大乗経典と論書の現代語訳と解説

経論を通して霊的真理を知る

2023-01-01から1年間の記事一覧

法華取要抄 その4 (完)

法華取要抄 その4 疑って言う:多宝仏の証明や十方諸仏の助言、地涌の菩薩の涌出などは、誰のためか。 答える:世間の人々は、『法華経』が説かれたその世のためだと言うだろう。しかし、日蓮は次のように言う。舎利弗や目連などは、この現世においては智慧…

法華取要抄 その3

法華取要抄 その3 問う:『法華経』は誰のために説かれたものなのか。 答える:「方便品第二」より「授学無学人記品第九」に至るまでの八品に、二つの意義がある。上より下に向けて、次第通りにこれを読めば、第一は菩薩のため、第二には二乗のため、第三は…

法華取要抄 その2

法華取要抄 その2 そもそも諸宗の人師たちは、旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、あるいは新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、あるいは自宗の曲がった解釈に執著して、自らの義に従い、愚かな見解をもって注釈し、それを残して後代に加えているのである。た…

法華取要抄 その1

法華取要抄 その1 法華取要抄(ほっけしゅようしょう) 文永十一年(1274)五月 五十三歳 富木常忍に与える 身延において 扶桑沙門日蓮、これを述べる。 そもそも、月支国(げっしこく・インドを意味する)より西域を経て中国、日本に渡来するところの…

波木井殿御報

波木井殿御報(はきいどのごほう・日蓮上人最後の書状。口述筆記) 慎んで申し上げます。 ここまでの道のりは、無事に池上まで着くことができました。その途中、山といい、川といい、それなりに難儀はしましたが、御子息たちに守られて、これと言ったことも…

種種御振舞御書 その15 (完)

種種御振舞御書 その15 みな、弘法大師や慈覚大師を謗る人は、どうして用いられようかと思っている。しかし、他人はさておき、安房の国の東西の人々は、この事を信じるべきである。なぜなら、それは眼前している現証があるからである。いのもりの円頓房、…

種種御振舞御書 その14

種種御振舞御書 その14 (注:ここより最後までは、日蓮上人の記した文と思われる)。 もともとわかっていたことではあったが、三度も国を諫めても、用いられなければ国を去るべし、ということで、同年五月十二日に鎌倉を出て、この山(身延山)に入った。…

種種御振舞御書 その13

種種御振舞御書 その13 (注:この段落の内容は、『報恩抄』にもあり、「文永十一年四月十二日の大風は、東寺第一の智者とされる阿弥陀堂加賀法印が雨ごいした結果の逆風です。善無畏・金剛智・不空の悪法を、少しも違えることなく伝えたためでしょうか。…

種種御振舞御書 その12

種種御振舞御書 その12 また念仏者が集まって協議した。 「こうなっては、我々は飢え死にしてしまう。どうやって、この法師を亡き者とすることができようか。すでに国中の者も多くは彼に従っている。どうしたらいいものか」と相談し、念仏者の長者の唯阿弥…

種種御振舞御書 その11

種種御振舞御書 その11 (以下にこの訳者の補足の注を記す。 伝染病が流行すれば、もうこれがこの世の終わりの兆候だ、終末だ、とか言い、大きな災害があれば、これは神の裁きだ、終末の始まりだ、などと言い、その言葉を受け入れて、狂信的になる者たちが…

種種御振舞御書 その10

種種御振舞御書 その10 さて、塚原に論争をするために集まって来た者たちはみな帰ったので、去年の十一月から構想を練っていた『開目抄』という文二巻を記した。これは、もし首を切られても、日蓮の身に起った不思議を留めておこうと思って構想を練ってい…

種種御振舞御書 その9

種種御振舞御書 その9 (注:前の段落は、さまざまな人々からの迫害があったからこそ、自分は『法華経』の行者となれたのだ、という内容であり、多くの経典や経論からの引用、そして中国や日本の史実を交えて記されていた。ところが、この段落からは、再び…

種種御振舞御書 その8

種種御振舞御書 その8 中国の李陵(りりょう・前漢の軍人)が胡国(ここく・中国から見た異民族。匈奴)に入って巌窟(がんくつ)に閉じ込められたのも、法道三蔵(ほうどうさんぞう・永道。北宋の僧)が微宋皇帝(きそうこうてい・北宋の王。仏教弾圧をし…

種種御振舞御書 その7

種種御振舞御書 その7 同年十月十日に依智を立って十月二十八日に佐渡の国へ着いた。 (注:『寺泊御書』の冒頭には、「今月十月なり十日相州愛京郡依智の郷を起つて武蔵の国久目河の宿に付き、十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ。此れより大海を亘つて…

種種御振舞御書 その6

種種御振舞御書 その6 正午ごろ、依智(えち・厚木市に合併される前は、依知村という地名で残っていた)という所に行き着き、本間六郎左衛門(ほんまろくろうざえもん・本間六郎左衛門尉重連(しげつら)。北条宣時に仕えた武士。佐渡の代官であり、依智に…

種種御振舞御書 その5

種種御振舞御書 その5 そして、十二日の夜、武蔵守殿(注:北条宣時)に預けられた身となっていたが、夜半になって、首を切られるために鎌倉から出た。若宮小路(=若宮大路)に出た時、周りは兵士に囲まれていたが、日蓮は、「おのおの方、騒がないでもら…

種種御振舞御書 その4

種種御振舞御書 その4 去る文永八年(1271)九月十二日に、幕府からの迫害を被った。その時の迫害は、尋常ではなく非常識極まりないものであった。 了行(りょうこう・幕府転覆の陰謀を企てた僧侶)が謀反を起こし、大夫の律師(だいぶのりっし・鎌倉幕…

種種御振舞御書 その3

種種御振舞御書 その3 (注:この直前、つまり「その2」の最後の部分の原文は、「仏の御使ひとなのりながら、をくせんは無下の人々なりと申しふくめぬ」となっている。日蓮上人は弟子たちに、幕府からどのような脅しが来ても、仏の使いという自覚をもって…

種種御振舞御書 その2

種種御振舞御書 その2 このようなことを知って、日蓮はむしろ喜んで言うのである。これはもとより知っていたことである。雪山童子(せっせんどうじ・釈迦の前世のうちの一人。帝釈天が姿を変えた鬼の説く「諸行無常/是生滅法」という偈を聞いて、その後半の…

種種御振舞御書 その1

種種御振舞御書 その1 種種御振舞御書(しゅじゅおんふるまいごしょ) 建治二年(1276年) 五五歳 (注:この書は、建治二年に身延にて、光日房という弟子宛に日蓮上人が記したものということになっているが、実際は、後世、自伝的な内容の短い書が集め…

『摩訶止観』抄訳 その8

『摩訶止観』巻第一の上 「序分縁起」の段より 止観の明静であることは、まさに前代未聞である。 天台智者大師は、大隋開皇十四年四月二十六日より、荊州の玉泉寺において、一夏(いちげ・夏安居(げあんご)の期間・四月中旬から七月中旬ごろ)の期間に、朝…

『摩訶止観』抄訳 その7

『摩訶止観』巻第一の下 「六即に約す」の段より ◎六即について 六即によって真実を表わす(第一章「大意」の第一節「発大心」の第三項「是を顕す」に、「四諦に約す」「四弘誓願に約す」「六即に約す」の三目があり、その第三目)。 問う:(注:「問う」は…

『摩訶止観』抄訳 その6

『摩訶止観』巻第一の上 「三種の止観」の段より (注:「◎三種の止観」の後半となる) 〇経を引用して述べる ここでは、漸次止観と不定止観とは置いて論じない。ここでは、経典によって、さらに円頓止観について明らかにする。 非常に深い妙徳に了達してい…

『摩訶止観』抄訳 その5

『摩訶止観』巻第二の下 「感大果」「裂大網」の段より (注:『摩訶止観』の構成は、五略十広(ごりゃくじっこう)というが、全体は「十広」といわれる十章に別れ、その第一章が、「五略」といわれる全体を概略的に記した五節からなる「大意」である。そし…

『摩訶止観』抄訳 その4

『摩訶止観』巻第二の下 「帰大処」の段より ◎帰すべき境地 第五に、すべては絶対的な空(注:原文は「畢竟空」。絶対的な空を意味し、空でないことに相対しない空)であるという究極的境地(大処)に帰すために、正しい止観(注:原文は「是の止観」。是は…

『摩訶止観』抄訳 その3

『摩訶止観』巻第五の上 「観不可思議境」の段より 一心に十法界(じっぽうかい・地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏という人が経るところの十種の世界)が具わっている。各一法界にまた他の十法界が具(そな)わっていれば、百法界であ…

『摩訶止観』抄訳 その2

『摩訶止観』巻第三の上 「止観の名義」の段より 第二章 止観の名義 第二章として、止観の名称を解釈する。止観についての大意はすでに説いた。ではまたどのような意義をもって、止観の名称を立てるのか。これには概略的に四つある。 一つめは相待(そうだい…

『摩訶止観』抄訳 その1 

『摩訶止観』巻第一の上 「三種の止観」の段より (注:見出しは訳者が便宜上付ける) 〇三種の止観 天台智者大師は南岳慧思禅師より三種の止観を伝えられた。一つは漸次止観(ぜんじしかん)、二つは不定止観(ふじょうしかん)、三つは円頓止観(えんどん…

『摩訶止観』抄訳 はじめに

『摩訶止観』抄訳 はじめに 『摩訶止観』を抄訳する理由 先に完訳した『法華玄義』では、『法華経』がすべての経典を総括するということが、一定の理論体系をもって、最初から最後まで一貫して述べられている。そのため、その範囲は広大であって、その論理は…

開目抄 その17 (完)

『法華文句』には、「問う。『涅槃経』では、国王に従って弓矢を持ち、悪人をくじけと明らかにされている。一方、『法華経』では、権勢から離れ、謙遜に慈善を行なえとあり、この剛と柔が互いに真逆となっている。これがどうして異なっていないことがあろう…