大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

開目抄 その10

このように、釈迦の過去の事実が明らかにされたならば、諸仏はみな、釈迦仏の分身であることがわかる。しかし、『法華経』以前の経典や、『法華経』の迹門の中では、諸仏は釈迦仏と肩を並べてそれぞれの修行をした仏である。そのために、その諸仏をそれぞれ本尊とするならば、釈迦仏を卑下していることになる。久遠実成の釈迦が明らかにされた以上、『華厳経』の台上・「方等経」・『般若経』・『大日経』などの諸仏は、みな釈尊の眷属であることになる。仏が三十歳で成道された時は、大梵天王・第六天などが所領としていた娑婆世界を奪い取られたのである。そして久遠の仏が明らかとされた今、『法華経』以前・『法華経』の迹門では、十方の仏国土を浄土と呼んで、この国土を穢土と説かれていたのを打ち消して、この娑婆世界は本土であって、十方の浄土はこの本土の仮の現われに過ぎない穢土とされたのである。仏は久遠の仏であるので、仮に現われた他方の大菩薩も、霊的事実においては教主釈尊の弟子である。

一切経の中にこの「如来寿量品」がなければ、天に太陽と月がなく、国に大王がなく、山河に宝珠がなく、人に神がないようになってしまうにもかかわらず、華厳・真言などの仮の教えの宗派の智者である澄観・嘉祥大師・慈恩大師・弘法大師などの、『法華経』以前に説かれた仮の教えにつく人々は、自ら拠り所としている経典を讃歎するために、あるいは、「『華厳経』の教主は報身(ほうじん・修行の結果の功徳によって仏となった仏)、『法華経』は応身(おうじん・この世の人々を導くために現われた仏)」といい、あるいは、「『法華経』の「如来寿量品」の仏は無明の領域にいるのであり、『大日経』の仏は無明が滅ぼされた位にいる」などと言っている(注:もともと、各大乗経典は釈迦の説いた教えではなく、それぞれの大乗仏教のグループが、それぞれの主張を釈迦が説いたように創作したものである。そのため、各大乗経典を並列的に比較することは無意味である。また、『法華経』でさえ、もともと根本的な主張が異なっている別の経典だったものが合わさったものであり、それが迹門と本門の違いとなって現われている。このことが明らかとなった今、このような日蓮上人の主張は誤りであることがわかり、再検討あるいは再編成をしなければならない)。雲は月を隠し、偽りを言って主君におもねる家臣は賢人を隠す。人に騙されれば、黄石も玉に見え、主君にへつらう家臣も賢人に思える。今、濁世の学者たちは、彼らの偽りの解釈が隠されて、「如来寿量品」の玉を侮っている。また、天台宗の人々も騙されて、金と石を一緒にしてしまう人々もある。仏が久遠実成でなければ、教化した弟子たちが少ないことを証明すべきである。月は影を惜しむことはないが、水がなければ影も映ることがない。仏は衆生を教化しようと思われても、衆生と縁が結ばれていなければ、その衆生の国土に仏として現われることはない。たとえば、諸の声聞が初地・初住の位に上っても、『法華経』以前であるため、自らの修行で自ら悟りを開いたに過ぎないため、未来世において、仏となることを望むしかない。したがって、もし教主釈尊がこの娑婆世界で初めて成仏した方であるなら、今、この世界の梵天帝釈天・日月天・四天王たちは、この国土の最初からこの国土を領土としていても、まだ『法華経』以前の四十年間の仏弟子となる。そして霊鷲山の八年間の『法華経』と結縁(けちえん)した衆生であっても、この世で初めて会った教主の釈迦仏になじめず、昔からこの国土にいた諸天に隔てられるようなことになってしまう。今、久遠実成の釈迦が表わされたならば、東方の薬師如来の日光・月光菩薩、西方阿弥陀如来の観音・勢至菩薩、さらに十方世界の諸仏の御弟子、『大日経』・『金剛頂経』の両部曼荼羅の諸尊、大日如来の御弟子の諸大菩薩なども、教主釈尊の御弟子である。諸仏が釈迦如来の分身である以上は、諸仏も久遠実成の釈迦が教化したということは言うまでもなく、ましてや、この国土の最初からいた日月天・衆星などは、教主釈尊の御弟子でないわけがない。

しかし、天台宗以外の諸宗は本尊に迷っている。倶舎・成実・律宗は三十四心(さんじゅうよんしん・三十四種の小乗の修行)によって煩悩を断って悟りを開いた釈尊を本尊としている。これは天王の太子が、自分は庶民の子だと迷って思っているようなものである。華厳宗真言宗三論宗法相宗の四宗は大乗の宗派である。法相宗三論宗は優れた応身に似た仏を本尊としている。これは天王の太子が、自分の父は侍だと思っているようなものである。華厳宗真言宗釈尊を卑下して、盧舎那仏大日如来などを本尊と定めている。これは、天王である父を卑下して、種姓もない者が法王のようになっていると思っているようなものである。浄土宗は、釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏と思って、真実の教主を捨てている。禅宗は、下賎の者が自分は一分の徳があるのだ、と思って、父母を見下げているようなものであり、仏と経典を見下している。これはみな、本尊に迷っていることである。たとえば、中国の三皇以前の人々は、母は知っていても父を知らず、人がみな禽獣と同じようなものである。「如来寿量品」を知らない諸宗の者は、畜生に同じく恩知らずの者である。このために妙楽大師は、「一代教の中で未だかつて父母の寿命が永遠であることを表わしていない。もし父の寿命が永遠であることを知らなければ、また、父が治める国について迷う。いたずらに才能があっても、全く人の子ではない」とある。妙楽大師は唐の末、天宝年中の者である。三論・華厳・法相・真言などの諸宗、ならびに拠り所とする経典を深く読み、詳しく考えているにもかかわらず、「如来寿量品」の仏を知らない者は、父が治める国を正しく知らない迷える才能ある畜生である。「いたずらに才能がある」とは、華厳宗の法蔵・澄観、そして真言宗の善無畏三蔵などは才能のある師であるが、子が父を知らないようなものである。伝教大師は日本の顕密の元祖であり、その『法華秀句』には、「他宗が拠り所としている経典は、一分の仏母(注:悟りのこと)の義があるとは言っても、ただ愛のみあって父のような威厳の義を欠いている。天台法華宗は威厳と愛の義を備えている。一切の賢聖、学無学(がくむがく・小乗において、まだ学ぶべきことがある者を学と呼び、もう学ぶべきことがなくなった者を無学という)、および菩薩の心を発こす者の父である」とある。真言・華厳などの経典には、種・熟・脱(しゅじゅくだつ・大通智勝如来の気の遠くなるほどの昔に、その王子であった釈迦に『法華経』の種が与えられ、それが次第に熟して釈迦が菩薩として修行して、やがて解脱して釈迦如来となったということ)の三義の名字すらない。ましてやその意義が説かれるわけがない。華厳・真言の経典に説かれる、この一生における初地の位での即身成仏などは、経典は権経(注:仮の経典)であって、過去世については隠している。種を知らない解脱であるので、中国の超高が王位に上ろうとし、道鏡天皇になろうとしたようなものである。宗派ごとに、互いに種について争っているが、私は争うことなく、ただ経典に証拠を求めている。

法華経』の種(しゅ)によって、天親菩薩(=世親)は、『法華論』において、種子無上(しゅしむじょう・『法華経』の種が最も勝れているということ)の教えを立てた。天台大師の一念三千がこれである。『華厳経』をはじめ、諸大乗経典・『大日経』などの諸尊の種子もみな一念三千である(注:繰り返し述べているが、一念三千は、あくまでも止観の実践修行の中の用語である。止観の修行と直接関係のないところでこの用語を用いて、天台教学の中心的教理だとすることは誤りである)。天台智者大師一人がこの法門を得られた。華厳宗の澄観はこの義を盗んで『華厳経』の「心如工画師(注:心は画師のようだ、ということ。つまり心がすべてを作り出す、という意味)」の文の神髄とした。真言・『大日経』などには二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門はない。善無畏三蔵は中国に来て後、天台の止観を見て智発し、『大日経』の「心実相我一切本初」の文の神髄に、天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として、その上、印と真言とを飾り、『法華経』と『大日経』との勝劣を判断する時、理法は同じであるが、事象は『大日経』が勝れているという解釈をした。両界の曼荼羅の二乗作仏・十界互具は、『大日経』に記されているのだろうか。これは最も大きな誤りである。

このために、伝教大師は、「新しく伝わった真言家は、善無畏が天台大師の書から受け継いだことを忘れ、以前からの華厳家は、天台大師から影響を受けているということを隠している」と述べている。未開の地に行って、柿本人麻呂の「ほのぼのと、明石の浦の朝霧に、島がくれ(隠れ)ゆく舟をしぞ(しぞは強調)思う(明石の浦にほのぼのと朝霧がかかっているが、島陰に隠れて進む舟が危険な目にあわなければよいのだが)」いう歌は、私が詠んだものだ、と言えば、ほとんどの人はそう信じるだろう。中国や日本の学者もまたこのようである。中国天台宗の良諝和尚(りょうしょおしょう)は、「真言・禅門・華厳・三論などは、『法華経』に対すれば、人々を引き寄せる方便の教えに過ぎない」と述べている。

善無畏三蔵が閻魔の責めにあったことは、この邪見による。後に心を翻し、『法華経』に帰伏したために、この責めは逃れることができたであろう。その後、善無畏・不空などは、『法華経』を両界曼荼羅の中央に置いて大王のようにして、胎蔵の『大日経』・『金剛頂経』を左右の臣下のようにしたことはこれである。日本の弘法大師も、教義的なことにおいては華厳宗に心を寄せて、その十住心(じゅうじゅうしん)の教判では『法華経』を第八として『華厳経』を第九としたが、事象的な教えにおいては、実慧・真雅・円澄・光定などの人々に伝える時、両界曼荼羅の中央に『法華経』を置いたのである(注:これは非常に疑わしい内容であり、まずは考えられない。何よりも証拠となる文献が求められるところである)。

たとえば、三論宗の嘉祥大師は法華玄十巻(注:何を指すか不明)に、『法華経』を第四時の「会二破二(二乗を開いて二乗を破る)」と定めたが、天台大師に帰伏して七年間仕え、「廃講散衆身為肉橋(みずからの講義は解散させ、自分の身体を橋のようにして天台大師を渡らせた。注:まずこのようなことはあり得ない)」という。法相宗の慈恩大師は、『法苑義林章(ほうおんぎりんしょう)』七巻十二巻に「一乗方便・三乗真実」などの妄言が多い。しかれども『法華玄賛』第四巻には「故亦両存」などと自らの宗を曖昧にしてしまっている。言葉では両方の意味があるが、心は天台に帰伏している。華厳宗の澄観は『華厳経』の疏を記して、『華厳経』と『法華経』を相対させ、『法華経』を方便としているようだが、「天台宗は真実である。この華厳宗の教理に通じないところはない」と記していることは、悔いて改めていることではないか。弘法大師もまたそのようである。亀鏡(きけい・模範という意味)がなければ自らの顔を知ることはない。敵がなければ自らの非を知ることはない。真言などの諸宗の学者たちは、自らの非を知らなかったが、伝教大師に会って自宗の誤りを知ったのである(注:このようなこともまずはない)。そのため、諸経の諸仏・菩薩・人天などは、それぞれの経典において仏となるようであるが、実際は、『法華経』において最高の悟りを得るのである。釈迦・諸仏の衆生無辺の誓願は、みなこの『法華経』において満たされる。「今者已満足」という文の意味はこれである。

(つづく)