大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華取要抄 その2

法華取要抄 その2

 

そもそも諸宗の人師たちは、旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、あるいは新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、あるいは自宗の曲がった解釈に執著して、自らの義に従い、愚かな見解をもって注釈し、それを残して後代に加えているのである。たとえば、木の切り株に当たって死んだ兎を見て、次からは切り株を見守り、また、智慧が丸い扇を見ることによって得られたからと言って、次からは扇のような天の月を仰ぐような誤りを捨てて、理法を直接取る者が智慧のある人である。インドから見れば末端に位置するような論師や、日本において教派を立てた人師の邪義を捨て置いて、もっぱら本となる経論を引き見れば、釈尊の五十年あまりの諸経の中に、『法華経』第四巻の「法師品」にある「已今当(いこんとう・真理は已(すで)に説かれ、今説かれ、これから当(まさ)に説かれるであろう、という意味)」の三字が最も第一である。諸の論師や諸の人師は、本当にこの経文を見ているのだろうか。そうだと言っても、あるいは似たような経文に狂い、あるいは祖師となっている師の誤った解釈に執着し、あるいは王や家臣などから帰依されなくなるのではないか、と怖れているのか。いわゆる、『金光明最勝経』の「是諸経之王」という文、『密厳経』の「一切経中勝」という文、『六波羅蜜経』の「総持第一」という文、『大日経』の「云何菩提」という文、『華厳経』の「能信是経最為難」という文、『般若経』の「会入法性不見一事」という文、『大智度論』の「般若波羅蜜最第一」という文、『涅槃論』の「今者涅槃理」という文などである。これらの諸文は、『法華経』の「已今当」の三字に似せた文である。

(注:繰り返し述べているように、大乗経典は、紀元前後の大乗仏教運動の中で、各グループによって創作されたものであるため、それぞれの経典が最高だ、と主張するのは当たり前のことであり、それらが何か意味を持つものではない)。

そうとは言っても、あるいは梵天帝釈天、四天王などが、それぞれの経典に対すれば、その経典は諸経の王だと言われ、あるいは劣った教えの小乗経に対すれば、その経典は諸経の中で王だと認識され、あるいは『華厳経』や『勝鬘経』などの経典は、確かに一切経の中で優れた経典だと言われるであろう。しかし、釈尊の五十年あまりの大小、権実、顕密のすべての経典を総合して相対比較した結果、これこそ諸経の王の中の大王だと結論付けられたのではない。どの経典と比較しているかをしっかり認識したうえで、各経典の勝劣を論じるべきである。たとえば、強敵を調伏する時、初めて全力を尽くすようなものである。

またその上、諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深である。多宝仏や分身仏の助言を加えているのではない。私説をもって公事と混同することがないようにせよ。諸経は、あるいは声聞と縁覚の二乗や凡夫に対して小乗経を説き、あるいは、文殊菩薩や解脱月菩薩や金剛薩埵などの教えを広める菩薩に対して説かれているのであって、地涌千界の上行菩薩などに説いているのではない。

今、『法華経』と諸経とを比較相対すれば、釈尊一代の他の経典を越えている点が、二十種ある。その中で、最も重要な点は二つある。いわゆる三五の二法である。三とは三千塵点劫(さんぜんじんてんごう・『法華経』を説いた大通智勝仏から釈尊までの間)のことである。諸経典は、釈尊の修行期間については、三阿僧祇劫(さんあそうぎこう・小乗教において悟りを得るまでの修行の期間)、あるいは動逾塵劫(どうゆじんごう・菩薩が修行を完成させるまでの期間)、あるいは無量劫(むりょうこう・菩薩が究極的な仏になるまでの期間)であると説いている。

梵天王は、「この土には二十九劫の昔より、私がこの世界を支配する主である。第六天、帝釈天、四天王なども同じである」と言っている。そして、釈尊梵天王たちが、はじめてどちらが支配する者として先だったかを論争したが、釈尊は指一本を挙げてこれを降伏して、それ以来、梵天王は頭を下げ、魔王は手を合わせ、三界(さんがい・欲界、色界、無色界。衆生の住む世界のこと)の衆生釈尊に帰伏させたのである。

また、他の諸仏の修行期間と、釈尊の修行期間とを比較すれば、諸仏の修行期間は、三阿僧祇劫あるいは五劫である。釈尊の修行期間はすでに、三千塵点劫の昔より、娑婆世界の一切衆生と結縁していた菩薩としての修行期間である。この世界の六道の一切衆生は、他の国土の他の菩薩と結縁した者は一人もいない。『法華経』には、「その時に法を聞いた者は、今はその各諸仏の所にいる」とある。天台大師は、「西方極楽浄土は、仏が別であり、縁が異なっているために、子と父の義が成り立たない」と述べている。また妙楽大師は、「阿弥陀仏と釈迦仏の二仏はすでに異なっている。ましてや昔の縁は別であり、教化の導きも同じではない。結縁は、親が子を生むようなもので、その修行者が成熟することは、親が子を養うようなものである。生むことと養うことの縁が異なっていれば、父と子の関係は成り立たない」と述べている。

今の世の日本国の一切衆生が、阿弥陀仏の来迎を待つことは、たとえば、牛の子に馬の乳を与え、瓦の鏡に天の月を映そうとしているようなものである。

また、悟りの位をもって、このことを論じれば、諸仏如来は、十劫百劫千劫の過去の仏である。一方、教主釈尊はすでに五百塵点劫より妙覚の位を満たした仏である。大日如来阿弥陀如来薬師如来などの、あらゆる方角の諸仏は、我らが本師である教主釈尊の所従の仏である。天の月は、地上のすべての水に映るようなものである。『華厳経』の十方台上の毘盧遮那仏、『大日経』と『金剛頂経』の両界の大日如来は、『法華経』の「見宝塔品」の多宝如来の左右の脇士である。たとえば、世の王に仕える二人の家臣のようなものである。この多宝仏も、「如来寿量品」の教主釈尊の所従である(注:もちろんこのようなことは、それこそどの経典にも記されていない。このようなことを言い合っていても無益である。『法華経』に依ると決めた者は、他の経典を比較することなく、『法華経』から霊的糧を得ればそれでいいわけである)。この国土の我ら衆生は、五百塵点劫より教主釈尊の愛子である。親不孝の過ちによって今はそれを覚知できなくても、他方の衆生には似ても似つかない。有縁の仏と結縁の衆生とは、たとえば、天の月が清水に映るように、無縁の仏と衆生とは、たとえば、聾者が雷の音を聞こうとし、盲者が太陽や月に向かうようなものである。

しかし、ある人師は、釈尊を下して大日如来を仰崇し、ある人師は、世尊は無縁であり、阿弥陀仏こそ有縁である。またある人師は、「小乗の釈尊を取るべき」と言い、また「『華厳経』の釈尊を取るべき」と言い、また「『法華経』の迹門の釈尊を取るべき」と言う(注:天台大師は、本門の釈尊と迹門の釈尊というような区別はしていない。「本門即迹門」と『法華玄義』に繰り返し述べられている。このようなことからでも、日蓮上人の信仰は、天台大師に従っているのではなく、独自のものであることが明らかである。しかしそれはそれでよく、それぞれの宗教的確信によればそれでよいのであり、何が誤りで何が正しいということはない)。これらの諸師ならびに檀那などが、釈尊を忘れて諸仏を取っていることは、たとえば、阿闍世太子が父親の頻婆沙羅王を殺し、釈尊に背いて提婆達多に付いたようなものである。

二月十五日は釈尊御入滅の日である。したがって、毎月の十五日も、三界の慈父である釈尊の徳をしのぶ日としなければならない。しかし、多くの人々は、善導や法然や永観などの提婆達多のような者に騙されて、阿弥陀仏の日と定めてしまっている。四月八日は世尊の御誕生の日である。しかし、薬師仏の日となってしまっている。我らが慈父の忌日を、他仏に代えてしまうのは、孝養の者なのであろうか。『法華経』の「如来寿量品」には、「私(仏)もまた、世の父が狂った子を治すように」とある。天台大師は、「もと、この仏に従って初めて道心を起こし、また、この仏に従って不退地(ふたいち・修行が退かない位)に至った。あらゆる川が海に流れ込むように、縁に導かれて人は結縁した仏の国に生まれるのである」と述べている。