大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

報恩抄 その1

報恩抄

建治二年(1276)七月廿一日

五十五歳

(注:『報恩抄』は、日蓮上人の出家当時の師であった清澄寺の道善(どうぜん)の追善供養のために記された。道善は建治二年〈1276〉に亡くなっている。身延山日蓮上人は、この書を記し、日向という弟子にゆだねて、出家当時の兄弟子であった清澄寺の浄顕と義城の二人宛に送った。そして、その墓前と、清澄山中の旭が森(と思われる)で二、三回読み上げることを願っている。なお、このような経緯から、現代語にするとき、である調ではなく、ですます調にして、あくまでも日蓮上人が亡くなった師を思い、二人の兄弟子に語る形式を取りたい)。

 

老いた狐は、自分が生まれた古塚に後ろを向けずに死に、また中国の武将である毛宝に助けられた白亀は、戦いに敗れた毛宝が逃げるのを助けたといいます。畜生ですらこのようです。どうして人が恩に報いないわけがありましょうか。

このために、昔、中国の賢者である予譲(よじょう)は、主君である智伯の恩に報いようとして、剣を飲んで死にました。また、衛の国の弘演は、主君である懿公(いこう)が戦死した時、主君の恥をさらすまいとして、自分の腹を割いて、懿公の肝を入れて死にました。まして仏法を習う者が、父母、師匠、国の恩を忘れてよいわけがありません。この大いなる恩に報いるためには、必ず仏法を習い究め、智者とならないではいられません。

たとえば、盲人である人を導くためには、同じく盲目であっては、川の橋を渡すことができません。風の向きがわからない大きな船は、商人たちを導いて宝の山に到達できるでしょうか。仏法を習い究めようとすれば、人との別れも経験しなければなりません。それは、父母・師匠・国主に従ったままではできません。この世の苦しみから離れる道がわからないうちは、父母・師匠の心に従うことはできません。このようなことは、一般の人々は、この世においてもあの世においても、そのようなことはあるわけがないと思うでしょう。しかし、外典の孝経にも父母・主君に従わないで、忠臣・孝人になると記されており、内典の仏典には、「恩を捨て無為に入ることは真実に恩に報いる者である」とあります。比干(ひかん)が王に従わなかったために賢人と呼ばれ、悉達太子が浄飯大王に背いて出家したために、三界第一の親孝行の人となられました。

(注:日蓮上人も、自らの道に進むため、清澄寺の師である道善から別れなければならなかった。その後、日蓮上人と道善との深い交わりはなく、そのまま、道善は亡くなった。その墓前で読まれるために記された長い文は、これから始まるのである)。

このように、父母・師匠たちに従わないで仏法を学べば、釈迦一代の聖教を悟るための十種の鏡があります。いわゆる倶舎・成実・律宗・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗天台法華宗です。この十宗を明らかな師としてすべての経典の真髄を知ることができます。世間の学者たちは、この十種の鏡はみなまさに正しく仏道の道を照らしていると思っています。小乗の三宗(倶舎・成実・律宗)はここでは説きません。国民のことを知るために、他の国に行く必要がないようなものです。大乗の七つの鏡(法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗天台法華宗)こそ、生死の大海を渡って浄土の岸に到達する大船ですから、これを学び理解して、自分の身の助けとし、他の人も導こうと思って学んでみると、大乗の七宗いずれもいずれも、自分の宗派こそ、釈迦一代の真髄を伝えるものだと自讃しています。いわゆる華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観など、法相宗玄奘・慈恩・智周・智昭など、三論宗の興皇・嘉祥など、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証など、禅宗の達磨・慧可・慧能など、浄土宗の道綽・善導・懐感・源空など(注:本来、天台宗である慈覚大師と智証大師が密教真言宗の人として記されているところが興味深い)、これらの宗派はみな、自らの宗派の拠り所となる経典や論書によって、自分こそ自分こそ、すべての経典を悟ったのだ、仏の真意を極めたのだ、と言っています。ある人々は、「すべての経典の中では、『華厳経』が第一である。『法華経』・『大日経』などは家来のようなものである」と言っています。また、真言宗の人々は、「すべての経典の中では、『大日経』が第一である。他の経典は、たくさんの星のようなものです」と言っています。禅宗の人々は、「すべての経典の中で、『楞伽経』が第一である」と言っています。他の宗派も同じようなことを言っています。しかも、上にあげた諸師に対しては、世間の人々からも敬われています。まるで、たくさんの天が、その主で帝釈天を敬い、あらゆる星が、太陽や月に従うようなものです。私たち凡夫は、どの師であっても信ずるならば不足はない、仰いでこそ信ずべきだとは言え、しかし日蓮の思いは晴れません。

世間を見ると、それぞれ自分こそは自分こそは、と言っても、国主はただ一人です。二人となってしまえば、その国土は穏やかではありません。家に二人の主人がいれば、その家は必ず廃れてしまいます。すべての経典もまた、このようなことのはずです。どの経典かが、すべての経典の大王であるはずです。(注:皮肉なことに、小乗仏教と排除された経典こそ、歴史的釈迦の言葉を比較的継承しているもので、大乗経典は、釈迦が亡くなって約500年後に、それぞれ仏教の流れの中で自らの確信を得た人々が、自らの主張を釈迦が語ったかのように経典として創作したものである。したがって、誰が書いても経典となってしまうわけであるから、その数は莫大なものとなった。しかしこのことが明らかとなったのは明治以降のことであり、日蓮上人当時は、すべてが釈迦の説だと信じて疑われず、すべてその前提によって経典解釈と経典分類がなされていた。だからと言って、大乗仏教の思想はでたらめか、というとそうではなく、非常に深い真理を悟った人々が立て上げた、すぐれた宗教思想である。このため、「すべての経典の大王」などという経典は存在しない。そして結果的に、誰もが一致する説などあるはずがなく、宗派が分かれて論争するのは当然のことである)。しかし、十宗七宗それぞれが、論争して互いに従おうとはしません。国に七人十人の大王があっては、その民は穏やかではありません。

どうしたらいいものか、と疑う中で、私は「八宗十宗に同時に従うようなことはすまい」という一つの願を立てました。天台大師がひたすら経典の文を師匠として、釈迦一代の勝劣を考えたように、すべての経典を開いて見ると、『涅槃経』という経典に「法によって人によるべからず」とあります。「法による」とはすべての経典によることであり、「人によらない」とは仏以外の普賢菩薩文殊師利菩薩はじめ、上にあげた多くの人師によらない、ということです。この経典には、また「了義経によって不了義経によるべからず」とあります。「了義経」というのは、『法華経』であり、「不了義経」というのは、『華厳経』・『大日経』・『涅槃経』などの過去現在未来のすべての経典です。そうであるならば、この仏の遺言のような言葉を信じて、もっぱら『法華経』を明らかな鏡としてすべての経典の真意を知るべきでしょうか。

このように、『法華経』の経文を開くと、「この法華経は諸経の中において最もその上にあり」とあります。この経文は、たとえば須弥山(しゅみせん・仏教の世界観で、世界の中心にある非常に高い山)の頂上に帝釈天がいるように、輪王(転輪聖王・てんりんじょうおう。この世界で最も偉大な王とされる)の頂に如意宝珠(にょいほうじゅ・何でも意のままに出すことのできる珠)のあるように、たくさんの木々の上に月が昇るように、諸仏の頂上に肉髻(にっけい・仏の頭の上にある盛り上がりのこと)があるように、この『法華経』は、『華厳経』・『大日経』・『涅槃経』などのすべての経典の頂上の如意宝珠であります。そうであるならば、もっぱら論師・人師を捨てて経文によるならば、『大日経』・『華厳経』などより『法華経』の勝れていることは、太陽が青空に昇るならば、眼を開いた者が天地を見るように、高い低いというすべてが明らかとなります。また『大日経』・『華厳経』などのすべての経典を見ると、この「諸経の中において最もその上にあり」という経文と同じような経文は、一字一点もありません。あるものは、小乗経に対して勝劣を説き、あるものは、俗諦(ぞくたい・この世の次元の真理)に対して真諦(しんたい・究極的な真理という意味)を説き、あるものは、あらゆる空・仮(け、げ・すべては空だとする見方に対して、すべては仮に存在するものとして認める見方)に対して中道(ちゅうどう・空にも仮にも偏らない真理に基づいた見方)をかかげています。たとえば、小さな国の王が、自分の国の臣下に対して大王というようなものです。しかし、『法華経』は諸王に対して大王と言っているのです。ただ『涅槃経』だけが、『法華経』に相似(そうじ・同等ではないが、非常に近い、という意味の言葉。天台教学で多く使用される用語)の経文があります。そうであるならば、天台大師以前の中国の南と北の諸師はこれに迷って、『法華経』は『涅槃経』に劣ると言っています。しかし、もっぱら経文を開き見ると、『無量義経(むりょうぎきょう・『法華経』の「開経」と言われ、『法華経』の前座のような役割をする経典とされる)』には、「華厳時」・「阿含時(鹿苑時)」・「方等時」・「般若時」(天台大師が立てた、釈迦一代の経典が説かれた順番を五つの時に分けた五時教判の最初の四教)の四十年あまりの経典をあげて、さらに『涅槃経』に対してもこの経典の方が勝ると説き、また『法華経』に対しては「この経が世に出たことは、まさに『法華経』に説かれる八千人の声聞(しょうもん・歴史的釈迦の直接の弟子。釈迦の声を聞いていたのでこのように呼ばれる)に、将来仏になるという授記を授けて(注:正式には、予言という意味の「記」を授ける、であるが、将来仏となるという預言は「授記」と呼ばれているので、わかりやすく意味が重複するがこのように表現する)、大いなる大果実を成就したように、秋に収穫して冬に蔵に収めて、すべての作業が終わったようなものである」(注:『無量義経』の内容を日蓮上人なりに要約した文)とあります。これは、この『無量義経』と『涅槃経』は『法華経』に劣るという意味の経文です。

このように、経文においては分明でありますが、南北の大いなる知恵の人たちは、この経文に迷っているので、末代の学者はよくよく、眼を留めるべきです。この経文は、ただ『法華経』・『涅槃経』の勝劣だけではなく、あらゆる方角の世界のすべての経典の勝劣についての知ることができるのです。しかし、この経文に迷うとしても、天台大師・妙楽大師・伝教大師の解釈がある限り、人々は正しくすることができるのです。このように言っても、本来、天台宗の人であるはずの慈覚大師・智証大師すら、この経文に暗いのですから、ましてや、他の宗派の人は言うまでもありません。

ある人は疑って言います。中国や日本に伝わった諸経典の中では、『法華経』よりも勝れる経典はないとしても、月氏国・竜宮・四王・日月・忉利天・兜率天などには、大河の砂の数ほどの経典があるといいますから、その中には、『法華経』より勝る経典があるかも知れません。

答えて言います。一をもって万を察すべきです。庭の戸から出ないで天下を知るとはこのことです。愚痴の人は疑って言うでしょう。私たちは、南天を見れば東西北の三つの空を見ることはできません。その三つの空に、もしかしたら、太陽とは別の太陽があるかも知れません。山を隔てた所に立つ煙を見て、火は見えないのだから、火はないかも知れません。このように言う者は、一闡提(いっせんだい・仏になれないとされる人)の人と知るべきです。真理を見ることのできない人と同等です。『法華経』の「法師品」に、金の口のような釈迦如来が語られた真実の言葉をもって、五十余年間のすべての経典の勝劣を定めて、「私が語った経典は、無量千万億もあり、それらはすでに語り、今語り、これから語るであろう。しかも、その中において、この『法華経』は最も信じがたく、理解しがたい」と語られています。この経文は、ただ釈迦如来一仏の説であっても、等覚の位以下の人たちは仰いで信じるべきであり、その上、多宝仏が東方より来られ、真実であると証明され、あらゆる方角の諸仏も集って、釈迦仏と同じく広長舌(こうじょうぜつ・広く長い舌という意味であるが、これをもって、仏の言葉が優れていることを表現している)を梵天にまで及ばせられ、その後、諸仏のそれぞれの国々に帰られました。「すでに語り、今語り、これから語る」という三つの言葉を通して、釈迦如来の五十年の説法と、ならびにあらゆる方角と、過去現在未来の三世の諸仏の語られた経典一字一点も残さず引き合わせて、その中で『法華経』が最も勝れているということを説かれたのです。あらゆる方角の諸仏は、この座において、それに対して証印を押されましたが、それにもかかわらず、それぞれの仏国土に帰られて、その弟子たちに向かって、『法華経』より勝れた経典がある、などと説かれるならば、その仏国土の弟子たちは信じるべきでしょうか。また、自分は見たことがないので、月氏国・竜宮・四天・日月などの宮殿の中に、『法華経』より勝れた経典があるかも知れないと疑うのならば、言い返しますが、この梵天帝釈天、日月・四天・竜王は、『法華経』の説かれた御座にはいなかったのでしょうか。もし、日月などの諸天が、『法華経』より勝れた経典がある、あなたたちが知らないだけだ、とおっしゃるならば、大いに人をだます日月天だということになります。日蓮は責めて言います。日月は虚空に住んでおられますが、まるで私たちが大地に足をつけているように、虚空から落ちないことは、優れた不妄語戒を守る力のためです。『法華経』より勝れた経典がある、という大いなる妄語を語るならば、恐らくまだ壊劫(かいこう・この世の終わり)になっていないでしょうけれども、そのような日月天は、大地の上にドンと落ちてしまうでしょう。そしてその落下は、無間地獄の底でないかぎり、留まることはないでしょう。大いなる妄語の人は、一瞬たりとも、空に住んで四天下を廻ることはできないと責めるわけであります。

しかし、華厳宗の澄観等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証などの大いに知恵をそなえた三蔵法師・大師たちが、『華厳経』・『大日経』などは『法華経』より勝れていると教えを立てていらっしゃることは、私がどうこう言う資格はありませんが、仏法の大いなる道理からすれば、どうして諸仏の大怨敵でないことがありましょうか。仏を襲った提婆達多(だいばだった)とその弟子である瞿伽梨(くぎゃり)どころではありません。両親と僧侶を殺した大天や大慢以上だと言えます。そのような宗派の人を師とする者たちも、恐ろしいことです。恐ろしいことです。

(つづく)