大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華取要抄 その1

法華取要抄 その1

 

法華取要抄(ほっけしゅようしょう)

文永十一年(1274)五月

五十三歳

富木常忍に与える

身延において

 

扶桑沙門日蓮、これを述べる。

 

そもそも、月支国(げっしこく・インドを意味する)より西域を経て中国、日本に渡来するところの経論は、五千七千巻余である。その中の諸経論の勝劣、浅深、難易、先後について、自らの見解に任せて語ることは、その分に及ばない。また人の説に従って、あるいは宗に依つてこれを知る者は、その義において紛糾する。

いわゆる華厳宗では、「一切経の中では、この経(『華厳経』)が第一である」といい、法相宗では、「一切経の中では、『解深密経』が第一である」といい、三論宗では、「一切経の中では、『般若経』が第一である」といい、真言宗では、「一切経の中では、『大日三部経(『蘇悉地経』・『大日経』・『金剛頂経』)が第一である」といい、禅宗では、「釈尊の教えの中では、『楞伽経』が第一である」あるいは、「『首楞厳経』が第一である」あるいは、「教外別伝の宗であるから、経典には依らない」といい、浄土宗では、「一切経の中では、浄土三部経(『無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』)が末法に入った世では機教相応(ききょうそうおう・教えを受ける人の能力と教えが相応しているという意味)するので、第一である」といい、倶舎宗成実宗律宗では、「『四阿含経』ならびに伝承されて来た「律・論」は仏説であり、『華厳経』や『法華経』などは、仏説ではなく、外道の経典である」などなど、さらには、それぞれの宗派の元祖たち、つまり、杜順・智儼・法蔵・澄観・玄奘・慈恩・嘉祥・道朗・善無畏・金剛智・不空・道宣・鑒真・曇鸞道綽・善導・達磨・慧可たちである。これらの三蔵大師(さんぞうだいし・教蔵、律蔵、論蔵の三蔵に精通した徳の高い僧侶)はみな聖人であり賢人であり、その智慧は太陽や月と同じく、その徳は四海に遍く、その上、それぞれ経・律・論に依り、さらに互いに証拠がある。したがって、王や家臣などは国を傾け、国民はこれを仰ぐのである。末世の偏学である日蓮のような者が、たといこれについて是非を加えても、人々は信用しないであろう。

(注:当時は、経典のすべてが歴史的釈迦の言葉だと信じて疑われなかった。しかし、明治以降の仏教学などの学問の発展により、ほぼすべての経典は、釈迦の教えではないことが明らかとなった。特に大乗経典は、釈迦が死んだ後、約四百年から五百年後、インドで起こった仏教の改革運動である大乗仏教が興った際、各大乗仏教のグループが、自らの主張を釈迦が語る形で創作していったものである。したがって、それぞれの経典の主張が異なっていることは当たり前である。あくまでもすべてを釈迦の教えと見る方が、むしろ難しいのではないかと思うほどである。そして皮肉にも、上に見た記述の中では、「『四阿含経』ならびに伝承されて来た「律・論」は仏説であり、『華厳経』や『法華経』などは、仏説ではなく、外道の経典である」という箇所が、最も歴史的事実に近い記述である。四種の『阿含経』が、漢訳経典の中では最も歴史的釈迦の教えに近いが、それでも多くの創作が入り込んでいるのも事実である。それを、大乗仏教の各グループは、皮肉にも小乗仏教だと蔑んだ。しかし、霊的に見れば、どの教えも霊的には深く高く、どれを排除する必要がないのも事実である)。

しかし、せっかく宝の山に登って、瓦石ばかりを採取したり、香り高い栴檀(せんだん)の林に入って、伊蘭(いらん・悪臭を放つとされる木。煩悩の喩えとして用いられる)を抱えて取って来たりすれば、悔いが残るであろう。このために、万人の謗りを捨てて、あえて取捨を加えるのである。我が門の弟子たちは、詳細にこれを検討せよ。