撰時抄 その6

今は、末法に入って二百年あまりが過ぎた。

(注:先にも述べたように、日蓮当時の日本では、釈迦が死んだのは、西暦紀元前949年とされていた。したがって、最終的な時代である末法(まっぽう)は、釈迦の死後二千年後に始まるのであるから、平安時代の中期にあたる1052年(永承7年)に始まった、という説が有力であった。日蓮は、1222年から1282年の人物であるから、この『撰時抄』が記された時は、220年あまりが過ぎていることとなる。
しかし、実際の釈迦の生没年については、前463~前383、あるいは前566~前486という説があるが、いずれにせよ、もし末法が釈迦の死後二千年から始まるとするならば、まさに現在である。)

『大集経』の「国乱れて正しい教えが隠れてしまう時」に当たる。仏の言葉が真実ならば、必ずこの世が乱れる時である。伝え聞くところによると、中国では、三百六十の国そして六十あまりの州は、蒙古国に打ち破られたという。都はすでに破られて、徽宗(きそう)と欽宗(きんそう)の両帝は、金に連行され、モンゴルで亡くなられたという。徽宗の孫の高宗皇帝は長安を攻め落とされて、田舎の杭州地方に逃れて、数年間、都を見ることができなかったという。高麗や新羅百済などの諸国もみな大蒙古国の皇帝に攻められて、今の日本国の壱岐対馬ならびに九州のようである。国乱れるという仏の言葉は地に落ちず、まるで海の潮の満ち引きが時を違えることがないようなものである。このことをもって考えると、『大集経』がいう、正しい教えが隠れてしまう時に次いで、『法華経』の大いなる正しい教えが日本ならびに世界中に広まることも疑いない。
『大集経』は、釈迦の教えの中では、『法華経』以前の教えであって、真実に生死の繰り返しを離れることにおいては、『法華経』の教えを聞いていない限り力のない経典ではあるが、この世の事柄である迷いの世界のこと、生きとし生けるもののこと、過去現在未来のことについては、少しの誤りもない経典である。
ましてや、『法華経』は釈迦が「まさに真実を説こう」とおっしゃり、多宝仏は「この教えは真実である」と証明され、あらゆる国から来た諸仏は、梵天にまで至る広く長い舌をもって、その教えの正しいことを証しされた。そして釈迦は再び、偽りのないその舌をこの世の最も高い天にまで至らせ、後の五百年にすべての仏の教えが滅んだ時、上行菩薩妙法蓮華経の五字をゆだねて、教えを非難する愚かな者たちへの良い薬としようと、梵天帝釈天や日天子や月天子、そして四天王や竜神たちに語られたその尊い言葉が空しくなるはずがない。大地は覆され、高山はなくなり、春の後に夏が来ず、太陽が東へ沈み、月は地に落ちたとしても、このことは絶対にないのである。

このことが事実であるならば、国が乱れる時において、日本の国の王や大臣ならびに 万民のための仏の使者として、「南無妙法蓮華経」を広めようとする人に対して、罵り、悪口を言い、流罪にして、打ちたたき、その弟子たちをあらゆる困難な目に合わせる人たちが、どうして安穏でいられるであろうか。このようなことを言うと、愚かな者たちは、呪っていると思うであろうが、法華経を広める者は、日本のすべての人々に対する父や母のようなものである。章安大師(しょうあんだいし・天台大師の弟子であり、天台大師の講義の多くを記述として残した)は、「彼らのために悪を除く者は、すなわち彼らの親である」と言っている。そうであるなら、日蓮は日本の王の父母であり、念仏する者や禅宗の者や真言の僧侶たちにとっての師範である。また主君である。しかしその日蓮を、上の人から下の万民に至るまで困難にあわせるとは、太陽や月が彼らをどうして照らし続けていようか。地の神がどうして彼らの足を支えていようか。提婆達多(だいばだった)は仏を打って傷つけたので、大地が揺動して火炎が噴出し、檀弥羅王(だんみらおう)は師子尊者(ししそんじゃ)の首を切ったので、右の手が刀と共に落ちたという。徽宗皇帝は法道(ほうどう)の顔に焼き印を押して江南に流したので、半年もたたないうちに敵の手にかかってしまった。
今、日本に蒙古が攻めて来るのもこれと同じである。たとえ多くの天の武士を集めて、鉄囲山(てっちせん・この世の最も外側にあるという山)を城としてもかなわないであろう。必ず日本のすべての人々は、その兵によって苦しめられるであろう。そのことを通して、日蓮法華経の行者であるかないかがはっきりするであろう。
釈迦は、「末の世の悪しき世界に『法華経』を広める者に対して、悪口を言い罵倒する者は、仏である私を一劫という長い間呪った者よりも百千万億倍その罪は重いのだ」とおっしゃった。それにもかかわらず、今の日本の国主や万民たちは、自分の思いのままに、父母や長年の敵よりも大いに日蓮を憎み、謀反人や殺人者よりも強く日蓮を責めるとは、今すぐにでも大地が割れて陥り、天の雷がその身を割いても不思議はない。
日蓮法華経の行者ではないのか。もしそうならば、大きな嘆きである。この一生においては万人に責められて片時も安らかにいられず、次の生には悪しき世界に落ちると嘆くばかりである。日蓮が『法華経』の行者でないならば、誰が『法華経』の教えである一乗(すべての人が仏になるという教え)を保つ者であろうか。
法然が「『法華経』を投げ捨てて念仏だけを用いよ」と言い、善導が「念仏以外の道では、千人の中でも一人も仏になれない」と言い、道綽が「念仏以外の道では、未だに一人も悟った者はない」などと言っているが、そのようなことを言う者が『法華経』の行者なのだろうか。また弘法大師は「『法華経』を行ずるなどとはたわ言だ」と言っているが、このような者が『法華経』の行者なのだろうか。『法華経』の文には「この経典をよく保つ」、「この経典をよく説く」と記されているが、「よく説く」とはどのようなことか。それは、この『法華経』があらゆる経典の中で最も上であると言って、『大日経』や『華厳経』や『涅槃経』や『般若経』などよりも、『法華経』は優れているとする者こそ、『法華経』には『法華経』の行者だと説かれているのである。もしその経文の通りならば、日本に仏の教えが伝えられて七百年あまり、伝教大師日蓮以外は、一人も『法華経』の行者はないことになる。
いろいろ考えてみるならば、『法華経』を罵る者は、頭が七つに割けるとか、口がふさがってしまうとか記されているが、まだそのようなことは起こっていないのも道理である。なぜなら、そのようなことは浅い罰なのであり、あったとしてもただ一人二人のことである。日蓮はこの世において、第一の『法華経』の行者である。それをそしったり恨んだりすることをしきりにする者は、この世で最も大きな災難にあうであろう。これこそ、日本を揺り動かした正嘉の大地震(しょうかのだいじしん・1257年に鎌倉を襲った大地震。ちなみに、日蓮が死んで10年後にも鎌倉に大地震があり、その混乱の中、日蓮を迫害した中心人物の平頼綱はその子と共に殺害された)であり、また天を罰するかのような文永の大彗星(1265年に現われた大彗星)などである。これらを見るがよい。仏が死んだのちの世において、仏の教えを行なう者が恨まれることはあっても、今のような大いなる災難は一度もなかった。「南無妙法蓮華経」と、すべての人々に勧めた人も一人もいなかった。この徳に対して、この天下に眼を合せ、世界に肩を並べる者がいるだろうか。

 

つづく

 

日蓮 #撰時抄