大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

天台四教儀 現代語訳  08

『天台四教儀』現代語訳  08

 

第三章「化法の四教」

第一節「三蔵教」

第一項「三蔵教とは」

 

これから化法の四教について述べる。第一の三蔵教の三とは、『四阿含経』などの修多羅蔵(しゅたらぞう・修多羅とは、すでに述べられたように、十二部経の分類から見れば散文の経典を指すが、すべての経典一般を指す場合もあり、ここではその後者であって経蔵ともいう)、『倶舎論(くしゃろん)』『毘婆沙論(びばしゃろん)』などの阿毘曇藏(あびどん・阿毘曇とはアビダルマの音写文字で、意味は経典を解釈した論書のこと。論蔵ともいう)、『五部律』などの毘尼藏(びにぞう・毘尼とはビナヤの音写文字で、戒律という意味。律蔵ともいう)の三つを指す。三蔵という名称は小乗と大乗に通じるが、ここでは小乗の三蔵のことである。

(注:いよいよここから化法の四教の説明となるが、すでに化法の四教の名称はここまででたびたび記されていた。それほど、この四教は重要であり、天台教学を語る時、必ず必要となる教理であり名称であり分類である。すなわち、経典をその内容によって分類して四教とするのである。

その最初が三蔵教であるが、多くの場合、蔵教と略される。もともと、仏教を経・律・論の三蔵に分ける見方がある。本文では、経・論・律の順番であるが、一般的には、経律論の三蔵という。その一つめは、経の文そのもののことであり経蔵という。二つめは、戒律のことであり律蔵という。三つめは、経典を解釈した論書であり論蔵という。ちなみに、この三蔵によく精通した僧侶のことを三蔵法師と言う。

本文にあるように、三蔵と言えば、小乗にも大乗にもあることになるが、化法の四教の蔵教は、もっぱら小乗仏教の三蔵を指す)。

 

大智度論(だいちどろん・龍樹(りゅうじゅ・2世紀~3世紀)著とされる初期大乗仏教の論書を代表する書)』に次のようにある。「迦多衍尼子(かたえんにし・紀元前2世紀ごろの人か。小乗仏教の論書である『発智論』を著わしたとされる)は聡明であり能力が高く、『大毘婆沙論(だいびばしゃろん)』の中で三蔵教の意義を明らかにしているが、大乗の経典を知らないので、大菩薩(ここでは、初期大乗仏教を代表する論書の著者に対する称号として用いられている)ではない(注:この個所には問題がある。『大毘婆沙論』は『発智論』の注釈書なので、迦多衍尼子の著作ではない。また、迦多衍尼子が実在の人物だとすれば、まだ彼の時代には大乗仏教が興っていないはずであるので、大乗経典を知らないのは当然である。ともかく、ここでこの『天台四教儀』の著者である諦観が言いたいことは、龍樹の『大智度論』の中で、すでに三蔵教を大乗仏教ではない、と述べている箇所がある、ということである)」。また、『法華経』には「小乗に執着する三蔵学者」とある。これらの文献の言葉により、天台大師は小乗を三蔵教としたのである。