大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

種種御振舞御書 その1

種種御振舞御書 その1

 

種種御振舞御書(しゅじゅおんふるまいごしょ)

建治二年(1276年)  五五歳

 

(注:この書は、建治二年に身延にて、光日房という弟子宛に日蓮上人が記したものということになっているが、実際は、後世、自伝的な内容の短い書が集められて編集されたものである。この中には、日蓮上人の言葉や、その言葉に基づく記述も確かにあるだろうが、一方、特に幕府からの迫害が始まる箇所は急に文体が変わり、まるで演劇の台本のようになる。それは、そのような箇所は後世の創作であるためと考えられる。そもそも、そのような内容は、他の日蓮上人の書には全く見られないものであり、この書にのみ記されているものである。

弘法大師空海の伝記には、後世の多くの創作物語が含まれていることはよく知られたことである。またそれらが比較的少ないと言われる伝教大師最澄の伝記にも、やはり創作は入り込んでいる。このように、往々にして偉人の伝記には、その人物を崇拝する者たちが創作した内容が入り込むものである。

しかし、特に「立正」という言葉に表現されるところの、正しいと確信を持つことに対しては命を惜しまなかった日蓮上人が、少しでも偽りの内容が自伝的書物に混入されていることを喜ぶはずがない。そのため、この書を現代語訳しながら、その内容を検討していくことにする)。

 

去る文永五年(1268)の正月十八日、西戎大蒙古国(注:蒙古はモンゴル民族に対する漢民族による蔑称であり、モンゴル民族によって立てられた国が元である)より書状が来て、日本を襲うということを伝えて来た(注:文永五年の正月の書状は、まだ日本に攻撃を加えるという内容ではなく、正確には、この時から本格的に日本に服従を要請する書状が送られるようになった、ということである)。日蓮が去る文応元年(1260)七月に幕府に上奏した『立正安国論』の内容に少しも違わず符合している。

(注:『立正安国論』においては、『金光明経』、『大集経』、『仁王般若経』、『薬師経』の内容から、誤った教えが国に広まると、さまざまな災難が起こると述べられている。特に、『仁王般若経』から、①太陽や月は正しい運行を失い、時節が真逆となり、あるいは赤い太陽が出で、黒い太陽が出で、二つ三つ四つ五つの太陽が出で、あるいは日食が起って光がなくなり、あるいは太陽の輪が一重二重三重四重五重現われる、②星などの天体も正しい運行を失い、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・刁星(ちょうせい・刀星とも。意味は不明)・南斗六星・北斗七星・五鎮の大星(五つの惑星のこと)・すべての国主星・三公星・百官星(この三つは中国の王位や官位になぞらえた星)など、このような多くの星に異変が起る、③大火が国を焼き、すべての民が焼け出される。あるいは、鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火がある、④洪水が起こり、多くの民を押し流し、時節が真逆となり、冬に雨が降り、夏に雪が降り、冬に雷雨があり、六月に雹が降り、赤水・黒水・青水を降らせ、土山・石山を降らし、砂や瓦礫、石を降らす。河川は逆流し、山を浮かべ石を流す、⑤大風がすべての民を吹き殺し、国土山河樹木は一度に壊滅し、非常な大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風がある、⑥天地国土が乾き切り、炎火は激しくすべての草を枯らし、五穀は実らず、土地は熱くなってすべての民は滅び尽くされる、⑦四方の賊が来て国を侵し、内外の賊が起こり、火賊・水賊・風賊・鬼賊がすべての民を乱し、武器を持った兵が多く起こる、という七つがあげられている。つまり、この七難は、考えられる限りの災難をあげているのであり、何か災難と思われる事が起れば、必ずどれかに符合するのである。しかし、最後の外国からの侵攻というものは、特に日本においてはめったに起らないものであり、ちょうどこの時の元寇に一致したのである。このことから、法然上人の『選択本願念仏集』による念仏の信仰という誤った教えが広まったために、この元からの侵攻が起こったのだと、日蓮上人は確信したわけである)。

この『立正安国論』は、中国の白楽天(はくらくてん)の楽府(がふ・新楽府ともいう。白楽天が唐代に起った事例をあげて社会批判を展開した詩)よりも勝れ、釈迦仏が未来を予言した言葉にも劣るものではない。末法の世において、このような予言の的中は、この上ない不思議なことではないか。もし国主が賢王や聖主の世であるなら、日本で第一の者と褒められ、生きているうちに大師号が下されてもよいはずである。そして、必ず蒙古についてのお尋ねがあり、軍議の相談も受け、調伏の祈祷なども申し付けられると思っていたが、幕府からは何の知らせもなかったので、その年(文永五年)の十月に十一か所へ『立正安国論』の趣旨を記した書状を送った。

この国に賢人のような人物がいたならば、「不思議なことだ。これはひとえにただ事ではない。天照大御神八幡大菩薩が、この僧に託宣して、日本が助かるべき道を示されたのだ」と思われるはずであるが、実際はそうではなく、この書状を持たせた使いに対して悪口を言い、あるいは嘲り、また受け取りもせず、あるいは返事もなく、あるいは返事をよこしても、それより上の立場の者に伝えるようなことはしなかった。

これは実にただ事ではない。たといこの日蓮の個人的なことであっても、国主の立場にあって、政治を行なう人々ならば、執権に取り次ぐことが政道の法というものであろう。ましてやこの事は、幕府において一大事であるのみならず、日本のすべての人々の上に、大いなる歎きをもたらすことではないか。しかし、それを用いることがなくても、悪口まで言うとはあまりのことである。これはひとえに、日本の上から下までの万人が、一人も漏れなく『法華経』の強敵となって長い年月が経ち、その大いなる罪が積もって、大鬼神が各人の身に入った上に、蒙古国の書状に正念を抜かれて狂ったとしか言いようがない。

たとえば、中国の殷の紂王(ちゅうおう)に対して、比干(ひかん・紂王の叔父であり、王を諌めたために殺された)という者が諫めて用いられず、胸を開かれて殺された。そしてその国は周の文武王に滅ぼされたのである。呉王は伍子胥(ごししょ・呉において活躍した政治家。しかし最後には王に疎まれ自害させられた)の諫めを用いず、自害させたため、越王の勾踐(こうせん)の手にかかった。今回のことも、このようになるかと、いよいよ不憫に思えて、名をも惜しまず、命をも捨てて、強く盛んに訴えたところ、風が強くなれば波も高くなり、竜が大きければ雨も激しくなるように、さらにそれが仇となって、ますます憎まれて、幕府の評定所日蓮や弟子たちへの処分が検討され、首をはねるべきか、鎌倉から追放すべきか、また日蓮を支持する弟子や檀家で所領のある者はその所領を取り下げて首を斬れ、あるいは牢に入れて責めよとか、あるいは流罪にせよなどと言われるようになった。

(注:たとえば、中国の歴史的事例をあげることや、「風が強くなれば波も高くなり、竜が大きければ雨も激しくなるように」という言葉は、実際の日蓮上人の書に見られるものであり、この前後の箇所は全体的に見ても、日蓮上人が記したものと考えられる)。