大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

種種御振舞御書 その6

種種御振舞御書 その6

 

正午ごろ、依智(えち・厚木市に合併される前は、依知村という地名で残っていた)という所に行き着き、本間六郎左衛門(ほんまろくろうざえもん・本間六郎左衛門尉重連(しげつら)。北条宣時に仕えた武士。佐渡の代官であり、依智にも領地があった)の邸宅へ入った。

酒を取り寄せて、兵士たちに飲ませたところ、彼らは帰ろうとして、頭を下げ、手を合わせて次のように言った。「今まではどのようなお方であるのか知りませんでした。ただ、私たちが信じている阿弥陀仏を謗っていると聞いていたので、憎んでいましたが、目の当たりに拝見すれば、その尊さに感動いたしました。それで、長年称えてきた念仏は捨てます」と言って、火打ち袋から数珠を取り出して捨てる者があり、「今後は念仏を称えません」と誓約状を渡す者もあった(注:やはり、これもできすぎた創作話としか言いようがない)。

それ以降は、六郎左衛門の家来たちが警護することとなった。そして六郎左衛門も帰って行った。

その日の午後八時ごろ、鎌倉からお上の使いという者が書状を持って来た。首を切れという再度のお使いかと武士たちは思ったようだが、六郎左衛門の代官の右馬尉(うまのじょう)という者が書状を持って走って来て、ひざまづいて次のように言った。「いよいよ今夜だろうと、なんとも浅ましいことだと思っていましたが、このような喜ばしい書状が来ました。武蔵守殿(注:北条宣時)は今日の午前六時ころ熱海の温泉へ出かけられましたが、書状を持って来た使いは、理不尽なことがあってはならないと思って、急いでここに来たと言っていました。その鎌倉からの使者は二時(ふたとき)で走って来たそうです。そして、さらに今夜のうちに熱海の温泉へ走って行くと言って出て行きました」。

追状には「この人は罪のない人である。今しばらくしたら赦されるであろう。過ちをしては後悔するであろう」とあった。

(注:実際は、このような早馬による書状が龍ノ口に届いたので、即座に処刑が中止されたのであろう)。

その夜は十三日で、兵士たち数十人は、坊舎の周囲と大庭に控えていた。九月十三日の夜であり、良く晴れて月が大きく昇っていた。日蓮は夜中に大庭へ出て、月に向かって、自我偈(じがげ:『法華経』の「如来寿量品」の偈の部分)を少し読み、諸宗の勝劣と『法華経』の文の概略について述べた後、次のように言った。

「そもそも、今出ている月天は、『法華経』の聴衆の座に連なっていた名月天子ではないか。「見宝塔品」において仏の勅命を受けて、「嘱累品」において仏に頭をなでてもらい、「世尊の勅命の通り、まさに必ず行ないます」と誓約状を立てた天ではないか。その仏前の誓いは、日蓮がいなければ虚しくなってしまうであろう。今、このようなことが起こっているのであるから、急いで喜んで『法華経』の行者に代わって仏の勅命を果たし、誓約の言葉のしるしを成就するべきであろう。どうして今そのしるしがないのだろうか。誠に不思議なことである。この国に何事も起きなければ、鎌倉へも帰ろうとは思わない。しるしも起こさず、そうして平然として天に澄み渡っているのはどうしてか。『大集経』には「太陽と月は光を放たず」と説かれており、『仁王経』には、「太陽と月は度を失う」と書かれており、『最勝王経』には、「三十三天はそれぞれ怒る」とあるが、これはどういうことなのか月天よ、どういうことなのか月天よ」と責めた。

すると、そのしるしであろうか。天より明星のような大きな星が下って来て、目の前の梅の木の枝に留まった。兵士たちはみな縁側から飛び降り、ある者は大庭にひれ伏し、ある者は家の後ろに逃げた。やがて天が掻き曇って大風が吹き始め、江の島が鳴っているように、大きな鼓(つづみ)が鳴るような音が空に響いた。

夜が明けた十四日、朝六時頃に十郎入道という者が来て次のように言った。

「昨夜の八時ごろ、執権殿の邸宅に大きな騒ぎがあり、陰陽師(おんようじ)を呼んで占わせたところ、「大いに国が乱れるでしょう。それはこの御房(日蓮)を罰したためです。大至急、呼び戻さなければ世の中がどうなるかわかりません」と言ったので、「赦されるのがよろしいでしょう」という人もあり、また、「日蓮は百日以内に戦さが起こるだろうと言っていたので、それを待ちましょう」と言う者もあった、ということです」と言った。

結局、依智には二十日余りいて、その間、鎌倉では放火が七、八度あり、あるいは殺人が絶えなかった。讒言する者たちは、「日蓮の弟子たちが火をつけたのだ」と言った。上の者たちは、そのようなこともあるだろう、ということで、日蓮の弟子たちを鎌倉に置くべきではないと、二百六十人余りが検挙された。彼らはみな島流しか、ある弟子たちは首を切られるだろうとうわさされたが、後に、放火などは、真言律宗や念仏者が計画したことだとわかった。その他のことは、煩わしいので記さない。