大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

天台四教儀 現代語訳  13

『天台四教儀』現代語訳  13

 

③「菩薩」

次の菩薩の位は、初発心(しょほっしん・初めて悟りを得ようという心を発した時という意味)の最初から四諦を修行の対象として、四弘誓願(しぐせいがん・四つの優れた誓願という意味。後述あり)を起こし、六波羅蜜(ろくはらみつ・六度ともいう。波羅蜜は完成という意味の古代インド語のパーラミタ―の音写。菩薩の六つの修行項目。すなわち、施しをする布施波羅蜜、戒律を保つ持戒波羅蜜、忍耐をする忍辱波羅蜜、努力をする精進波羅蜜、禅定を修す禅定波羅蜜智慧を悟る般若波羅蜜の六つ)を修す。

その四弘誓願の四つは次の通りである。一つめは、まだ苦しみから脱していない者を苦しみから解放させようという誓願であり、すなわち衆生無辺誓願度である。これは苦諦を対象として修すのである。二つめは、まだ煩悩から解き放たれていない者を解き放たれるようにしようという誓願であり、すなわち煩惱無尽誓願断である。これは集諦を対象として修すのである。三つめは、まだ安心立命していない者を安らかにさせようという誓願であり、すなわち法門無量誓願学である。これは道諦を対象として修すのである。四つめは、まだ涅槃を得ていない者に涅槃を得させようとする誓願であり、すなわち仏道無上誓願成である。これは滅諦を対象として修すのである。すでに発心している。後は確実に修行をして、その誓願を満たすのである。三阿僧祇劫(さんあそうぎこう・阿僧祇は、古代インド語のasaṃkhyeyaの音写語で、測ることのできないほどの無数の時という意味であり、劫は、kalpaの音写語で、同じく無数の時という意味。三とあることについては、これから述べられる)において六波羅蜜の行を修し、続く百劫(ひゃっこう・これも同様に無数の時という意味)において、仏の優れた姿形を備えるのである。

無数の時を意味する阿僧祇劫が三つある期間について、ここで釈迦仏の修行を例にあげて具体的に説明する(注:これから長い箇所において、大乗仏教で伝えられる釈迦の過去世における修行の数々が記されている)。

いにしえの釋迦より尸棄仏(しきぶつ)に至るまで、七万五千の仏のもとで修行した期間を、初阿僧祇(しょあそうぎ)と名付ける(注:釈迦の過去世の説話は、十二部経の中の本生譚に分類されるが、それでも数多くの説話があって一定しておらず、各仏の名称も異なっている。「いにしえの釈迦(古釈迦)」がどのような仏かも不明)。この時より常に女身および四悪趣を離れ、常に六波羅蜜を修す。しかし、まだ自分は仏になれることを知らない。これを、声聞の位に照らし合わせると、すなわち五停心と総想と別想の四念處に相当するため、外凡と言える。次に、尸棄仏から燃灯仏に至るまで、七万六千仏のもとで修す期間を、第二阿僧祇と名付ける。この時、七本の蓮華を燃灯仏に供養し、仏が泥の上を歩かないように、自分の髪の毛を地面に敷き、その姿を見た仏から、未来世に釈迦仏という仏になるであろうという記を授かった。しかしその時はまだ、自分は仏になるとは知っても、口で説くことはしなかった。したがって、もし声聞の位に照らし合わせるならば、すなわち煗法の位である。次に燃灯仏より毘婆仏に至るまで、七万七千の仏のもとで修す期間を、第三阿僧祇と名付ける。この時を満了して、人に対して必ず仏となると説いても、自他共に疑わないということを自ら知る。もし声聞の位に照らし合わせるならば、すなわち頂法の位である。このような時を経て、常に六波羅蜜を修して成就させた。そしてさらに、百劫において、仏の優れた姿形を備えたわけであるが、その際、百種の福を成就して、仏の一つの姿形が備わるのである。何が一つの福であるかを定かに判別することは難しいが、たとえば、世界中の盲人の目を癒してこそ、一つの福とされるのである。

このように、六波羅蜜を修行するにあたって、それぞれ満了の時というものがある。たとえば、釈迦が過去世に尸毘王(しびおう)であった時、鷹に襲われた鳩を助けるために、王が自分の肉を鷹に差し出した、ということは、六波羅蜜の布施波羅蜜(=檀波羅蜜)の満了である。また普明王だった時、国を捨ててまで不妄語戒を守ったことは、持戒波羅蜜(=尸波羅蜜)の満了である。また羼提仙人(せんだいせんにん)だった時、侍女たちが仙人の説法を讃嘆することに腹を立てた歌利王(かりおう)が、仙人を傷つけても恨むことがなかった、ということは、忍辱波羅蜜の満了である。また大施太子(だいせたいし)だった時、太子が衆生に布施する際に用いていた如意宝珠を海に落としてしまい、それを探し出すために海の水を汲んだ、ということ、および七日間片足をあげたままで、弗沙佛(ほっしゃぶつ)を讃嘆した、ということは、精進波羅蜜の満了である。また尚闍黎(しょうじゃり)だった時、禅定を修していた時に、頭の上に鵲(かささぎ)が巣を作ったので、その巣から子供が巣立つまで禅定から出なかった、ということは、禅定波羅蜜の満了である。また劬嬪大臣(こうひんだんじん)だった時、七人の王が覇権を争ったので、大臣は閻浮提(えんぶだい・現在の人間が住むとされる大陸)を平等に七分に分けて争いを終息させたことは、智慧波羅蜜の満了である。もし声聞の位に照らし合わせるならば、これは下忍の位(忍法の最初の位)である。そして、釈迦は、兜率天(とそつてん・将来に仏となる者がいるとされる天)に仏となるべき者として生まれ、母胎に入り、生まれ、出家して悪魔を退け、禅定の座から動かず、中忍の位になった。そして次の瞬間、上忍の位に入り、また次の瞬間に世第一法の位に入り、真無漏(しんむろ・真理に即した智慧のこと)を発して、三十四心(見惑を断じる十六種の心と思惑を断じる十八種の心を合わせて三十四心という)をもって見惑と思惑とその習気を断じて、菩提樹の下に草を座として坐り、劣った応身仏(注:大乗仏教における応身・報身・法身三身仏の説によれば、この世に現われた釈迦は劣った応身仏であるとされる)の丈六の身(約四・八五メートル。仏は一般人より体が大きいとされた)の仏を成就した。そして梵王に請われて(=梵天勧請)、教えを示し、修行を勧め、悟りの境地を証した(=三転法輪)。こうして声聞と縁覚と菩薩の三種の能力の人たちを悟りに導いた。そしてこの世に八十年生き、老比丘の姿を現わし、薪が尽きて火が消えるように無余涅槃に入った。このことは、すなわち三藏の仏の果である。

ここまで声聞と縁覚と菩薩の三人の修行と悟りの結果の位について述べたが、それぞれ同じではない。しかし、同じく見思惑を断じ、同じく三界を出て、同じくまだ完全ではない偏った真理ではあるが、それを証するのである。ただこれは、『法華経』の「化城喩品」に記されているところの、宝を求める一隊が三百由旬(さんびゃくゆじゅん・これも測り知れないほどの距離を表わす単位ではあるが、三界の距離を示す)進んだ場所で、休むために仮に現わされた町(=城)に入ったことに喩えられるのである。

以上、概略的に三蔵教を述べた。