大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

法華玄義 現代語訳  91

『法華玄義』現代語訳  91

 

(注:ここまでは、地獄、餓鬼、畜生、修羅の四道の有について述べられてきた。順番からすると、次は人道であるが、仏教では、その人が住む場所として東西南北四つの大陸があるという。したがって、人の有という表現ではなく、一つ一つの大陸の有という表現となる。そして各大陸に生まれるようになったということは、すべてその人の業によることであるので、その土地でどのように生きるべきか、ということではなく、その業をどのように破ったらよいか、また破られるか、ということが説かれるのである)。

5.日光三昧(にっこうざんまい)

二十五有の⑤弗婆提(ほつばだい・仏教の世界観における四つの大陸の内のひとつ。東方にあるとする)の有は、日光三昧によって破る。太陽は朝、東から出るので、わかりやすくその名称としたまでである。日光はよくすべてを照らして、迷いや疑惑を除くということに喩える。その東方にある地の人に、悪業の闇、見思惑の闇、塵沙惑の闇、無明惑の闇がある。

菩薩はそれらの闇を照らすために、前に述べた持戒の光を修して悪業の闇を除き、あらゆる禅定から流れ出る光を修して見思惑の闇を抑え、一切智(いっさいち・すべての実在の真実の姿を見抜く智慧)の光を修して見思惑の闇を除き、道種智(どうしゅち・人々を教化するための智慧)の光を修して塵沙惑の闇を除き、一切種智(いっさいしゅち・すべてを平等に知る智慧。以上の三つを三智という)を修して無明惑の闇を除く。

見思惑の闇が除かれたために、一切智の日光三昧を成就し、塵沙惑の闇が除かれたために、道種智の日光三昧が成就し、無明惑の闇が除かれたために一切種智の日光三昧を成就する。

菩薩はあらゆる行の慈悲・四弘誓願をもって、深くすべての世界に入る。この弗婆提の有において機縁あって菩薩の慈悲にあずかる者があれば、中道王三昧をもって菩薩の真理における本性をそのままに、そこに赴きこれに応じ、身を現わし教えを説く。また良い機縁を持つ者があるならば、菩薩は根本業清浄戒の中の慈悲をもってこれに応じ、悪業の闇から離れさせる。また入空の機縁を持つ者があるならば、生滅四諦・無生の四諦智慧の慈悲をもってこれに応じ、見思惑の闇から離れさせる。入仮の機縁を持つ者があるならば、無量四諦智慧の慈悲をもってこれに応じ、無知の闇から離れさせる。入中の機縁を持つ者があるならば、無作四諦智慧の慈悲をもってこれに応じ、無明惑の闇から離れさせる。菩薩は自らすでに闇を除き、また他の者にも闇を除かせるために、日光三昧と名付ける。

6.月光三昧(がっこうざんまい)

二十五有の⑥瞿耶尼(くやに・西方にあるとする)の有は、月光三昧によって破る。月は夕方初めて西に現われるので、わかりやすくその名称としたまでである。月光もまた闇を照らすことは、日光と同じである。詳しくは前と同じ。

7.熱焰三昧(ねつえんざんまい)

二十五有の⑦鬱単越(うったんおつ・北方にあるとする)の有は、熱焰三昧によって破る。北方は寒い地域のため、氷結すれば溶けにくい。炎の熱と光によらなければ、溶けて元通りになることはない。その北方にある地の人は、無我に氷のように固く執着して、真実の悟りに導くことが難しい。もし智の火と慧の熱によらなければ、無我に執着する心はついに悟ることはできない。その無我に対する執着は妄想の無我であって、なお自性の人我(じしょうのにんが・自分の我に執着すること)、法我(ほうが・教えに執着すること)、真如我(しんにょが・真理に執着すること)がある。

菩薩はそれらの我執を破るために、生滅四諦・無生四諦智慧を修して、自性の人我を破り、無量四諦智慧を修して、法我を破り、無作四諦智慧を修して、真如我を破る。

自性の人我が破られ人空を得て真諦の智慧の熱焰三昧が成就し、法我が破られ法空を得て俗諦の智慧の熱焰三昧が成就し、真如我が破られ真如空を得て中道の智慧の熱焰三昧が成就する。

菩薩は慈悲をもって、深くすべての世界に入る。この鬱単越の有において機縁あって菩薩の慈悲にあずかる者があれば、中道王三昧をもって菩薩の真理における本性をそのままに、そこに赴きこれに応じ、身を現わし教えを説く。また良い機縁を持つ者があるならば、菩薩は根本業清浄戒の中の慈悲をもってこれに応じ、妄想の無我から離れさせる。また入空の機縁を持つ者があるならば、生滅四諦・無生四諦智慧の慈悲をもってこれに応じ、自性の人我から離れさせる。入仮の機縁を持つ者があるならば、無量四諦智慧の慈悲をもってこれに応じ、法我から離れさせる。入中の機縁を持つ者があるならば、無作四諦智慧の慈悲をもってこれに応じ、真如我から離れさせる。菩薩は自らすでに妄想の我を破り、また他の者にも妄想の我を除かせるために、熱焰三昧と名付ける。

8.如幻三昧(にょげんざんまい)

二十五有の⑧閻浮提(えんぶだい・南方にあるとされる。いわゆる「私たち」が住む大陸とされる。南閻浮提ともいう)の有は、如幻三昧によって破る。この南方にある地域は、果報が入り混じり、寿命も定まっていない。なお幻が作り出したもののようである。これはすなわち心により業を幻のように作り出し、見思惑を作り出し、無知である塵沙惑を作り出し、無明惑を作り出す。

菩薩はそれらの幻を破るために、持戒によって無作四諦を幻として作り出し、業が結んだ幻を破り、禅定によって八背捨を幻として作り出し、生滅四諦・無生四諦智慧によって無漏(むろ・煩悩のないこと)を幻として作り出し、無量四諦智慧によって有漏(うろ・煩悩のこと)を幻として作り出し、無作四諦智慧によって非漏非無漏を幻として作り出す。

見思惑の幻が破られれば真諦の幻が成就し、無知である塵沙惑の幻が破られれば俗諦の幻が成就し、無明惑の幻が破られれば中道の幻が成就する。このために『華厳経』に「如来は大幻師である」とある。

この閻浮提の有において機縁あって菩薩の四弘誓願にあずかる者があれば、菩薩はその慈悲をもって求めに応じる。自らあらゆる幻を破り、他のあらゆる幻を成就する。このために、如幻三昧と名付ける。他は上に述べた通りである。