大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

種種御振舞御書 その3

種種御振舞御書 その3

 

(注:この直前、つまり「その2」の最後の部分の原文は、「仏の御使ひとなのりながら、をくせんは無下の人々なりと申しふくめぬ」となっている。日蓮上人は弟子たちに、幕府からどのような脅しが来ても、仏の使いという自覚をもって、恐れることがないようにと、私(日蓮上人)は、弟子たちに説いたのである、という言葉で終わっているのである。そして原文でも何ら段落分けもなく、今回の文となるわけであるが、この冒頭には、「さりし程に念仏者・持斎・真言師等、自身の智は及ばず、訴状も叶はざれば、上郎尼ごぜんたちにとりつきて、種々にかまへ申す」となっている。訳せば、「こうしているうちに、念仏者や真言律宗真言宗の者たちは、自分の智慧ではどうしようもなく、幕府へ訴状を提出しても果せなかったので、高僧と言われる者や尼御前たちに取り入って、さまざまに讒言をした」となる。このように、ここで急に文体が変わり、まるで小説や演劇の台本のような記述となり、これがしばらく続く。このような文体は、他の日蓮上人の書には見られないものなので、明らかにこのような箇所は、日蓮上人を信奉する者の後世の創作である)。

 

こうしているうちに、念仏者や真言律宗真言宗の者たちは、自分の智慧ではどうしようもなく、幕府へ訴状を提出しても果せなかったので、高僧と言われる者や尼御前たちに取り入って、さまざまに讒言をした。

つまり、「日蓮は、故最明寺入道殿(注:前執権北条時頼)や極楽寺入道殿(注:北条重時)は無間地獄に堕ちたのだと言い、建長寺寿福寺極楽寺、長楽寺、大仏寺などは焼き払えと言い、道隆上人(注:大覚禅師。建長寺開山)や良観上人(注:忍性。真言律宗の僧。貧民病人の救済に尽力した)たちの首をはねよと言った。もうこれだけで、幕府の御評定にかけなくても、日蓮の罪禍は免れない。ただし、これらのことを、本当言ったのか、ということは召し出して確かめねばならない」ということで、召し出された。

奉行人は、「以上のことを本当にそう言ったのか」と言うので、日蓮は、「以上のことは、一言も違うことなく申しました。しかし、最明寺殿や極楽寺殿が地獄に堕ちたと言った、ということは嘘であります。私の説く法門については、最明寺殿や極楽寺殿が御存命の時から申し上げていたことです。結局、以上のことは、この国を思って申し上げたことですので、この世を安穏に保とうとされるならば、その法師たちを私に召し会わせて話をさせて下さい。そうしないで、彼らに代わって理不尽に私を罰するならば、この国全体が後悔することになるでしょう。日蓮を罰するならば、仏の使いを用いないことになります。梵天帝釈天、日月天、四天王からの咎めにより、日蓮流罪や死罪にした後、百日、一年、三年、七年のうちに、自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん・七難の中の一つで内乱のこと)として、北条家御一門の中で同士討ちが始まるでしょう。その後は、他国侵逼難(たこくしんぴつなん・七難の中の一つで他国からの侵略のこと)として、四方より、特に西方より攻められるでしょう。この時、後悔しても遅いのです」と平左衛門尉(注:平頼綱御家人の筆頭として執権を補佐した。不穏分子はとにかく排除するという方針を貫き、実際に日蓮上人を迫害した人物)に申し上げたが、あの太政入道(注:平清盛のこと)が狂ったのと少しも違わず、少しも憚(はばか)ることなく、怒り狂った。

(注:『立証安国論』には、次のようにある。

『薬師経』には、「伝染病、外国から侵略される災難、国内で起こる反逆、星の運行に起こる異変、太陽や月の日食や月食、暴風雨、干ばつ」という七つの災難が記されていますが、そのうちの五つはすでに起こっており、二つの災難が残っています。それは、「外国から侵略される災難、国内で起こる反逆」です。

また『大集経』には、「凶作、戦争、疫病」の三つの災難が記されていますが、そのうちの二つはすでに起こっており、一つが残っています。それは戦争です。

また『金光明経』に説かれているさまざまな災難も次々と起こりましたが、「多くの他国の兵士が国を侵略する」という災難はまだありません。

さらに『仁王経』にある七つの災難のうち六つまでは起こっていますが、最後の一つが起こっていません。それは、「他国が国を侵略し国内でも内乱が起こる」という災難です。しかも、「国が乱れる時は、鬼神が騒ぐ。鬼神が騒ぐために、多くの民が乱れる」とあります。今この文について考えますと、すでに多くの鬼神は騒いでおり、多くの民が滅んでいます。まず起こる災難が起こっているのですから、それに続いて起こる災難は間違いなく起こります(引用以上)。

『薬師経』で言えば、伝染病、天体の異常運行、日食や月食、暴風雨、干ばつの五つは、いつでも起る災難である。したがって、いつの時代でも内乱や他国からの侵略はなかなか起こらないものである。日蓮上人は『立正安国論』の中で、この二つがこれから起こると予言し、実際、内乱としては、文永九年(1272)に起きた、執権北条時宗が異母兄である北条時輔を討つという二月騒動がそれに当たり、外国からの侵略は、言うまでもなく元寇が当たるとされている。しかし二月騒動は、それによって執権の権威が確固たるものとなるという結果が生じたまでのことであり、決して国全体が内乱に陥ったわけではない。また、『種種御振舞御書』の本文には、「北条家御一門の中で同士討ちが始まる」とあって、まるでこのことがすでに起こった後に記されたような文である。同じように、本文には、外国からの侵略についても、「四方より、特に西方より攻められる」とあって、これも同じく、このことがすでに起こった後に記されたような文である。以上のことからも、この箇所が後世の創作であることが考えられるのである)。