大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

報恩抄 その9 (完)

日蓮が「南無妙法蓮華経」と広めれば、「南無阿弥陀仏」の働きは月が隠れるように、潮が引くように、秋冬の草が枯れるように、氷が太陽で溶けるようになるのを見るべきです。

問う人が言います。その教えが実に勝れているならば、摩訶迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・南岳大師・天台大師・妙楽大師・伝教大師たちは、善導が「南無阿弥陀仏」と勧めて中国で広めたように、また、慧心僧都・永観・法然が日本をみな阿弥陀仏の信心にしたように、勧めなかったのでしょうか。

答えて言います。この論難は、以前からありました。今に始まったことではありません。馬鳴・竜樹菩薩などは、仏滅後六百年七百年ころの大論師です。この人々は世に出て、大乗経を広めましたが、多くの小乗の者は疑って次のように言いました。「摩訶迦葉・阿難などは仏の滅後二十年四十年生きながらえて、正しい教えを広めたが、それは如来一代の肝心を広めたことになる。そしてこの人々は、ただ苦・空・無常・無我の法門を重要としていたが、今、馬鳴・竜樹などは賢人だとはいえ、摩訶迦葉・阿難などより勝れてはいない。これが第一の論難。摩訶迦葉は仏に会って悟った人である。しかし、この人々は仏に会ったことがない。これが第二の論難。外道は常・楽・我・浄を立てるが、仏は世に出られて、苦・空・無常・無我を教えられた。この者どもは常・楽・我・浄と言っている。これが第三の論難。そうであるなら、仏が御入滅され、また摩訶迦葉たちも亡くなったので、第六天の魔王がこの者どもの身に代わりに入って、仏法を破壊し外道の教えとしようとしている。したがって、仏法の敵は頭を割れ、首を切れ、命を断て、飢えさせよ、国から追放せよ」。このように多くの小乗の人々は言いましたが、馬鳴・竜樹たちはただ一・二人です。昼夜に悪口の声を聞き、朝暮に杖木を被りました。しかし、この二人は仏の御使いです。まさに『摩耶経』には、六百年に馬鳴が出て、七百年に竜樹が出るであろうと説かれています(注:馬鳴や竜樹のような論師が、という意味)。その上、『楞伽経』などにも記されています。また、『付法蔵経』にもあることは言うまでもないことです。しかし、多くの小乗の者どもはこれらを用いることなく、ただ理不尽に責めたのでした。『法華経』に「如来がいる現在でもなお怨嫉が多い。ましてや滅度の後はなおさらである」という経文は、この時になって、少し知られるようになったのです。そして、提婆菩薩が外道に殺され、師子尊者が首を切られたことなども、このことが思われるのです。また、仏滅後一千五百年余り経過して、月氏国より東に中国という国があって、その陳・隋の時代に天台大師が世に出ました。この人は、「如来の聖教に大乗と小乗があり、顕教があり密教があり、権大乗と実大乗がある。摩訶迦葉・阿難たちは、ひたすら小乗を広め、馬鳴・竜樹・無著・天親たちは、権大乗を広め、実大乗の『法華経』については、ただ指を指して内容は隠し、あるいは、経典の表面的なことだけを述べて、最初から最後までは述べず、あるいは、迹門を述べて本門を表わさず、あるいは、本門と迹門を説いても観心は説かなかった」と言ったので、南三北七の十流を受け継ぐ数千万人たちは、一斉にどっと笑いました。そして次のように罵りました。「世の末になると不思議な法師も出現するものだ。時々、私たちの教えを偏って解釈する者はいるが、後漢の永平十年丁卯の年より、今の陳・隋に至るまでの三蔵に精通した人の師二百六十人あまりに対して、ものも知らない人たちだと言う上、謗法の者であり悪道に堕ちるなどと言う者が現われた。頭がおかしいために、ついに『法華経』を持て来た鳩摩羅什三蔵に対しても、ものも知らない者だと言っている。まあ、中国はいいとして、月氏国の大論師である竜樹・天親たちの数百人の四依(しえ・すべての人の依るべき師)の菩薩たちも、まだ真実の意義を述べていないのだと言っている。このような者を殺す人は、鷹を殺したことと同じである。鬼を殺すよりも勝れている」。また、妙楽大師の時、月氏国より法相・真言が伝わり、中国に華厳宗が始まりましたが、妙楽大師はこの教えを特に責めたので、このときも人々は騒ぎました。日本には伝教大師が仏滅後一千八百年にあたって世に出られ、天台大師の注釈書を見て、欽明天皇の時から二百六十年間行なわれていた六宗を責めたので、世の外道や中国の道士が日本に出現したのだと罵られた上、仏滅後一千八百年間、月氏国にも中国にも日本にもなかった円頓の大戒を立てようとしたのみならず、「西国の観世音寺戒壇・東国下野の小野寺の戒壇大和国東大寺戒壇はみな同じく小乗の臭い糞のような戒であり瓦石のようである。それを持つ法師たちは狐や猿のようなものだ」と言ったので、「あら不思議なことだ。法師に似た大きな蝗が国に出現した。仏教の苗はあっという間になくなってしまう。殷の紂・夏の桀が法師となって日本に生まれたのだ。後周の宇文・唐の武宗が再び世に出現したのだ。仏法もたった今なくなり、国も滅びるだろう」と言い、また、「大乗と小乗の二種の法師が出現すれば、阿修羅と帝釈天と、項羽と高祖劉邦が同じ国に並んでいるのと同じだ」と言って。多くの人々は手をたたいて舌を振るいました。釈迦在世には、仏と提婆達多の二つの戒壇があって、多少の人々が死んだものである。それならば他宗には背いてもいい。しかし、私たちが師と仰ぐ天台大師でさえ立てられなかった円頓の戒壇を立つべきだと不思議なことを言う。あら恐ろしいことだ恐ろしいことだ」と罵りました。しかし、経文にもそれは明らかにあることなので、比叡山の大乗戒壇すでに立てられています。そうであるならば、内なる悟りは同じであっても、教えの流布においては、摩訶迦葉・阿難よりも馬鳴・竜樹たちが勝れ、馬鳴たちよりも天台大師は勝れ、天台大師よりも伝教大師の方が超えているということです。世の末になれば、人の知恵は浅くなり仏教は深くなるということです。たとえば、軽い病は凡薬で、重い病には仙薬で、弱い人には強い味方があって助けるということです。

問う人が言います。天台大師や伝教大師が広めなかった正しい教えはあるのでしょうか。

答えます。あります。

求めて言います。それは何でしょうか。

答えます。三つあります。末法のために仏が留め置かれたものです。摩訶迦葉・阿難たち、馬鳴・竜樹たち、天台大師・伝教大師たちが広めなかった正しい教えです。

求めて言います。それはどのような姿形なのでしょうか。

答えます。一つは、日本をはじめ世界のすべての人々が同じく、本門の教主である釈尊を本尊とするべきことです。つまり、多宝塔の内の釈迦仏・多宝仏、その外にいる諸仏ならびに上行菩薩などの四菩薩が、その脇士となるのです。

(注:多宝塔の内の釈迦仏・多宝仏が脇士となるなどということは、もちろん天台大師も誰も言っていないことであり、『法華経』の真意からしても、あり得ないことである)。

二つには、本門の戒壇です。

(注:これは、伝教大師の大乗戒壇に関連して、さらにそれを進めた形として述べていると考えられるが、もしそうならば、この一言で終わっていいはずがない。そして大乗戒壇の根拠が『梵網経』であったように、本門の戒壇を言うならば、その根拠を必ず示さねばならないが、それも示されていない。これでは、この言葉は全く意味をなしておらず、いたずらに、後世に誤った宗教が「これこそ本門の戒壇だ」と言い出して、人々を惑わす原因を作り出しているのみを言わざるを得ない)。

三つには、日本をはじめ中国や月氏国や世界のすべての人々が、智慧があるなしにかかわらず、同じく他のことは捨てて、「南無妙法蓮華経」と唱えるべきことです。このことは未だに広まっていません。仏滅後二千二百二十五年間、世界中で一人も唱えていません。日蓮一人だけが「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」と声も惜しまず唱えています。たとえば、風に従って波の大小があり、薪によって火の高下があり、池に従って蓮の大小があり、雨の大小はそれを降らせる竜によることであり、根が深ければ枝は茂り、源が遠ければ川の流れは長いというものです。周が七百年も続いたのは文王の礼孝によることであり秦の世が短かったことは、始皇帝の誤った政治によることです。日蓮の慈悲が広大であるならば、「南無妙法蓮華経」は万年以上の未来までも続くはずです。日本のすべての衆生の盲目を開く功徳があるのです。無間地獄の道をふさぐのです。この功徳は伝教大師・天台大師も超え、竜樹・摩訶迦葉よりも勝れています。極楽百年の修行はこの世の一日の功にも及びません。正法と像法の二千年間に教えを広めることは、末法の一時に劣るでしょう。これはひとえに日蓮智慧が賢いためではありません。時がそのようにしたまでです。春は花が咲き、秋は実り、夏は暑く冬は寒い。それは時がそのようにしているのではないでしょうか。

「私の滅度の後、後の五百年の中に教えを世界中に広め、教えが絶えてしまって、悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼たちに付け入る隙を与えてはならない」という経文が、もし空しくなってしまったら、舎利弗は華光如来とならず、迦葉尊者は光明如来とならず、目連は多摩羅跋栴檀香仏とならず、阿難は山海慧自在通王仏とならず、摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏とならず、耶輸陀羅は具足千万光相仏とならないのです。三千塵点も戯論となり、五百塵点も妄語となって、恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち、多宝仏は阿鼻地獄の炎にむせび、十方の諸仏は八大地獄を住処とし、すべての菩薩は一百三十六の苦しみを受けるでしょう。どうしてそのようなことがありましょうか。そのようなことがなければ、日本はみな同じく「南無妙法蓮華経」となります。そうであるならば、花は根に帰り、真実の味は土に留まるのです。

この功徳は、故道善房の聖霊の御身に集まるでしょう。「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」。

建治二年太歳丙子七月二十一日これを記す

甲州波木井の郷(さと)蓑歩(みのぶ)の岳より、安房国東条郡清澄山浄顕房・義城房のもとへ送り奉る

(完)