大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

『観心本尊抄』 9 (完)

観心本尊抄』解説および現代語訳 9 (完)

 

疑って問う:正法と像法の二千年の間に、この地涌の千界の菩薩たちは、この地に出現してこの『法華経』を広めたのだろうか。

答える:そうではない。

驚いて問う:『法華経』ならびに本門は、仏の滅後のために、まず地涌千界の菩薩に授与されたのではないか。なぜ正法と像法の世に出現してこの経を広めないのか。

答える:広めない。

重ねて問う:なぜか。

答える:これを述べ広めれば、すべての世の人々は、『法華経』にある威音王仏の国の末法のように、また、私の弟子の中でも、この教えを聞いて信ぜず、かえって罵るであろう。黙っていることが最善なのである。

求めて問う:説かなければ、あなたは使命を果たさない罪に陥るであろう。

答える:これは進退窮まったということだ。試みにこれを説こう。「法師品」に「ましてや、仏の滅度の後はどうであろうか」とある。「如来寿量品」に「今これをここに置く」とある。「分別功徳品」に「悪世末法の時」とある。「薬王菩薩本事品」に「後の五百年において、この世に教えを広めよう」(注1)とある。『涅槃経』に「たとえば七人の子がある。父母の子に対する心は平等ではないということはないが、特に病気の子に対しては、その心が他の子より多く傾くようなものである」とある。以上引用した経文を、清らかな鏡のようにして仏の心を推察すると、仏は『法華経』が霊鷲山の上で説かれた八年間の人々のためにこの世に出現したのではなく、正法、像法、末法の人のためである。さらにまた、正法と像法の二千年の間の人のためにではなく、末法の始めの私のような者のためである。「病の子に対して」とあるのは、仏の滅後に『法華経』を誹謗する者を指すのである。「今ここに置いておく」とは、「この良い色と香りのある薬をまずいと言う」者を指すのである。

地涌の千界の菩薩が正法と像法に出現しないのは、正法一千年の間は小乗と権大乗の時代であるので、その時ではないということなのである。そのために、その時代の四依の菩薩たちは、小乗や権大乗をその時代にふさわしいものとして、その時代の人々を導いたのである。その時に『法華経』を説いてしまえば、誹謗する者が多く、正しい教えが破られるので、これを説かなかったのである。たとえば、仏がいた世における『法華経』の前の、四味の教えの人々のようである。像法の中ごろから末にかけて、観世音菩薩と薬王菩薩は、南岳大師と天台大師として現われ、迹門を表面とし、本門を裏として、百界千如、一念三千の教えを尽くした。ただ真理がすべてに備わっているという面を述べ伝え、具体的な面における南無妙法蓮華経の五字、ならびに本門の本尊については、まだ広くこれを行じなかった。いわゆる完全な教えである円教を受けるべき人はいたのであるが、その円教の時ではなかったのである。

今は末法の初めであり、小乗が大乗を打ち、権教が実教を破り、東が西になって天地がひっくりかえったようになっている。迹門の教化を受けた四依の者たちは隠れて現前せず、諸天はその国を捨てて守護しない。この時、まさに地涌の菩薩ははじめて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字をもって、病で苦しんでいる幼い子供たちに与えるのである。妙楽大師が「『法華経』を誹謗したことによって悪に堕ちた者は、かえって、それが因となって利益を得る」と言ったことはこの意味である。私の弟子はこのことを思うように。地涌の千界の菩薩は、教主である釈迦仏が最初に悟りを開いた時の弟子である。この世で最初に教えを説いた『華厳経』の寂滅道場にも来ず、釈迦仏がなくなる沙羅双樹の林にも訪れないのだから、このままでは不孝の罪があるということになるであろう。そして、迹門の十四品にも来ず、本門においても六品には座を立ち帰ってしまっている。つまり、ただ八品の間に来ているのである。このような高貴の大菩薩たちは、釈迦如来多宝如来、釈迦分身の諸仏の三仏に約束して『法華経』を受け保っているのである。どうして、末法の初めに出現しないことがあろうか。まさに知るべきである。この地涌の菩薩の筆頭である四菩薩が、誤りを正す働きをする時は、賢王となって愚王を責め、人々を導く時は僧となって正しい教えを広めるのである。

問う:このことは、仏の文には何とあるか。

答える:「後の五百年にこの世において広められるであろう」とある。天台大師はこれについて「後の五百年は仏の在世よりは遠いが、妙道は潤うであろう」と述べている。妙楽大師は「末法の初めは福がないのではない」と述べている。伝教大師は「正法と像法が過ぎて、末法が近づいてきた」と言っている。「末法が近づいて来た」ということは、自分の時はまだその時ではない、という意味である。伝教大師は、日本における末法の始めについて「時代を語れば像法の終わり末法の初め、地を尋ねれば唐の東であり羯(かつ・匈奴のこと)の西、人を見れば五濁(ごじょく・人の五つの汚れ)の人生、戦争や争いが絶えない時である。経に云はく、仏の滅度の後は、なお怨嫉が多いとある。実にこの言葉は事実である」と述べている。この解釈に「戦争や争いが絶えない時」とあるが、これは今現在のこの国の内乱と外国からの侵略を指しているのである。

まさにこの時、地涌の千界菩薩が出現して、本門の釈迦如来を脇士とするこの世の第一の本尊こそ、この国に立つべきである。インドにも中国にも、この本尊はなかった。日本国の聖徳太子四天王寺を建立したけれども、まだ時が至っていなかったので、他方の仏である阿弥陀仏を本尊とした。さらに聖武天皇東大寺を建立したが、『華厳経』の教主を本尊とした。このようにまだ『法華経』の真実の意義は表わされていない。伝教大師は『法華経』の真実の意義を表わしたが、そうであっても、まだ時が至っていなかったので、東方の薬師如来を建立して本門の四菩薩は表わさなかった。このように、誰も地涌の千界の菩薩を中心としなかった。この菩薩は仏の勅を受けて、近くの大地の下にいる。正法と像法の時代には出現しなかった。末法にもし出現しなかったならば、大妄語の菩薩となってしまう。釈迦仏と多宝仏と分身の諸仏の預言もまた泡に帰してしまう。このことをもって思うに、正法や像法にもなかったような大地震や大彗星も現われている。これは金翅鳥(こんじちょう・インド神話上の架空の鳥。迦楼羅(かるら)として経典に多く登場する)や阿修羅や竜神などが起こした異変などではない。まさに四大菩薩を出現させる前兆であろう。天台大師は「雨が激しいこと見て竜の偉大さを知り、蓮の花が盛んであることを見て池の深さを知る」と言っている。妙楽大師は「智慧ある人はその起ることを知り蛇は自ら蛇を知る」と言っている。天が晴れれば地は明るくなるように、『法華経』を知る者によって、この世のすべては良くなるはずである。

一念三千を知らない者には、仏は大慈悲を起こし、「妙法蓮華経」の五字の内にその珠を隠し、末法の世の幼稚な人々の首にそれを掛けられた。四大菩薩がそのような人を守護されることは、太公や周公旦の文王を助け、商山四皓(しょうざんしこう・乱世を避けて山に隠遁した四人の老人のこと)が西晋の恵帝に仕えたことに異なることはない。

文永十年四月二十五日       日 蓮  これを記す。

(完)

 

注1:『観心本尊抄』の正式な題名は、『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』であるが、この「滅後五五百歳始」という言葉について、重要な事実がある。

法華経』には「薬王菩薩本事品」に二箇所と「普賢菩薩勧発品」に三箇所、「後の五百歳」という言葉が記されている。もちろん、これは『法華経』の訳者である鳩摩羅什(くまらじゅう)がこのように記したのであるが、ではサンスクリット原本ではどうなっているかと見ると、「薬王菩薩本事品」では、「最後の五十年」となっており、「普賢菩薩勧発品」では、「後の五百年たった悪しき世の中」という意味で使われている。

まず、「薬王菩薩本事品」の言葉を見るが、まず一つめの箇所では、『法華経』を聞いた女人の話であり、この女人はもう女性としての生を受けることはなくなる、という内容である。したがって、サンスクリット原本の「最後の五十年」とは、明らかに、人の一生は昔は50歳までと認識されていることから、生まれ変わりを繰り返す中の、人間として、あるいは、ある特定の「生(しょう)」の存在としての、最後の一生という意味である。

また「薬王菩薩本事品」の二つめの箇所では、宿王華菩薩に委ねられた言葉として、この法華経をこの地に広く述べ伝えるべき期間を表している。

まずここでも、この箇所のサンスクリット原本を見ると、「したがって、宿王華菩薩よ。この薬王菩薩本事品が最後の時であり最後の機会である最後の五十年の経過している間に、この娑婆世界に行なわれて消滅しないように、(中略)私はそれをあなたに委ねよう」となっている。この原本の「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」は、先の女人の生涯のことと同じく、この宿王華菩薩の生涯を表わしていると解釈すれば、すべて意味が通じる。つまり、宿王華菩薩は、もう二度と、この娑婆世界には生まれて来ないのである。したがって、宿王華菩薩にとっては、現在の娑婆世界にいる期間が、「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」と表現されるのである。言い換えれば、仏が宿王華菩薩に薬王菩薩本事品を委ねるということは、彼がこの娑婆世界にいる最後の機会の五十年間、この娑婆世界にそれが行なわれて消滅しないことが期待されているということなのである。このように解釈すれば、「最後の時であり最後の機会である最後の五十年」という一見不思議な言葉も、その意味がよくわかる。

したがって、「『薬王菩薩本事品』に『後の五百年において、この世に教えを広めよう』とある」という日蓮上人の解釈は誤りとなる。

そして次に「普賢菩薩勧発品」の三箇所を見ると、「於後五百歳。濁悪世中。其有受持。是経典者。我当守護」と「若後世後五百歳。濁悪世中」と「若如来滅後。後五百歳。若有人。見受持読誦」の三つである。この文の意味は読んでわかる通り、みな同じである。したがって、この「後五百歳」は、「薬王菩薩本事品」の内容とは全く関係がない。しかし、鳩摩羅什はこのことがわからず、「薬王菩薩本事品」の二個所の「五十年」も、この意味と解釈して訳してしまったのである。

この「後五百歳」については、伝統的に『大集経』に記されている「第五の五百年」のことと解釈されており、鳩摩羅什もその解釈に立っていると考えられる。

この『大集経』の言葉は、「五百年が五つ重なった時」という意味である。つまり、第一の五百年は、1年から499年までであり、第二の五百年は、500年から999年までであり、第三の五百年は、1000年から1499年まで、第四の五百年は、1500年から1999年まで、そして第五の五百年は、2000年から2499年までである。そして『大集経』によれば、釈迦の死後二千年から末法が始まるとするので、第五の五百年から末法が始まるとするのである。この鳩摩羅什が訳した「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、「第五の五百年」と解釈することは、すなわち、末法の始まりを意味することになる。

日本の日蓮上人も、このように解釈しているが、それは、日蓮上人が非常に尊敬し、日蓮が書いた大曼荼羅本尊にも名前があがる妙楽大師湛然(たんねん・711~782・中国唐の僧侶。天台教学の中興の祖)がそのように解釈しているからである。湛然は、『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」の意味を、『大集経』の「第五の五百年」と解釈しており、日蓮上人は、その説を受け入れているのである。

日蓮上人は、この湛然の解釈の通り、この『法華経』の「如来の滅後、後の五百歳」という言葉を、仏の滅度の後の第五の五百年、つまり末法の始まりと解釈しており、そのため、日蓮上人は、末法の時代でこそ、『法華経』は広まるのであり、そのように釈迦は『法華経』を委ねられたのだと主張しているのである。

『観心本尊抄』 8

観心本尊抄』解説および現代語訳 8

 

問う:この経文の「そこから使いを送って、『あなたたちの父は死んだ』と伝えさせた」とある「使い」とは誰か。

答える:それは四依(しえ・説明前出)である。四依に四類ある。小乗の四依の多くは、正法の前半の五百年間に現われた。大乗の四依の多くは正法の後半の五百年に現われた。三つめは、迹門の四依の多くは像法一千年、他は末法の初めに現われた。四つめは、本門の四依は地涌の千界の菩薩であり、末法の始めに必ず出現するはずである。この「使いを送って伝えさせた」とある使いは地涌の菩薩たちである。「この良薬」とは「如来寿量品」の肝要である真理の名称も本体も目的も働きも最高の教えも、すべて備えた「南無妙法蓮華経」のことである。この良薬は、仏は迹門の教化の者たちには授与しなかった。ましてや他の国土の者たちに授与するわけがない。

如来神力品」には「その時に、千の世界を微塵にしたほどの数の大いなる菩薩たち、および地より涌き出た菩薩たちは、みな仏の前において一心に合掌し、その尊い御顔を仰ぎ見て、仏に次のように申しあげた。『世尊よ。私たちは世尊とその分身の諸仏の国土において、その仏の滅度の後、まさに広くこの経を説くべきと存じます』」とある。天台大師は「仏は、ただ大地から現われた菩薩たちの誓願だけを見られたのである」と述べている。また道暹(どうせん)は「この経をただ大地から現われた菩薩たちに委ねた理由とは何か。その教えが、久遠の昔からあるために、久遠の昔からいた者に委ねたのだ」と述べている。文殊師利菩薩は東方金色世界の不動仏の弟子であり、観世音菩薩は西方無量寿仏の弟子であり、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、普賢菩薩は宝威仏の弟子である。彼らは釈迦仏の教化の働きを助けるために、この娑婆世界に来たのである。また彼らは『法華経』以前と『法華経』の迹門の菩薩たちである。本門の教えを所持していないので、その教えを広めるにはふさわしくないと考えられる。『法華経』に「その時に世尊は、すべての衆生の前で、大神力を現わされた。広く長い舌を出して、上は梵天の世界に届かせ、さらに十方世界の多くの宝樹の下の師子座の上に座る諸仏もまた同じように、広く長い舌を出した」とある。顕教密教の二つの道、すべての大小乗経典の中に、釈迦仏と諸仏が並んで座り、その舌相が梵天にまで届いた、という文はない。『阿弥陀経』に記されている広長舌相が三千世界を覆った、という記述は有名無実である。『般若経』の舌相三千光を放って般若の教えを説いたということも、全く証明にはならない。これはみな権教を兼ね備えている経典であるため、久遠実成の仏については述べていないからである。このように、仏は十種の神力を現わして、地涌の菩薩たちに妙法の五字を託して次のように言ったことが『法華経』にある。すなわち、「その時に仏は、上行菩薩などの多くの菩薩たちに次のように語られた。『諸仏の神通力は、このように無量無辺であり、人の計り知れるものではない。しかし、私がこの神通力をもって、数えることもできないほどの長い歳月の間、この経典を伝える功徳を説き続けたとしても、語り尽くせるものではない。要約すれば、この経典の中には、如来の持つすべての教え、如来の持つすべての自在の神通力、如来の持つすべての秘密の重要な蔵、如来の持つすべての非常に深い事柄が、みな述べられ、表わされている』」。天台大師は「『その時に仏は、上行菩薩などの多くの菩薩たちに次のように語られた』以下の箇所は、第三結要付属である」と述べている。これについて伝教大師は、「また、神力品に『要約すれば、この経典の中には、如来の持つすべての教え、如来の持つすべての自在の神通力、如来の持つすべての秘密の重要な蔵、如来の持つすべての非常に深い事柄が、みな述べられ、表わされている』とある。明らかに知ることができる。仏の悟りのすべての教え、仏の悟りのすべての自在の神通力、仏の悟りの秘密の重要な蔵、仏の悟りのすべての非常に深い事柄が、すべて『法華経』においてみな述べられ、表わされているのである」と述べている。この十種の神力は妙法蓮華経の五字をもって、上行・安立行・浄行・無辺行の四大菩薩に授与されたのである。十種の神力のうち、前の五神力はこの世のため、後の五神力は仏の滅後のためである。しかし、さらによく考察すると、すべて仏の滅後のためである。このために、「仏滅度の後によくこの『法華経』を保たせるために、諸仏はみな歓喜して無量の神力を現わされた」とある。この「神力品」の次の「嘱累品」には「その時に釈迦牟尼仏は、法座より立って、大いなる神通力を現わされた。右の手をもって無量の大いなる菩薩たちの頭の上をなでて、次のように語られた。『私は測ることもできないほどの無量の歳月において、この得難い最高の悟りへの教えを修習した。今、これをあなたがたに委ねる』」とある。これは、地涌の菩薩を筆頭として、迹門の教化を受けた者たち、娑婆世界以外の国から来た者たち、そして梵天、・帝釈天、四天王たちに、この『法華経』を委ねたのである。そして、この「嘱累品」の最後に「その時に釈迦牟尼仏は、あらゆる方角から集まった多くの分身の仏に対して、それぞれ本土に帰らせようとして、次のように語られた。『諸仏それぞれに安楽があるように。多宝仏の塔、帰って昔のようになさるように。」」とある。さらに続く「薬王菩薩本事品」以下、『法華経』の次に説かれた『涅槃経』までは、地涌の菩薩が去って、迹門の教化を受けた者たち、娑婆世界以外の国から来た菩薩たちのために、さらに重ねて『法華経』を委ねたことを表わしているのである。これを「拾遺嘱(じゅういぞく)」と呼ぶ。

(つづく)

『観心本尊抄』 7

観心本尊抄』解説および現代語訳 7

 

問う。正法像法の二千余年の間は、四依の菩薩(しえのぼさつ・『涅槃経』に記されている仏のいない世で拠り所となる四種類の人物像)ならびに人師などは、他の仏たち、小乗、権大乗、『法華経』以前や『法華経』の迹門の釈迦仏などのために寺塔を建立しているが、本門の「寿量品」で説かれる久遠実成の釈迦の本尊ならびに四大菩薩は、インド、中国、日本のどの王も大臣も共にこれを敬わないことはすでに聞いた。しかしこのようなことは前代未聞のことであり、大変驚き心が迷うばかりである。このことについて、さらに詳しく述べてほしい。

(注:ここから、『法華経』の構成について、長い記述をもって、天台大師の教えに基づいた説明が始まる)。

答える:『法華経』の一部八卷二十八品は、天台大師の説いた五味の教え(ごみのおしえ・釈迦一代の教えとされるすべての経典を、乳製品の熟成過程にたとえて五段階に分けた分類方法。乳味(にゅうみ)、酪味(らくみ)、生蘇味(しょうそみ)、熟蘇味(じゅくそみ)、醍醐味(だいごみ)の五つ。醍醐味はすでに日本語になっている。『涅槃経』に基づく分類方法)によれば、前の四味の教えから始まり、『法華経』の後に説かれた『涅槃経』までの一代の諸経を総括するのである(注:『法華経』の特徴を一言で言うならば、ここで日蓮上人が述べている通り、すべての経典を「総括」する働きである)。

最初の『華厳経』が説かれた寂滅道場より『般若経』に至るまでは序分であり、『無量義経』、『法華経』、『観普賢菩薩行法経』の十巻(『無量義経』一巻、『法華経』八巻、『観普賢菩薩行法経』一巻の合わせて十巻)は正宗分(しょうしゅうぶん・中心の箇所という意味)である(『無量義経』は『法華経』の開経(『法華経』の前座のような経典)、『観普賢菩薩行法経』は『法華経』の結経(締めくくりの経典)とされる)。釈迦入滅の直前に説かれた『涅槃経』は流通分(るつうぶん・応用編のような役割)である。

(注:以上は、すべての経典を『法華経』を中心として、序分、正宗分、流通分の三つに分けた見方による。これ以降、まず正宗十巻を三つに分ける見方、迹門を三つに分ける見方、本門を三つに分ける見方について述べられる)。

正宗十巻の中においても、また序分と正宗分と流通文がある。『無量義経』と『法華経』の「序品」は序分である。『法華経』の「方便品」より「分別功徳品」の十九行の偈に至るまでの十五品半は正宗分である。「分別功徳品」の四信を述べる箇所から『観普賢菩薩行法経』に至るまでの十一品半と一巻は流通分である。

また『法華経』の十巻においても迹門と本門の二つに分けられる。またその二つに各々、序分・正宗分・流通分がある。

まず迹門を見ると、『無量義経』と『法華経』の「序品」は序分であり、「方便品」より「授学無学人記品」に至るまでの八品は正宗分であり、「法師品」より「安楽行品」に至るまでの五品は流通分である。この迹門の教主について述べれば、この世ではじめて悟りを開いた仏であり、理論的には、最初がなく現在も実在する百界千如について説いた。それは過去現在を超越する仏自らの悟りの告白であり、信じがたく理解しがたい正しい教えである。その教えを受ける者たちの過去に仏と結ばれた結縁(けちえん)について述べれば、釈迦仏が大通智勝如来の子である十六王子だった時、仏の道に入り悟りに向かうという仏種を下され、さらにこの世においては、『華厳経』などの『法華経』以前の四味の教えをもって補助的な縁として、大通智勝如来の時に下された仏種を覚知させたのである。しかし、ここまでの悟りで満足してしまうことは、もちろん仏の本意ではない。ここで満足することは、かえって体の中に潜んでいた毒が表に出るようなことの一分としなければならない。声聞と縁覚の二乗や凡夫などは、前の四味の教えを縁として、次第に『法華経』の教えに到達して仏の種子を表わし、真実の悟りを開き表わす者たちである。また、この世においてはじめて正宗の八品を聞く人天などは、『法華経』の一句一偈を聞くことを仏の種が下されたこととし、ある者は熟し、ある者は悟りに至り、ある者は『普賢経』や『涅槃経』に至り、ある者は正法・像法・末法などにおいて小乗や権経を縁として、結局は『法華経』に至るのである。たとえば、それはこの世において『法華経』以前の四味の教えを受けている者のようである。

また、『法華経』の本門の十四品にも序分・正宗分・流通分の三つがある。「従地涌出品」の半品を序分とし、「如来寿量品」と前後の二品の半分を正宗とする。その他は流通分である。この本門の教主について述べれば、この世ではじめて悟りを開いた仏ではないのである。その説かれる法門も他とは天地の違いである。十界は永遠であるうえに、その国土世間も表わされ、それは一念三千の教えとほとんど竹の中の膜ほどの違いしかない。また迹門と前の四味の教え、そして『無量義経』や『涅槃経』などの過去・現在・未来に説かれるべき三つの教えは、すべて聞く者の能力を考慮に入れたものであり、理解しやすいが、本門はこれらの教えと違って、信じがたく理解しがたい仏の悟り自らの告白なのである。

以上は、『法華経』の中での本門の序分・正宗分・流通分の分科であるが、さらに霊的次元における本門の教えの位置から見た序分・正宗分・流通分がある。過去の大通智勝如来が説いていた『法華経』からはじまり、現在の『華厳経』から、『法華経』の迹門十四品、さらに『涅槃経』の一代五十余年の諸経、さらには十方三世諸仏の微塵の数ほど多くの各経典は、すべて本門の「如来寿量品」から見た序分となる。この正宗である「如来寿量品」と前後の二品の半分以外は、小乗教、邪教、末得道教、覆相教(真理の姿が覆われた教えという意味)と名づける。これらの教えを受ける者について述べれば、徳が薄く煩悩が重く、幼稚であり、貧窮、孤露であり、禽獣に等しい。『法華経』以前の経典、さらに『法華経』の迹門の円教(四教の分類の中で、最も優れた円満な教え。ただし、天台大師の説によるならば、円教に、迹門の円教も本門の円教もない。円教はそれらを超越しているから円教なのである。これも日蓮上人独特の説である)すらなお、仏因ではない。ましてや『大日経』などの諸小乗経はなおさらである。さらに華厳・真言などの代表的七宗等の論師・人師の教えはなおさらである。あえて述べるならば、これらは円教の前の「別教」「通教」「蔵教」の三教の範囲内である。さらに言えば、「蔵教」「通教」と同じである。たとえ、その教えは大変深いと言われていても、いつ仏の種が下されたか、いつそれが熟すか、いつそれが悟りに至るか述べられていない。かえって、ただ煩悩を立って灰のようになってしまうことを教えるのみである。教化される者の最初から最後までも述べられていない。たとえば、王女だとしても畜生の種を懐妊すれば、その子は最下級の民にも劣るようなものである。このことはこれ以上ここでは述べない。

迹門の十四品の中の、正宗の八品は、声聞と縁覚の二乗を中心とし、菩薩や一般人は傍らの存在である。さらに考察すれば、一般人における正法、像法、末法を中心としている。正法、像法、末法の三時の中にも末法の始めの現在をもって中心の中心としている。

問う:そのようなことの証拠は何か。

答える:『法華経』の「法師品」に「しかもこの『法華経』は如来の現在すら反対する者が多い。ましてや、仏の亡き後は言うまでもない」とある。また「見宝塔品」に「仏の教えが長く留まるようにする。ここに集まった釈迦如来の分身の諸仏もこの意味を知るべきである」とある。また「勧持品」「安楽行品」などを見るべきである。迹門ですらこのように、それ以降の世について述べられているのである。

本門をもってこのことについて述べれば、末法の初めの現在をその中心としている。一応、表面的に見るならば、過去の仏の結縁をもって仏の種を下されたこととし、大通智勝如来から『法華経』以前の四味の教え、さらに『法華経』の迹門をその種が熟したこととして、本門に至って仏と同等の妙なる悟りに入らせている。しかしさらにこれを見るならば、迹門とは全く異なって、本門の序分、正宗分、流通分はみな共に、今現在である末法の始めをもって中心としている。釈迦仏在世中の本門と末法の初めの本門は、同じく純粋に円満な教えである。ただし、釈迦仏在世中は究極的悟りであり、現在は仏の種である。釈迦仏在世中は本門の一品二半であり、現在は「南無妙法蓮華経」の題目の五字である。

問う:その証拠は何か。

答える:「従地涌出品」に「その時に、他の方角の仏国土から来た、大河の砂の数を八倍したほど多くの数の大いなる菩薩たちは、大衆の中において起立し、合掌し、礼拝して仏に次のように言った。『世尊よ。私たちが仏の滅度の後に、この娑婆世界にあって、努め精進し、この経典を守り保ち、読誦し、書写し、供養することをお許しいただけましたら、この国土において、広くこの教えを述べ伝えます。』その時に仏は、多くの菩薩たちに次のように語られた。『良き男子たちよ。やめなさい。あなたたちがこの経を守り保つ必要はない』」とある。しかし、「法師品」より以降の五品の経文は、すべて水と火のようにこれと相容れない内容である。すなわち、「見宝塔品」の最後に「(釈迦牟尼仏は)大きな声で次のように語られた。『誰がこの娑婆国土において、広く妙法蓮華経を説くだろうか』」とある。たとえ、教主の仏がひとりであっても、このように奨励したならば、薬王菩薩などの大菩薩や梵天帝釈天、日月天子、四天王などはこの言葉を重んじるであろうし、さらに多宝仏や十方の諸仏は、娑婆世界に客仏となって来てまでこのことを奨励しているのである。諸の菩薩はこの度重なる奨励を聞いて、「自分の命さえ惜しまず」という誓願を立てた。これらは仏の意志にかなうためである。ところが、この後、すぐに仏の言葉は変わってしまい、大河の砂の数を八倍したような数多くの菩薩たちの娑婆世界における布教を制止したのである。このような矛盾するようなことは、一般人の智慧では及ばない。

天台智者大師は、この矛盾するような記述について、前三後三の六釈を作ってこれを説明している。つまり、迹門によって教化された者や、他方の大菩薩たちには、釈迦仏の内証の「如来寿量品」を授与することはできないということである。末法の初めは仏法を誹謗する国であり、人々の能力も劣っているのでこれを止め、地涌の千界の大菩薩たちを召して「如来寿量品」の肝心である妙法蓮華経の五字をこの世の衆生に授与させたのである。また迹門によって教化された大衆は、久遠実成の釈迦の最初からの弟子たちではないからである。天台大師は「仏の弟子であるので、仏の教えを広めさせた」と言い、妙楽大師は「子が父の教えを広めてこそ、世界の利益となる」と言っている。また『法華文句輔正記(ほっけもんぐふしょうき)』には、「教えは永遠の昔から変わらない教えであるので、永遠の昔からの者に託すのだ」とある。

また、弥勒菩薩は疑いを晴らそうと、次のように『法華経』にある。「私たちは、仏の適切な教えや仏の口から出た言葉は、すべて虚妄ではなく、仏の教えはすべてに通達していると信じていますが、しかし、初めて悟りを求める心を起こした菩薩などは、仏の滅後にもしこのような言葉を聞けば、あるいは信じ受けることをせず、教えを破る罪業の因縁を起こしてしまうかもしれません。ただ願わくは世尊よ、そのために説き明かして、私たちの疑いを除いて下さい。さらに未来世の多くの良き男子はそれを聞けば、疑いを生じさせることはないでしょう」。この文の意味は、「如来寿量品」の法門は、仏の滅後のために説かれているということである。

如来寿量品」に「あるいは本心を失い、あるいは本心を失っていない者がいた。失っていない者は、その良薬の色香り共に良いのを見て、すぐにそれを服用したので、病はすべて除かれ癒された」とある。これは、久遠の昔に仏の種が下され、大通智勝如来の時の結縁から『法華経』の前の四味の教え、さらに迹門のすべての菩薩、声聞と縁覚の二乗、人天などが、本門において悟りを得ることを指すのである。またそこには、「他の本心を失ってしまった者たちは、その父が帰って来たことを見て喜び、病を治してほしいと求めはしたものの、その薬が与えられても、あえて飲もうとはしなかった。なぜなら、毒気が深く入ってしまい、本心を失っていたために、色も香りも味も良い薬にもかかわらず、良い薬とは思わなかったのである。これを見た父は、次のように思った。『この子たちは憐れむべき者たちだ。毒によって心が混乱してしまっている。私を見て、喜んで治療されることを求めても、この良い薬を飲もうとはしない。私は今、方便を用いて、この薬を飲ませるべきである。』そして次のように言った。『あなたたちはまさに知るべきである。私は今老衰によって死の時が近づいている。この良い薬をここに置いておく。あなたたちは取って飲みなさい。治らないと心配することはない。』このように教えて、他の国に行き、そこから使いを送って、『あなたたちの父は死んだ』と伝えさせた」とある。また「分別功徳品」には「悪世末法の時」とある。

(つづく)

『観心本尊抄』 6

観心本尊抄』解説および現代語訳 6

 

問う:まだ先にあげた論難について理解ができないが、どうなのか。

答える:『無量義経』に「まだ六波羅蜜(ろくはらみつ・大乗の修行者が行なう六つの修行項目)が成就されていなくても、六波羅蜜自体は自然と存在する」とある。『法華経』に「具足(ぐぞく・備わっているものがじゅうぶん満ち足りているという意味の言葉・これも天台教学において重要な用語)の道を聞こうと願う」とある。『涅槃経』に「菩薩の薩とは具足という意味である」とある。龍樹菩薩は「薩とは六の意味である」と言っている。『無依無得大乗四論玄義記』に「沙とは訳して六という。インドでは、六という数を具足の意味とする」とある。吉蔵の疏に「沙とは訳して具足とする」と記している。天台大師は「薩とは古代インド語である。これを妙と翻訳する」と言っている。これについて、私的に解釈を加えると、かえって本文を汚してしまう。

しかし、あえて言うならば、釈迦仏の修行とそれによって得られた悟りの功徳は、「妙法蓮華経」の五字に具足する。私たちはこの五字を受け保てば、自然に釈迦仏の因果の功徳を譲り与えられるのである。

(注:この箇所は、非常に有名な箇所であるが、日蓮上人が「妙法蓮華経の五字」にすべての功徳が具足するということは、『立正安国論』の前から述べていたことである。たとえば、『一念三千法門』の中にも、「さては経を読まずとも、心地の観念計りにて成仏すべきかと思ひたれば、一念三千の観念も一心三観の観法も妙法蓮華経の五字に納まれり。妙法蓮華経の五字は又我等が一心に納めて候ひけり。天台の所釈に『此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵、三世の如来の証得したまふ所なり』と釈したり。さて此の妙法蓮華経を唱ふる時、心中の本覚の仏顕はる」と述べている。私がこの『観心本尊抄』で知りたいことは、この一念三千、一心三観の止観の境地が、この「妙法蓮華経の五字」に置き換えられるという積極的な証文である。しかし、それはないようである。この後は、目に見えるいわゆる大曼荼羅の書き方が説かれる内容に移ってしまう。止観という、とても日蓮上人当時はもちろん、現在では絶対に実行不可能な修行が、どうして、「妙法蓮華経の五字」に置き換わるのか。「妙法蓮華経の五字という一念三千の法門」などと、言葉ばかりで表現するのではなく、一念三千という止観の境地を表わす言葉を乱用するのではなく、修行しなくても、「妙法蓮華経の五字」で悟りに到達できる、という証拠を出してほしい。天台大師が、妙法蓮華経は諸仏の証得したところだ、というのは極当然のことで、それだからこそ、天台大師は『法華経』を中心に講義を構築しているわけであり、それは、ただ題目を唱えれば、それらがすべて得られる、という意味であるはずがない。その諸仏の証得した悟りを得ようとするならば、必ず止観修行が必要だと説かれていることは、天台大師の講述を見る者なら誰でもわかることである)。

法華経』に記されているところの、四人の代表的な声聞たちの理解の告白に「無上の多くの宝は求めないにもかかわらず、自ら得られた」とある。まさにこれは、私たちの心の中にある声聞界である。さらに「すべての衆生を教化して、すべて仏の道に入らせようとする昔立てた誓願は、今まさに少しも異なることなく、すべて満足された」とある。妙なる悟りを得た釈迦仏は、私たちの血肉である。その修行と悟りの功徳は、私たちの骨髄でないわけがない。『法華経』の「見宝塔品」に「この『法華経』の教えを与えられた者は、私(釈迦仏)と多宝如来を供養することになる。さらに、この場に集まった釈迦仏の分身である諸仏の多くの世界を荘厳し、光によって飾る者(注:その仏の国土にあるすべてを指す)を供養することになる」とある。釈迦仏や多宝仏や十方の諸仏は、私の中の仏界である。その仏界の導きによってその功徳を受け取るのである。「少しでもこの『法華経』を聞くならば、最高の悟りを究めることができる」とあるのはこのことである。「寿量品」には「私(釈迦仏)が仏となってから、無量無辺百千万億那由佗劫(むりょうむへんひゃくせんまんのくなゆたごう・とても数えることもできず、想像すらできないほどの無量の歳月という意味)である」とある。私たちの心の中の釈迦仏は、五百億塵点劫(ごひゃくおくじんてんごう・これも無量の歳月という意味)の応身仏、報身仏、法身仏の三身であり、無始の古仏である。『法華経』に「私(釈迦仏)がもと、菩薩の道を行じて成就した寿命は未だに尽きていない。先にあげた無量の歳月のさらに倍以上である」とある。これは私たちの心の中の菩薩界などである。これも『法華経』にある地涌の千界の菩薩は、私たちの心の中の釈迦仏の眷属である。たとえば、中国の太公は周の武王の臣下、周公旦(しゅうこうたん)は幼いころの成王の眷属であり、武内宿禰(たけしうちのすくね)は神功皇后の棟梁であり、同時に仁徳王子の臣下であるようなものである。上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩地涌の菩薩を代表する四人の菩薩)たちは、私たちの心の中の菩薩である。妙楽大師(=荊渓湛然)は「まさに知るべきである。身と国土は一念に備わっている三千である。このために、仏が悟りを開いた時、この真理によって一身一念が法界に遍満した」と言っている。

釈迦仏が最初、寂滅道場で悟りを開いて仏となり、『華厳経』を説いた華蔵世界より沙羅双樹の林で亡くなるまでの五十余年の間、華蔵世界、密厳世界、そして『法華経』の三変の世界、『涅槃経』の四見の世界などの、さまざまに現わされた国土である三土四土は、みな四劫のひとつである成劫(じょうこう・四劫は、仏教の世界観における形成から滅亡までの増、減、成、壊の四つ(異説あり)の段階を指す。成劫は、世界が形作られていく段階の時代という意味)の上の無常の国土に変化するところの、方便、実報、寂光、安養、浄瑠璃、密厳と、さまざまに名付けられた仏の国土である。変わりゆくこの世における仏である教主の釈迦仏が涅槃に入れば、同じく変わりゆく諸仏も従って滅尽する。もちろん、その仏の国土も同じである。

以上は『法華経』の迹門で説かれる真理であるが、本門に至って、永遠の仏である久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦仏が説かれた。その今こそ、この娑婆世界は、水災、風災、火災の破滅的な三災を離れ四劫とは関係のない次元の常住の浄土と言える。真実の仏は、過去にも滅せず未来にも生ぜず、永遠に変わらない教化の主である。これこそ、自分の心に三千が具足していることであり、三種世間(さんしゅせけん・説明前出)である。『法華経』の迹門の十四品にはまだこれを説いておらず、それは、『法華経』の中においても、時が至っていなかったからだと考えられる。

この本門の肝要の中心である「南無妙法蓮華経」の五字においては、仏は文殊菩薩や薬王菩薩のような大菩薩にさえ、これを委ねなかった。ましてや、その他の者たちに委ねるわけがない。ただ、地涌の千界の菩薩を召して、本門の八品を説いてこれを委ねた。

(注:「地涌の千界の菩薩」とは一般的に「地涌の菩薩(じゆのぼさつ)」と呼ばれる『法華経』の「従地涌出品」で登場する数多くの菩薩であり、地面の下から湧き出して来た。この菩薩たちについては、これ以降の箇所で繰り返し語られることになる)。

この本尊の姿は次の通りである。本師である久遠実成の釈迦仏のいる娑婆世界の上に多宝塔が空中にあり、その塔の中の『妙法蓮華経』の左右に釈迦仏牟尼仏と多宝仏がおり、釈迦仏の脇士として上行菩薩などの地涌の四大菩薩、そして文殊菩薩弥勒菩薩などは、四大菩薩の眷属として末座におり、仮の教えによって教化された他方の大小の諸菩薩は、まるで万民が大地に座って雲閣月卿を仰ぎ見るようにおり、十方の諸仏は大地の上にいる。なぜなら、その諸仏は仮の仏であり仮の仏国土を表わしているからである。このような本尊は、釈迦仏の在世五十余年には説かれず、最後の八年の間の、さらに『法華経』の八品に限る。正法像法の合わせて二千年の間は、小乗の釈迦仏は迦葉と阿難を脇士とし、権大乗ならびに『涅槃経』と『法華経』の迹門における釈迦仏は文殊菩薩普賢菩薩をもって脇士としている。今までは、これらの仏を仏像として作り、仏画に描かれてきたが、まだ永遠の寿命を持つ本門の久遠実成の釈迦仏の仏はなかった。末法に入ったからこそ、この仏が出現したのである。

 

(つづく)

『観心本尊抄』 5

観心本尊抄』解説および現代語訳 5

 

問う:龍樹や天親などについてはどうか。

答える:これらの聖人は、知っていても説かなかった人たちである。あるいは、迹門の一部分だけを述べて、本門と観心は語らず、あるいは、語る相手はいても、時至っていなかったので語らなかったのか、あるいは、相手もおらず時も至っていなかったとも考えられる。天台大師と伝教大師以降は、これを知る者が多いのは、この二人の聖人の残した智慧を用いたからである。いわゆる三論宗の嘉祥大師をはじめ、南の三宗北の七宗の百人あまり、華厳宗の法蔵や清涼大師など、さらに法相宗玄奘三蔵や慈恩大師など、真言宗の善無畏三蔵や金剛智三蔵や不空三蔵など、律宗道宣などは、初めは批判したけれども、後はすべて受け入れた。

ただし、批判に対する反論を述べるならば、『無量義経』に次のようになる。「たとえば、国王とその夫人との間に王子が生まれたとする。その王子は一日、二日、七日に至り、一か月、二か月、七か月に至り、一歳、二歳、七歳に至り、まだ国事を執り行なうことはできないといっても、すでに臣民に宗敬せられ、諸の大王の子を友とする。王と夫人の愛心は大変重く常に与え共に語る。これはなぜであろうか。それは、ただこの子が幼いということではないことと同じく、この経典を保つ良き男子も同様である。国王のような諸仏と、その夫人のような経典が和合して、この菩薩の子が生まれた。もしこの菩薩がこの経典を聞くことができ、一句もしくは一偈、もしくは一転もしくは二転、もしくは十もしくは百、もしくは千もしくは万、もしくは大河の砂の数を億万倍するほどの無量無数回読めば、まだ真理の極みを体得することができないとしても、すでにすべての僧侶や尼僧や在家信者や天龍八部衆に尊ばれ仰がれ、多くの大菩薩を友とする。さらに常に諸仏に護念せられ慈愛に覆われるであろう。これは新学であるためである」。また『観普賢菩薩行法経』に「この大乗経典は諸仏の宝蔵であり、十方三世の諸仏の眼目であり、さらに三世の多くの如来を出生する種である。あなたは大乗を行じて仏種を断つようなことがないようにせよ」とある。また「この方等経(=大乗経典)は諸仏の眼であり、諸仏はこれによって肉眼(にくげん)、天眼(てんげん)、慧眼(えげん)、法眼(ほうげん)、仏眼(ぶつげん)の五眼を備えることができる。仏の応身、報身、法身の三種は方等(=大乗)より生じる。これは大いなる教えの表われであり、涅槃の海に表われる。このような海の中に三種の仏の清浄の身が生じる。この三種の身は人天の福の本である」とある。釈迦仏の一代の教え、顕教密教(注:仏教はこの二つに分かれる)、大乗と小乗の二教、華厳宗真言宗などの諸宗の所依の経典など、それらについてよく考察すれば、蓮華蔵世界の蓮華座の毘盧遮那仏、雲のように集まる多くの諸仏如来、『般若経』には染浄の千仏が現われたとあり、『大日経』や『金剛頂経』に記されている千二百尊などは、ただ近い因果を説いているだけで、永遠の過去の因果は説いておらず、速やかな悟りの成就は説いても、気の遠くなるほどの過去からの仏の教化については失われており、過去からの因縁でこの世における仏と弟子の関係があることについても、削られたように見えない。『華厳経』や『大日経』などは、一応これを見れば、天台教学における四教の分類における程度の高い経典に当たるようにも思えるが、よくその内容を検討すれば、最も程度の低い「蔵教」や、その次の「通教」の二教程度で、その次の「別教」や「円教」には及ばない。なぜなら、根本的な三因仏性(さんいんぶっしょう・説明は前出)もないので、どうして仏となる可能性である種子(しゅじ=仏性)を定めることができるだろうか。しかし、玄奘三蔵がインドから新たな経典類を持って中国に帰って来て以来、天台教学の一念三千の法門を見聞して、自らの所持の経典に添加し、それらはインドから自分が持って来たもののようにした。それにもかかわらず、天台宗の学者などは、彼らの教えが自分の宗派の教えに同じであることを喜び、インドからもたらされた教えばかりを尊んで、中国で起こった教学を軽んじ、昔から受け継がれてきた教えを捨てて、新たにもたらされた教えを取り、まるで魔のような心、愚かな心となってしまった。しかし、これらの教えも、天台教学の根本である一念三千が教える仏性とは異なっているので、すべての成仏、木画二像の本尊は有名無実となってしまっている。

(注:ここで日蓮上人は具体的な事例を挙げていないので、この主張が何を指しているのか、明確ではないが、玄奘のことを中心に述べていることと、「『華厳経』も別教や円教に及ばない」と述べているところから、後に天台宗の中でも「山家山外論争(さんげさんがいろんそう)」と呼ばれる宋の時代の知礼と源清の弟子慶昭を中心とした論争の本となった「心(心性)がすべてのもとであり、そこからすべてが生じる」とする教理について、批判的に述べているのではないかと思われる。正統な天台教学においては、ひとつの「心性(しんしょう)」のようなものは認めず、まさに「一念三千」「十界互具」などの教理に表わされているように、「互いに備え合っている」という「互具思想」である。しかし、玄奘がインドから持ち帰った典籍などにより、特に玄奘の弟子の基(き)によって実質的に成立した唯識派法相宗や、『華厳経』による華厳教学は、まさに「心がすべての実在を作り出す」という思想であり、宋の時代以後、中国で盛んとなった禅宗も、そのような考え方が強い。天台宗の中でも、天台教学を二分するような論争が生じるほど、この「唯心(ゆいしん)思想」あるいは「性起(しょうき)思想」と、すべてが備わっているとする天台教学(「性具(しょうぐ)思想」とも呼ばれる)は、表面的には微妙でありかつ決定的な違いを有する二つの思想である。「心性」のようなものを認めると、当然、観心の考え方も違ってきてしまい、すべてが一念の中に備えられているということを観心の対象とする「一念三千」ではなく、この「心性」を観心の対象とするようになる。日蓮上人は最初から、特に『立正安国論』以降、引き続き、正統な天台教学を維持し続けていることがここからもわかる)。

(つづく)

法華玄義 現代語訳  79

『法華玄義』現代語訳  79

 

第二.展転して相照らす

境に対して智を述べる第二は、「展転して相照らして境に対する」である。

これまで述べて来た十如是・十二因縁・四諦・二諦・三諦・一諦の六つの境に対する智は、またそれぞれ他の境も照らすのである。

(注:ここではさまざまなパターンが記されているので、整理するために①・②と番号をつける)。

①下智である思議生滅の十二因縁と、中智である思議不生滅の十二因縁は、六道の十如是の性・相から本末等を照らす。下智と中智によって十二因縁の滅を観心すれば、声聞と縁覚の二乗の十如是の性・相から本末等を照らす。上智は菩薩の十如是の性・相から本末等を照らし、上上智は仏法界の十如是の性・相から本末等を照らす。

②四種の四諦の智が、十法界を照らすことについて述べれば、生滅の四諦と無生の四諦の苦諦と集諦の智は、六道の十如是の相・性を照らし(注:六道の苦の現実を照らすということ)、生滅の四諦と無生の四諦の道諦と滅諦の智は、二乗の十如是の相・性を照らす(注:この智が六道の苦の現実の解決をもたらす二乗の境を照らすということ)。無量の四諦と無作の四諦の苦諦と集諦の智は、菩薩界の性・相から本末等を照らし(注:世間において衆生を教化するため)、無量の四諦と無作の四諦の道諦と滅諦の智は、仏法界の相・性から本末等を照らす(注:究極的な悟りの世界を照らすこと)。

③四種の四諦の智が、四種の十二因縁を照らすことについて述べれば、生滅の四諦と無生の四諦の苦諦と集諦の智は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁を照らす。生滅の四諦と無生の四諦の道諦と滅諦の智は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁の滅を照らす。無量の四諦と無作の四諦の苦諦と集諦の智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁を照らす。無量の四諦と無作の四諦の道諦と滅諦の智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅を照らす(注:これは単に相互対照ということで理解できる)。

④七種の権・実の二智が十法界を照らすことを述べれば、生滅の四諦(注:ここは蔵教と記さねばならない)と無生の四諦(注:ここも通教と記さねばならない)の二つの権智、および別入通教と円入通教の二つの権智を合わせた合計四つの権智は、六道の十如是の相・性を照らす(注:別入通教と円入通教の権智はあくまでも通教だから。一方、実智は下記のようにそれぞれ異なる)。生滅の四諦と無生の四諦の実智は、二乗の十如是の相・性を照らす。別教と円入別教の権智は、有の面では六道の性・相を照らし、無の面では二乗の性・相を照らす。円教の権智は、九界の性・相を照らす。別入通教の実智は、空の面では二乗の性・相を照らし、不空の面では菩薩界の性・相を照らす。円入通教の実智は、空の面では二乗の性・相を照らし、不空の面では仏界の相・性を照らす。別教の実智は菩薩界の性・相を照らす。円入別教の実智と円教の実智は、共に仏法界の相・性を照らす。

⑤七種の権・実の二智が四種の十二因縁を照らすことを述べれば、蔵教・通教・別入通教・円入通教の四つの権智は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁を照らす。別教・円入別教の権智は、有の面では思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁を照らし、無の面では思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁の滅を照らす。円教の権智はすべてに通じる。別入通教の実智は、空の面では思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁の滅を照らし、不空の面では不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅を照らす。別教の実智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅を照らし、円教の実智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅などを照らす(注:この円教の実智の場合は、原文には「滅等」とあるが、これは、権智と同様、すべてに通じるという意味と解釈できる。つまり円教においては、その智が照らす境には滅もないということである。また、この⑤の段落には蔵教と通教と円入通教の実智の記述がないが、十二因縁はもともと生の面のみで滅の面は含んでいないので、蔵教と通教は本来権実の区別は立てられないと解釈でき、また円入通教の実智は結局円教なので、円教と同じということと解釈できる)。

⑥蔵教・通教・別入通教・円入通教の四つの権智は、生滅の四諦と無生の四諦の二つの苦諦と集諦を照らし、また、別教・円入別教・円教の三つの権智は、無量の四諦と無作の四諦の苦諦と集諦を照らす。蔵教・通教の実智は、生滅の四諦と無生の四諦(注:原文では、十二因縁において用いられる「思議」という言葉が使われており、それでも意味は通じるが、混乱するので、それに相当する四諦に直した)の二つの道諦と滅諦を照らす。また別入通教・円入通教・別教・円入別教・円教の五つの実智は、無量の四諦と無作の四諦(注:原文では上記と同様に、「不思議」という言葉を、それに相当する四諦に直した)の二つの道諦と滅諦を照らす。

⑦五種の三智が十法界を照らすことを述べれば、五種の道種智は、六道の性・相から本末等を照らす(注:道種智は衆生を教化するための智慧であるから迷いの衆生を照らすから)。五種の一切智は、二乗と菩薩の性・相から本末等を照らす(注:一切智は真理を見抜く智慧であるから)。五種の一切種智は、仏法界の十如是の性・相から本末等を照らす(注:五種の教えは、すべて究極的な一切種智に至るから)。

⑧また、五種の三智が四種の十二因縁を照らすことを述べれば、五種の道種智の智慧は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁を照らす(注:これも迷いの世界を照らすこと)。五種の一切智は、思議生滅の十二因縁と思議不生滅の十二因縁の滅を照らし(注:迷いが真理の智慧によって照らされれば、迷いは滅びるしかないため)、また不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁を照らす。五種の一切種智は、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅を照らす(注:究極的な仏の智慧においては、すべては寂滅する)。

⑨五種の三智が四種の四諦を照らすことを述べれば、五種の道種智は、生滅の四諦と無生の四諦の苦諦と集諦を照らし、五種の一切智は、生滅の四諦と無生の四諦の道諦と滅諦を照らし、また、無量の四諦と無作の四諦の苦諦と集諦を照らす。五種の一切種智は、無量の四諦と無作の四諦の道諦と滅諦を照らす。

⑩五種の三智が七種の二諦を照らすことを述べれば、五種の道種智は、蔵教・通教・別入通教・円入通教の四つの俗諦を照らす。五種の一切智は、蔵教・通教の真諦を照らし、また、別教・円入別教・円教の三種の俗諦を照らす。五種の一切種智は、別入通教・円入通教・別教・円入別教・円教の五種の真諦を照らす。

⑪一つの如実智は、仏界の十如是の性・相を照らし、また不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁を照らし、また無作の四諦を照らし、また五種の真諦を照らし、また五種の中道第一義諦を照らす。

⑫無諦無説は、十法界の相・性の十如是と一体であり、不思議生滅の十二因縁と不思議不生滅の十二因縁の滅と一体であり、生生・生不生・不生生・不生不生と一体であり、真諦の無言説と一体であり、中道の非生死・非涅槃と一体である(注:如実智までは智慧である限り、照らす対象があるが、無諦無説は真理と智慧が一体化していることであるので、自ら智であり自ら境である。これが次に示される「妙」ということである)。

このような諸智は、それぞれ諦を照らす。諦がもし融合すれば、智も融合する。智と諦が融合することを妙と名付ける。このようなことは、みな方便の言説であるので、妙は同時に不妙というのであり、真理を見る時は、権と実、非権と非実もなく、また妙と不妙もない。このために妙というのである。

七種の二諦、五種の三諦は、さらに別入通教・円入通教・円入別教がある通り、互いに融通する。他の諸境にもまたこの意義がある。七種の二智、五種の三智は、すでにここまで見てきたように、互いに融通しているので、他の諸智にもまたこの意義がある。これらを参考にして自ら知るべきである。

(注:ここで、智妙は終わる)。

『観心本尊抄』 4

観心本尊抄』解説および現代語訳 4

 

仏の道において人には二種ある。一つは仏から直接『法華経』を聞いて仏の道を得る者であり、二つは仏に会ってはいないけれども、『法華経』を読んで仏の道を得る者である。さらに仏教が起こる以前は、中国の道士やインド古来の宗教の者(=外道・げどう)においては、儒教バラモン教聖典をもって教えとして、真理を見るようになった者もいる。また、能力の高い大乗仏教の者たちや一般人たちは、『華厳経』や方等経(注:これは経典名ではなく、方等教に分類される経典類を指す)や『般若経』などの大乗経典を教えとして、『法華経』に記されている過去仏である大通智勝如来の時に受けた縁を表わした者たちが多い。たとえば、縁覚は自分で自然界の無常を見て、釈迦仏の教えを受けずに悟りを開いたようなものである。過去の『法華経』との結縁(けちえん・関係を結ぶこと)がない者は、仮のものや小乗に執着し、たとえ『法華経』に会っても、その誤った見解から出ることができない。これは、自分の見解を正しいとするために、かえって『法華経』を小乗の経典に同じとし、あるいは『華厳経』や『大日経』などに同じとし、あるいはそれ以下だとする。これらの諸師は儒家や外道の賢聖(けんしょう・賢人や聖人)より劣った者である。今はこれ以上言わない。

十界互具の教えは、石の中に火があるとし、木の中に花があるとするようなもので、とても信じがたいことであっても、過去の『法華経』との縁をもってこの世に出生すれば、これを信じることができるのである。人界に仏界が備わっているということは、水中の火、火中の水、最も信じがたいことである。そうは言っても、竜の火は水より出で、竜の水は火より生じるという。納得いかなくても現実の証があれば、これを用いるべきなのである。すでに人界に他の八界(注:質問者は仏界が備わっているということだけはわからないと言っているので、十界から自分自身の人界と仏界を除いた「八界」とここで表現しているのである)が備わっていることを信じることができれば、仏界も備わっているということをなぜ受け入れないのだろうか。中国の尭舜(ぎょうしゅん・理想的な王とされた尭と舜のこと)などの聖人は、万民に対して平等に徳を施した。まさにそれは人界における仏界の一分と言える。『法華経』にある常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は、会う人ごとに、その中に仏身を見た。釈迦仏は、悉逹太子と生まれて仏になったのだから、人界より仏身を成就したことになる。これらの現実の証をもって信じるべきである。

問う:「これから述べる箇所は秘密とせよ」(注:この問いの箇所はかなり長い。そしてこの箇所の最初に「此より堅固に之を秘す」という言葉がある。かなり辛辣かつ具体的に反論が記されているので、初心者の心をかえって乱してしまうことを著者自身の日蓮上人は心配したのであろう)。

教主である釈迦仏は、三惑(さんわく)をすでに断じ尽くした仏である。(注:三惑とは、煩悩を見思惑、塵沙惑、無明惑の三つに分けたもの。天台教学において煩悩をこのように表現する。見思惑(けんじわく)は、見惑と思惑(しわく)に分けられ、見惑は、後天的に得た誤った考えのことであり、思惑は、生まれながらに持つ迷いのことである。塵沙惑(じんじゃわく)は、人々を教化する際に障害となる無数の迷いのことであり、無明惑(むみょうわく)とは、過去世からの業の迷いのことである)。また仏はあらゆる世界のまことの国主であり、すべての菩薩や声聞と縁覚の二乗や人や天などのまことの主君である。行く時は梵天(ぼんてん)が左にあって帝釈天(たいしゃくてん)が右にあって仕え、僧侶や尼僧や在家信者や天龍八部衆が後に従い、執金剛神(しゅうこんごうじん・いわゆる仁王のこと)が前を導き、八万もあるとする教えの蔵を開いて説法し、すべての衆生を悟りに導く。このような仏が、どうして私たち一般人の心に住んでいるのだろうか。

また、『法華経』の前半である迹門(しゃくもん)にある昔についての記述を基に述べれば、教主である釈迦仏は、この世で初めて悟りを開いた仏である。その悟りの因となった過去世における修行のことを見れば、ある時は能施太子(のうせたいし・人々に施しを良くした王子)となり、ある時は儒童菩薩(じゅどうぼさつ・自らの体を仏の通る道として身を投げるほどの行ないをした)となり、ある時は尸毘王(しびおう・自分の眼球までも人に施した王)となり、ある時は菩薩や王子となり、あるいは三祇百劫(さんぎひゃっこう・小乗教において悟りを得るまでの修行の期間)、あるいは動逾塵劫(どうゆじんごう・菩薩が修行を完成させるまでの期間)、あるいは無量阿僧祇劫(むりょうあそうぎこう・菩薩が究極的な仏になるまでの期間)、あるいは初発心時(しょほっしんじ・本仏の釈迦が初めて悟りを求める心を起こした遠い昔)、あるいは三千塵点劫(さんぜんじんてんごう・『法華経』を説いた大通智勝仏から釈尊までの間。いずれも人が測り知ることのできないほどの長い期間を指す)の間、七万、五千、六千、七千などの仏を供養し、長い間修行を積んで今の教主である釈迦仏となった。このような悟りの因となる多くの修行は、この私たちの心の中に備わっている菩薩界の功徳だろうか。

さらに修行の果をもって述べれば、教主である釈迦仏はこの世で初めて悟りを開いた仏であり、約四十年の間、四教(しきょう・天台大師の立てた経典の分類方法による四つの教え。蔵教(ぞうきょう)、通教(つうぎょう)、別教(べっきょう)、円教(えんぎょう)となる。『法華経』は円教である)における姿形を現わし、『法華経』以前の教えと『法華経』の前半である迹門の教えや、釈迦仏が最後に説いたとされる『涅槃経』などを説いて、すべての衆生を導いた。

(注:これに続いて、「五時」の教えに触れる箇所となるので、先に五時について説明する。上にあげた四教は、経典の内容によって四つに分類した形であるが、この五時は、経典が説かれたとされる順番を五つに分けた分類である。しかし、前にも述べたように、明治以降、大乗経典は歴史的釈迦の教えではないことが明らかとなったので、この五時の分類は、歴史的に見れば誤りである。しかしこれを理解しなければ、天台教学は理解できないので、しっかりと認識しておく必要がある。最初に釈迦は『華厳経』を説いたとされ、それが①「華厳時(けごんじ)」である。次に、『阿含経』などの「阿含経典類」が説かれた時であり、これは初歩的な教えとされ、その説かれた場所がおもに鹿野園(ろくやおん)という場所であったことから、②「鹿苑時(ろくおんじ)」という。この教えが最もレベルが低いとされ、四教の分類では「蔵教」にあたるが、皮肉なことに、歴史的釈迦の教えはこの教えとほぼ一致している。逆に言えば、真実の経典の説かれた順番を知らなかった天台大師が、しっかりと歴史的釈迦の教えを他の大乗経典と分離しているところは、さすがに感心するとしか言いようがない。次に、ほとんどの大乗経典が該当する③「方等時(ほうとうじ)」であるが、「方等」とは広大平等という意味であり、大乗仏教の教えが小乗に比べて広大平等だとされたので、このように呼ばれる。次に『般若経』などの「般若経典類」が説かれた時の④「般若時(はんにゃじ)」である。「般若経典類」は「空」の思想を説いており、空の教えこそ、大乗仏教の根幹をなすものであるので、他の大乗経典が説かれた時とは別に、この「般若時」を設けたと考えられる。そして、最後が『法華経』と『涅槃経』が説かれた⑤「法華涅槃時(ほっけねはんじ)」である。教学的には、『法華経』で完了されたとするが、やはり『涅槃経』は、釈迦が亡くなる、つまり涅槃に入る直前に説いた経典であるので、最後に置かねばならず、このように名付けられたのである。しかし『涅槃経』では、「仏性」について述べられており、『法華経』を補う経典とされる)。

具体的に言うならば、釈迦仏が最初の『華厳経』を説いた「華厳時」では、あらゆるところに分身として現わされた仏の中央の台の上に座り、続く『阿含経』などを説いた「鹿苑時」では、三十四心(四教の最初の蔵教の段階の八忍八智九無碍九解脱を合わせて三十四心という)において煩悩を断じた仏となり、続く主要な大乗経典を説いた「方等時」や『般若経』を説いた「般若時」では千の仏、『大日経』や『金剛頂経』などの千二百あまりの仏、ならびに迹門の「見宝塔品」にある四つの国土の姿形、『涅槃経』の丈六の仏、あるいは小身大身と現われ、あるいは盧舎那仏(るしゃなぶつ)を現われ、あるいは身は虚空と同じであるとする。これらの四教における仏の体にはじまって、八十歳で入滅して、その骨である舎利をもってまでして、仏は正法、像法、末法の人々を導くのである。

さらに『法華経』の後半である本門をもって述べれば、教主である釈迦仏は、数えきれないほどの昔にすでに仏となったのであり、仏となる前の期間もこれと同じく数えきれないほどの歳月の長さであった。さらに仏となってからは、あらゆる世界に分身し、一代の聖い教えを説いて、塵の数ほどの衆生を教化した。本門で説かれる仏が教化した衆生の数と、迹門で説かれる仏が教化した衆生の数を比較すれば、一滴の水と大海、一塵と大山のようになる。本門の一人の菩薩を、あらゆる世界にいる迹門の文殊菩薩や観世音菩薩たちに比較すれば、猿と帝釈天に比較することにも及ばない。

そのほか、あらゆる世界にいる煩悩を断じて悟りを開いた声聞と縁覚の二乗、ならびに梵天帝釈天、日月、四天、四輪王、さらに無間地獄の大火炎など、これらはみな、私たちの一念に備わっている十界だろうか。また、自分の心の三千世間だろうか、このようなことがいくら仏の説いた教えだとしても、とうてい信じることはできない。

このことをもって思えば、『法華経』以前の諸経典の教えの方が真実味であり、事実の教えと思われるのである。『華厳経』に「悟りを開き、虚妄を離れ、煩悩の汚れがないのは虚空のようだ」とある。『仁王経』に「源を究め、本性を尽くして妙智がある」とある。『金剛般若経』に「清浄の善のみあり」とある。馬鳴(めみょう)菩薩の『起信論』に「如来蔵(=仏性)の中に清浄の功徳だけがある」とある。天親(てんしん)菩薩の『唯識論』に「煩悩と、まだ中途半端に煩悩を抑制しているだけの状態は、金剛のような完全な禅定が成就する時、完全な円のような輝く純浄の本識に入る。これは人間によることではないので、本識によって煩悩は完全に断じ尽くされるのである」とある。このように、『法華経』以前の経論と、『法華経』とを比較すると、以前の経論の教えは無数であり、説法の時も長い。同じ仏の教えだとするならば、以前の経論に従うべきであろう。

馬鳴菩薩は『付法蔵因縁伝』第十一によれば、仏から授記を受けている者であり、天親は千部の論師であり、真実の拠り所となる大士である。天台大師は辺鄙の小僧にして自らは一論も記していない(注:天台大師の教えのほとんどは、弟子の章安灌頂が講述筆記をして多く残されている。しかし、直接記された論書もある)。誰がこれを信じるであろうか。その上、多を捨てて小につくとしても、『法華経』の文が明らかならば少し考えるところもあるだろうが、『法華経』の文のどこに、十界互具・百界千如・一念三千などの明らかな根拠となる文があると言うのか。実際に『法華経』の経文を開いてみると、「仏はあらゆる悪を断じられた」とあるので、「仏界」に悪が備わっているとは思えない。天親菩薩の『法華論』にも、堅慧菩薩の『宝性論』にも十界互具は説かれておらず、中国の南北の諸師たちや日本の七寺の諸師の中にもこれを説く者はいない。ただ天台大師一人の偏った見解であり、伝教大師が誤って伝えたものである。このために、清涼国師(澄観・ちょうかんのこと。中国の華厳宗の僧)は「天台大師の誤りである」と言っている。また慧苑法師は「天台大師は小乗を三蔵教としているが、それは誤りである」と言っている。また了洪は「天台大師は華厳経の意義を究めていない」と言っている。また徳一は、「智顗は愚かであり、誰の弟子なのか。三寸足らずの舌をもって尊い仏の所説である教えを批判している」と言っている。弘法大師は「中国の人たちは、争って醍醐という言葉を盗んで各自の宗の教えに当てはめている」と言っている。

このように一念三千の法門は、釈迦仏一代の「権」と「実」の教えにもなく、多くの人の拠り所となっている諸論師もその教えを説いておらず、中国や日本の諸師もこれを用いていない。どうして信じることができようか。

答える:この非難は最も甚だしい上に甚だしい。この諸経典と『法華経』との相違は経文によって分明である。『法華経』は、未だ明らかにされていなかった真理を説くのであり、多宝如来によって正しいと証明されたのであり、如来の広く長い舌の相が現わされ、声聞と縁覚も成仏することが説かれ、仏が永遠の昔に成仏したということを明らかにしているのである。

そして、諸論師のことについては、天台大師は「天親、龍樹は、真実を内に秘めていたが、それを時代に合わせて説いたのである。しかし、人や論師は偏って解釈し、学者も自らの主張に執着し、論争を巻き起こしてそれぞれその一辺を保って、大いに聖道に背いてしまった」と言っている。章安灌頂は「インドの大いなる論書も天台大師に及ばない。ましてや中国の諸師についてはわざわざ語る必要もない。これは高慢で言っているのではなく事実である」と言っている。

天親、龍樹、馬鳴、堅慧たちは、内には真理を明らかに悟っていたが、時が至っていなかったので、これを述べなかったのである。その他の諸師については、天台大師以前は、内に真理を秘めている人もいたが、それを知らない者もいたのであり、天台大師以降は、最初は反対しても、後に受け入れた人もいれば、最後まで一向に受け入れない者たちもいた。

ただし、「仏はあらゆる悪を断じられた」の経文については明確にしなければならない。この『法華経』の経文は、『法華経』以前の教えについて述べている箇所である。『法華経』の経文をよく見るならば、明らかに十界互具を説いている。いわゆる「衆生に仏の知見を開かせることを願う」とある。天台大師はこの経文について「もし衆生に仏の知見がもともと備わっていなければ、どうしてそれを開くことを述べる必要があるだろうか。まさに知るべきである。仏の知見はすでに衆生に備わっているのである」と述べている。また章安灌頂は「衆生にもし仏の知見がなければ、どうしてそれを開いて悟ることができるだろうか。もし貧しい女が蔵を持っていなければ、それを示すことなどできないではないか」と言っている。

ただし、理解しがたいことは、上に述べられたように、教主である釈迦仏が自分の心に住んでいるということである。このことをあらかじめ仏は、「この言葉は最も信じがたく理解しがたい」と述べている。そしてそれに続いて述べられている六難九易(ろくなんくい・法華経を広めることは非常に難しいということを六つの事例をあげて述べ、それらに比べれば、一般的に難しいとされることも容易なのだということを九つの事例をあげて述べられている箇所)をもって具体的に述べているのである。天台大師は「『法華経』の迹門と本門の二門の教えはすべて昔の教えと反しているので、信じがたく理解しがたい。まさに鋒(ほこ)に当たるほどの難事である」と述べている。また章安灌頂は「仏はこの『法華経』の教えを大事としている。それがなぜ理解しやすいだろうか」と言っている。また伝教大師は「この『法華経』は最も信じがたく理解しがたい。仏が自らの悟りを表現した言葉だからである」と述べている。そもそも仏が入滅してから一千八百年あまり、インド、中国、日本の三国を経て、ただ三人だけが、正しい教えを悟っているのである。それは、インドの釈迦仏であり、中国の天台智者大師であり、日本の伝教大師最澄であり、まさにこの三人は仏教経典における聖人と言うべきである。

(つづく)