を説き『法華経』を解釈したことは、多くの諸師よりも秀でており、唐においで群を抜いている。これによって知ることができる。天台大師は如来の使いであると。このために、天台大師を褒める者は、福を明らかに積み、謗る者はその罪によって無間地獄に堕ちるであろう」とあります。『法華経』そして、天台大師・妙楽大師・伝教大師の経典解釈の主旨によれば、今、日本には『法華経』の行者は一人もいないことになります。教主釈尊がインドにおいて『法華経』を説かれた時、「見宝塔品」に記されているように、ご自身の分身である仏をすべて大地の上に集められましたが、その時、大日如来だけは、宝塔の中の南の下座に着かせ(注:このようなことは『法華経』には記されていない)、教主釈尊は北の上座に着かれました。この大日如来は『大日経』の胎蔵界大日如来であり、『金剛頂経』の金剛界の主君である大日如来です。この両部の大日如来を従者と定められた多宝仏のさらに上座に、教主釈尊はおられたのです。この釈尊こそ『法華経』の行者です。インドの様子はこのようなものでした。中国では、陳帝の時、天台大師は南北の諸師に責め勝って、存命中に大師となられました。「群を抜いている」というのはこれです。日本では、伝教大師は六宗に責め勝って、日本で初めての根本伝教大師となられました(注:実際は、日本で初めて大師号を賜ったのは慈覚大師である。しかし師匠を差し置くわけにはいかなかったので、同時に伝教大師も賜ることとなったのである)。月氏国・中国・日本にただこの三人だけが、「すべての衆生の中においてまた第一」です。したがって、『法華秀句』には、「浅い教えはやさしく、深い教えは難しいとは、釈迦が説かれたところである。浅い教えを去って深い教えにつくことは、堅固な心である。天台大師は釈迦に信順して、法華宗を助けて中国に広め、比叡山の一家は天台大師を受け継いで、法華宗を助けて日本に広めた」とあります。仏滅後、約一千八百年間に『法華経』の行者は中国に一人、日本に一人、以上で二人、釈尊を加へて以上三人です。外典に、「聖人は一千年に一度出で、賢人は五百年に一度出る。黄河は上流で涇河(けいが)と渭河(いが)とに分かれ、五百年にはその半分が清み、千年には共に清む」とあるのは、まさにその通りです。

しかし、日本は比叡山だけが『法華経』の山ですが、伝教大師の時にのみ『法華経』の行者がおられました。義真・円澄は第一第二の座主です。第一の義真だけは、伝教大師に似ていました。第二の円澄は、半分は伝教大師の弟子、半分は弘法大師の弟子である。第三の慈覚大師は、最初は伝教大師の弟子に似ていました。しかし四十歳の時に中国に渡ってから、名は伝教大師の弟子であってその行跡を継がれましたが、法門は全く弟子ではありませんでした。しかし、円頓戒だけは、その弟子に似ていました。まるでコウモリのようです。鳥でもなく、鼠でもなく、フクロウやカササギのようです。『法華経』の父を食べて、『法華経』を保つ母を噛むようなものです。太陽を射るという夢を見た、ということもこれです。このために、死んだ後に墓はないのです(注:実際は、慈覚大師は比叡山の中に墓を作るなという遺言を残していた)。智証大師の門家である園城寺と慈覚大師の門家である比叡山とは、阿修羅と悪竜との合戦のようなことが絶えることがありません。園城寺を焼き、比叡山を焼きます。智証大師の本尊の弥勒菩薩も焼けてしまいました。慈覚大師の本尊と大講堂も焼けてしまいました。生前から無間地獄を感じていたのです。ただその中で、根本中堂だけは残りました。弘法大師の亡くなった後も、また同じようなものでした。弘法大師は、「東大寺で受戒しなかった者を東寺の長者にしてはならない」などという戒めの書状を残しました。しかし、寛平法王(宇多天皇)は仁和寺を建立して東寺の法師をそこに移して、私の寺には比叡山の円頓戒を受けていない者を住まわせてはならないと、宣旨を下されました。そのため、今の東寺の法師は、鑑真の弟子でもなく、弘法大師の弟子でもなく、戒は伝教大師の弟子であり、また本当の伝教大師の弟子でもなく、伝教大師の『法華経』を破り失っています。弘法大師は、承和二年三月廿一日に亡くなり、公家より遺体は火葬にされ、その後、嘘つきの弟子たちが集まって、弘法大師は亡くなったのではなく、御入定されたのだと言い出しました。ある者は、大師の髪を剃らせていただきます、と言い、ある者は、大師は三鈷を中国から投げたと言い、ある者は、大師が祈られると太陽が夜中に出たと言い、ある者は、大師は現身の大日如来だと言い、ある者は、伝教大師に十八道を教えたと言い、弘法大師の徳をあげて智慧に代え、自分の師の邪義を助けて王臣を迷わせています。また、高野山に本寺と伝法院という二つの寺があります。本寺は弘法大師の建てた大塔大日如来金剛峯寺)です。伝法院というのは、正覚房(覚鑁)が建てた金剛界大日如来です。この本末の二寺は昼夜を問わず戦っています。たとえば、比叡山園城寺のようです。狂いと迷いが積もって、日本に二つの禍いが出現のでしょうか。糞を集めて栴檀(せんだん・最上の香木)としても、焼けばただ糞の臭いしかしません。大妄語を集めて仏と呼んでも、ただ無間地獄の大城です。ジャイナ教徒の塔は、数年間、利益(りやく)も多かったですが、馬鳴菩薩の礼拝を受けて、たちまち崩れてしまいました。鬼弁婆羅門は、長年、人々を誑かしていましたが、阿湿縛窶沙菩薩(あしゅばくしゃぼさつ・馬鳴のこと)に責められ破られました。姁留外道(くるげどう・インドの哲学の学派)は石となって八百年、陳那菩薩(じんなぼさつ)に責められて水となりました。中国の道士は人々を誑かすこと数百年、迦葉摩騰(かしょうまとう)と竺法蘭(じくほうらん)に責められて仙経も焼けてしまいました。趙高が国を奪い、王莽が王位を奪ったように、弘法大師は『法華経』の位を取って『大日経』の所領としました。法王はすでにその国を失ってしまったのですから、人も王もどうして安穏にしていられるでしょうか。日本は慈覚大師・智証大師・弘法大師の流れとなり、一人として謗法に当たらない人はいません。

このことを思うと、大荘厳仏の末法のようであり、一切明王仏の末法のようである。威音王仏の末法においては、悔いて回心した者ですら、なお千劫もの長い間、阿鼻地獄に堕ちた。ましてや、日本の真言師・禅宗・念仏者たちは、全く回心していない。まさに『法華経』に「そのように無数劫の間、転生し続けた」ということは疑いもないはずです。このような、謗法の国となっていますから、天も捨て、天が捨てているので、守護の善神もその祠(ほこら)を焼いて、寂光の都へ帰られたのです。ただ日蓮だけが留まって、このことを示しているのですが、国主はこれを仇とし、数百人の民が罵り、あるいは悪口、あるいは杖木、あるいは刀剣、あるいは住まいを焼き、あるいは家々に入れないようにします。それでもかなわなければ、直接私に手を下して二度まで流罪いしました。文永八年九月の十二日には首を切ろうとしました。『最勝王経』に、「悪人を愛敬し、善人を罰するために、他の国の怨賊が来て、国と民が乱される」とある通りです。『大集経』には、「もし身分の高い者たちは、仏法に逆らい、世尊の声聞の弟子を悩まし乱し、あるいは罵り、刀杖もって打ち退け、および衣鉢などのあらゆる生活の品々を奪い、あるいは布施する者さえ迫害するならば、私たち諸天は、自然に速やかに他の国の怨敵を起こさせるであろう。および自国にも内乱が起り、疫病や飢饉、天候不順、争いごとなどを起こさせよう。またこの王の代で国が滅びるようにしよう」などとあります。これらの文のことは、この日蓮の国に起きなければ、仏は大妄語の人となり、阿鼻地獄は免れないということになってしまいます。文永八年九月十二日に、私は平左衛門頼綱ならびに数百人に向かって、「日蓮は日本国の柱である。日蓮を失うならば、日本国の柱を倒すことになる」と言いました。この経文には、国主などが、もし悪僧たちの讒言によって、あるいは諸人の悪口によって、智者を排斥するようなことがあれば、とたんに戦が起り、また大風が吹き、他国から攻められるとあります。文永九年二月の戦、同じ十一年の四月の大風、同じ十月の大蒙古襲来などは、ひとえに日蓮を迫害するためではないでしょうか。ましてや、このことは以前から忠告していたことです。いったい誰が疑うことができましょうか。

弘法大師・慈覚大師・智証大師の誤り、ならびに禅宗念仏宗とによる災いが共に起こり、逆風に大波が起こり、大地震がたびたび起こっています。そうであるならば、次第に国は衰えていきます。太政入道平清盛が国を押さえ、承久の乱により王位は尽き果てて、世の中心は東に移りましたが、ただ、これは国内の乱れであって、その時はまだ他国が攻め来るということはありませんでした。その時は、謗法の者が国に充満していると言っても、それを指摘する智者もいませんでした。そのため、その程度で済みました。たとえば、師子が眠っているのを起こさなければ、吠えません。流れが早くても、竿を刺さなければ波も立ちません。盗人を咎めなければ歯向かってきません。火は薪を加えなければ盛んになりません。このように、謗法はあっても、それを指摘して言い表す人もなければ国も穏やかなのです。たとえば、日本に仏法が初めて伝わった時、最初は何事もありませんでしたが、物部守屋が仏を焼き、僧を攻撃し、堂塔を焼くということがありました。すると、天より火の雨が降り、国には疫病が起こり、兵乱が続きました。しかし今は、それに比べることさえできません。謗法の人々は国に充満しています。日蓮の正しい主張も責められています。阿修羅と帝釈、仏と魔王との合戦にも劣らないほどです。『金光明経』に、「時に隣国の怨敵はこのように思うであろう。まさに四種の兵をそろえてその国土を破るべきである」などとあります。まあ、「時に王は見終わって、すなわち四種の兵を率いてその国に向かって出発し、討伐をしようとした。私たち諸天は、その時に、無量無辺の眷属と薬叉諸神と共に、形を隠して援護をして、その怨敵をして自然に降伏させるであろう」などとあります。『最勝王経』の文も『大集経』も『仁王経』もみな同じです。これらの経文の通りならば、正法を行じる者を国主が憎み、邪法を行じる者の側に立てば、大梵天王・帝釈天・日月天・四天王たちが、隣国の賢王の身に入って、その国を責めると読むことができます。たとえば、訖利多王(きりたおう)を雪山下王(せっせんげおう)が攻め、大族王を幻日王が滅ぼしたようなものです。訖利多王と大族王とは月氏国の仏法を滅ぼした王です。中国でも仏法を滅ぼした王は、みな賢王に攻められました。しかしこれも今の状態には比べ物にはなりません。仏法の味方のようなふりをして、仏法を滅ぼす法師の味方をするために、愚者はこのことをすべて知りません。智者と言われる人であっても、普通の智人にはわかりません。天も下劣の天人は知ることができないでしょう。そうであるならば、中国・月氏国の昔のみ誰よりもさらに大きなことになるでしょう。

『法滅尽経』に、「私が入滅した後、五逆の汚れた世において、魔道興盛し、魔は沙門となって私の道を破壊するであろう。さらに悪人の数は多く、海中の砂のようであり、善者ははなはだ少なく、一人二人ほどであろう」とあります。『涅槃経』には、「このような涅槃経典を信ずる者は、爪の上の土のようであり、この経を信じない者は、あらゆる世界の国土の土のようであろう」とあります。この経文は私の肝に染みます。今の日本では、私も『法華経』を信じている信じていると言っていますが、これらの人の言葉の通りであるならば、一人も謗法の者ないことになります。この経文には、末法に謗法の者はあらゆる国の国土の土ほどであり、正法の者は爪上の土ほどだとあります。経文と今の世間の人々が言っていることは、水と火ほどの違いがあります。世間の人は、日本には日蓮一人が謗法の者であると言っています。経文とも天と地ほど異なっています。『法滅尽経』には、善者は一人二人であり、『涅槃経』には信ずる者は爪の上の土ほどだとあります。この経文の通りならば、日本ではただ日蓮一人だけが爪の上の土、その一人二人であります。経文を用いるべきでしょうか。世間を信用すべきでしょうか。

(つづく)