大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『法華経』現代語訳と解説 その11

法華経』現代語訳と解説 その11

 

仏は重ねてこの義を述べようと、偈をもって語られた。

たとえばある長者に 一つの大邸宅があった その家は古く壊れかけており 建物は高く危うく 柱の土台は腐り 梁や棟は傾き歪み 土台の石は崩れ砕 塀や壁は破れ裂け 泥壁は剥げ落ち 覆っている茅は乱れ落ち 垂木やひさしはずれて脱落し 家の周りの垣根は曲がり 汚物が満ちていた 五百人の人々が その中に住んでいた トビやフクロウやクマタカや鷲 烏やカササギや鳩や家鳩 トカゲや蛇やマムシやサソリ ヤスデゲジゲジ ヤモリやムカデ イタチや貍やハツカネズミや鼠など あらゆる害虫が 縦横無尽に走り回っている 糞尿の臭い 不浄なものが流れ満ち 糞虫などの多くの虫が その上に集まり 狐や狼や野干(やかん)などが 死骸を食い散らかし 骨や肉が散乱し これによって野犬が群がり 競い来て食いつき 常に飢えに苦しみ徘徊し あちこちに食を求め 闘争して引き裂き いがみ吠える この家の恐ろしさは このような有様だった あちこちに魑魅魍魎(ちみもうりょう) 夜叉悪鬼がいて 人肉や毒虫などを食べる 多くの悪の禽獣 子供を産んで自ら隠し護る 夜叉は競い来て 争ってこれを取って食べる これを食べ飽きれば さらに悪心が盛んになり その闘争の声は 非常に恐ろしい 鳩槃荼鬼(くばんだき)は土に隠れ ある時は地から一尺二尺飛び上がる あちこちに動き回り ほしいままに喜び遊ぶ 犬の両足を取って 打って声を失わせ 足を首に押し付けて 犬を弄んで自ら楽しむ また多くの鬼があり 体が大きく 裸であり黒く瘦せており 常にその中に住んでいる 悪しき大声を発して 呼び叫んで食を求める また別の多くの鬼があり その喉は針のように細い また別の多くの鬼があり 牛のような頭であり 人の肉を食い あるいは犬を食う 頭髪は激しく乱れ 残酷この上なく 飢え渇きに迫られて 呼び叫んで走り回る 夜叉や餓鬼 多くの悪しき鳥獣 飢えに迫られて 窓から首を出して四方を見る このような多くの災いが この家には無量であり恐ろしいばかりであった 

この朽ち果てた家は 一人のものであった その人が近い場所に出かけて まだそれほど経っていない間に その家に突然火災が起きた 同時に家の四面が その炎に包まれた 棟や梁や垂木や柱は 爆音を立てて張り裂け 折れて落ち 垣根や壁は崩れ倒れた 多くの鬼神たちは 声をあげて大いに叫び クマタカや鷲などの鳥たちと 鳩槃荼などは 慌てて自ら出ることができず 悪獣毒虫などは その穴に隠れ逃れ 毘舎闍鬼(びしゃじゃき)もまた その中に住んでいたが 福徳が薄いために 火に迫られ 共に殺し合って 血を飲み肉を食べる 野干などはすでに死に 多くの大悪獣は 競い来て食べる 煙の臭いは四面に充満した ムカデやゲジゲジや毒蛇などは 火に焼かれ 争い走って穴から出た 鳩槃荼鬼はそれらを取って食べた また多くの餓鬼は 頭に火が燃え移り 飢え渇き熱に苦しみ 悶えながら走り回る その家はこのように 非常に恐ろしく 毒害火災 多くの災難は一つではなかった(注1)

その時に家の主人は 門の外に立って あなたの子供たちは 遊ぶためにこの家に入って 幼く無知なために 娯楽に没頭していると聞いた 長者はこれを聞いて 驚いて燃える家に入った 早く救い出して 焼け死ぬようなことのないようにしなければと思った そこで子供たちに 多くの危険や災いがあることを次のように説いた ここは悪鬼毒虫 災害火災が蔓延している 多くの苦しみが次々と 絶えず続いている 毒蛇やトカゲやマムシ さらに多くの夜叉

 鳩槃荼鬼 野干や狐や犬 クマタカや鷲やトビやフクロウ ムカデなどが 飢え渇きの悩みに迫られ 非常に恐ろしいことになっている この苦しみだけでも大変なことだが ましてや火災が起きているのだと言った しかし子供たちはそれらを理解せず 父の言葉が聞こえてはいても なお楽しみに没頭して 喜び戯れることを止めない この時長者は さらに次のようにおもった 子供たちはこのようであり 私の心配は増すばかりだ 今この家は 何一つ楽しむべきものはない しかし子供たちは 喜び戯れに没頭し 私の教えを受け入れない まさに火に焼かれようとしている このように考え 多くの方便を設けて 子供たちの次のように言った 私にはあらゆる珍しい玩具 妙なる宝の車がある 羊車鹿車 大牛の車である それらは今門の外にある あなたたちは出て来なさい 私はあなたたちのために これらの車を作ったのだ 思うがままに これで遊ぶがよい 子供たちはこのような車のことを聞いて すぐに先を争うように 走って出て来て 空地まで来て 多くの苦難から離れることができた 長者は子供たちが 燃える家より出ることができ 道が交差する広場にいるのを見て 立派な椅子に座り 自ら喜んで次のように言った 私は今安心した この子供たちは 育てることは非常に難しい 幼く愚かで無知であり 危険な家に入ってしまった 多くの毒虫 魑魅魍魎が多く恐るべきところである 大火の激しい炎が 四方より同時に起った しかしこの子供たちは 喜び戯れ楽しみに没頭していた 私はやっと救うことができ 災難を逃れさせることができた このために人々よ 私は今とても嬉しい 

その時子供たちは 父が安らかに座っているのを知って みな父の所に来て 父に次のように言った 願わくは私たちに 三種の宝車を下さい 出て来なさい あなたたちに三種の車を与える 思うがままに遊びなさいとおっしゃいました 今まさしくその時です ただその通りに与えてください 長者は大いに富んでいて 蔵に収められている物は多かった 金銀瑠璃 硨磲碼碯など 多くの宝物をもって さまざまの大車を作った 厳かに飾られ 周りには欄干があり 四面に鈴が掛けられ 金の縄が交差し 真珠の網が その上に張り巡らされ 金の華の房が 所々に垂れ下がり 周りはさまざまな色で装飾され 柔らかな布でできた布団が備えられ 純白で清らかな 価が千億もの上等の毛布が その上を覆っていた よく肥えて力が強く 身体の形も良い 大きな白い牛があって 宝車を引いていた 多くの御者たちがいて これを守っていた この妙なる車をもって 同じく子供たちに与えた その時子供たちは 歓喜踊躍して この宝車に乗って 自在に妨げられることなく 喜び戯れ楽しみ 四方に遊んだ 

舎利弗に告げる 私もまたこのようである 多くの聖の中で 尊ばれる世間の父である すべての衆生は みな私の子である 彼らは深く世の楽しみに執着して 智慧の心がない 三界には安らぎはない まさに燃える家のようである 多くの苦しみが充満して 非常に恐ろしい 常に生老 病死の憂いと災いがある このような火は 激しく燃えていて止むことがない 如来はすでに 三界の燃える家を離れて 平静な心をもって 林や野に安住している 今この三界は みな私の所有である その中の衆生は すべて私の子である しかも今この所は 多くの患難がある ただ私一人のみ よく救い守ることができる しかし彼らに教え諭しても 信じ受けいれることはなかった 多くの欲望に染まり 貪りと執着が深いために 方便して三乗を説き 多くの衆生に対して 三界の苦を知らせ 出世間(しゅっせけん)の道を 開示し解き明かした 私の子供たちの中の声聞でも もし心に悟るところがあるならば 三明(さんみょう)および六神通(注2)を具足して 縁覚や不退の菩薩となることができる 

 

注1・この長い偈の箇所では、まずこの燃える家の恐ろしさが記されているが、これはこの世の悪しき様を喩えとして表現した言葉である。そして、この古く朽ち果てた恐ろしい家が、この富んでいる長者の家なのか、あるいは一応所有はしているが、長者はそこに住んでいないのか、その点がはっきりしない。もし長者が住んでいる家ならば、なぜその財力で建て直さないのか、リホームしないのか、という疑問もわく。しかし喩え話とは本来そのようなもので、喩えを通して伝えようとすることが伝わればそれでいいのであり、喩えはあくまでも喩えであり、実際、この世に実在する事柄ではないのである。

注2・「三明および六神通」 三明は、過去の事を明らかに知る宿命明、未来の事を明らかに知る天眼明、現在の事を明らかに知って煩悩を断じ尽くす漏尽明をいう。六神通は、思うがままに場所を行き来できる神足通(じんそくつう)、すべての音声を聞き分けることのできる天耳通(てんにつう)、人の心を知ることができる他心通(たしんつう)、過去世や未来世について知ることができる宿命通(しゅくみょうつう)、すべての人々の業による転生について知ることができる天眼通(てんげんつう)、煩悩が尽きて、今生に生まれ変わることが亡くなったことを知る漏尽通(ろじんつう)。

法華経』ばかりではなく、あらゆる経典にこのような項目は多いが、これらをすべて一人の人が身に着けるということではなく、それぞれの能力などに応じて、これらの中の一つか二つを得る、と考えた方が自然である。